▼guilty rain

時は、巡る
人は、歩む
生は、還る
私は、戻る






雨ほど私の気を滅入らせるものはない
体質の所為かほぼ確実に頭痛に襲われる上、雨が連れて来る高い湿度は何とも鬱陶しい
だがそれ以上に私を不快にさせるのは他の何でもない自らの記憶だ


6月という月は否応なしにその鬱屈とした気候が続く
理工学部の研究室は、精密な機械類の事を考慮してか常に除湿などの空調調整が行われている為あまり感じないが、研究室を一歩でてしまえば自分でも己の眉間に皺が刻まれるのが解るほどだ

しとしと、細い雨は視界を不明確なものにする
ぽたり、屋根の端から零れ落ちる水滴は、まるで、


「あれは…」


もう午後の7時を回った学内
学生の数も昼のそれとは比べ物にならない程減り、静まり返っている学舎の隅に今しがた思い浮かべた人物がぼんやりと立っていた


なまえ、
その名を呼ぼうとして声が喉まで出掛かるが、それは咄嗟に留められた
今私がその名を呼んだとして、あの女は嘗てのように笑いはしない
私を不審な目で見上げ、顔を顰めるだけだろう


グッと、傘の柄を握る手に力が入る
これは私の望んだことだ
こうなることも重々承知していた
その上で、あの咎を受け入れこの生を手に入れたのだから


歩を進めて女のいる方へ近づいてみれば、どうやら女は傘を持っていない様子で、しきりに空を見上げては溜息を吐いていた
確かに今日の雨は昼過ぎに降り出したが、この時期に傘を持ち歩かないとはよっぽど肝が据わっているか、馬鹿かのどちらかだろう

女は何を思ったのか、今度は持っていた鞄から小さなハンドタオルを取り出しそれを頭の上に広げ出した
…まさか、それでこの雨の中を歩くつもりか?

この馬鹿が、と思ったのと同時に足は自然に女の所へと駆け出していた


「オイ、」

「…え?
…あ、あなた…」

「これをやる、使え
馬鹿な事をするな」

「え?あ、あの、え?」


差していた傘を閉じて女に差し出すと、女は酷く狼狽して、「でも」とか「え?」とか何とか言ってる
当然の反応だ
見ず知らずの男にいきなり傘を差し出されるなど、困惑する以外にないだろう


「あの、でも貴方は?」

「…私のことはどうでもいい、貴様が使えと言っている」

「どうでもよくないですよ!」

「貴様が気にすることではない
…貴様が使わぬならここに置いていくまでだが」

「えぇ!?そんな、それは…ってちょっと!!」


傘を無理矢理女に握らせて早々に踵を返すも、咄嗟にシャツを掴まれ阻まれてしまった
振り返って見てみれば、女は酷く困惑した顔ではあったが、眉を下げて穏やかに笑んでいた


「そこまで言って下さるならお借りしますね?
あの、私国際関係学部1年のみょうじなまえって言います
貴方は…?」

「…理工学部1年、石田三成だ」

「石田さん、ですね?
傘、ちゃんとお返しします、だから…ってちょっと、い、石田さん!?」


なまえの話を最後まで聞かず、そのまま雨の中を駆けた
聞かなかったのではない、聞きたくなかった
当然の事だがなまえは私を知らない、嘗てのように名では呼ばない
ただその事実が此れ程までに心痛なことだとは思いもしなかった
「石田さん」などと呼ばれたことは一度もなかった
同じ顔で、同じ笑顔で、同じ魂で、同じ声で、私を他人行儀に呼ぶなまえに耐える事ができない


大学の正門をくぐる頃には全身が情けないほどに濡れそぼっていた
情けない
本当に己の情けなさを思い知らされる
なまえは変わっていない、魂は確かに同じだった
では私はどうだ、あの頃の私はここまで己の道に迷うほど情けない人間では無かった筈だ

…いや、違う
あの頃の私には何も見えていなかっただけだ
迷うほどの道も、光も、守るべきものさえも


曇天の空を仰いで、再び駆け出した
なまえさえ、この雨から守られていればそれでいい
私は雨に濡れようが血に塗れようが、それで、いい
それが私の咎への贖いになるのならば―





私はその為に、今生きているのだから