▼missing you

アンティークの小さな花瓶が置かれた小窓から、濃い緑に染まった木の葉が覗く
雨の続く6月を越え7月も下旬に差し掛かり、季節はすっかり夏へと移ろいでいた

大学が夏季休暇に突入し、実家通いの私には帰省というものもないので、特に予定の無い日はひたすらバイトを入れていた
それと言うのも、常連になっていた石田君があの植物園以来このお店にぱったりと来なくなってしまっていた
大学でも、いつもの時間いつものテラスに石田君は来なくなり、学部が違うからか学内ですれ違う事すら無くなってしまっていた

最初は、石田君も研究とか色々忙しいだろうから仕方ないかな、と思っていたけれど、石田君に会えない日が続くに従ってどんどん不安になっていった
植物園の時に何か気に障る事をしたかな、とか、もしかして私の事を嫌いになったのかな、とか…
石田君に会って直接訊きたいけれど、私が突然石田君の研究室まで押しかけるのは流石に悪いんじゃないだろうかと思い留まった

それでも、石田君に会いたいという思いと不安は日毎に増していくばかりで
確か石田君は寮暮らしだと言っていたから今頃は実家に帰っているのかもしれない、だけど今の私に出来る精一杯は、石田君がまた来てくれるかもしれないという期待を抱えながらこのお店で働いて待つことだった


レジで伝票を数えながら、いつも石田君が座っていた席が空席なのを確認して無意識に溜息が零れた
悩んでいても仕方ない、と気を取り直そうと顔を上げた丁度その瞬間、お店のドアが開かれドアベルの軽やかな音と共に夏特有の爽やかな風が店内に吹き込んだ


「いらっしゃいま…あ、貴方は…」

「こんにちは
君が働いている時に来れて良かったよ」


石田君とは少し質の違う銀髪をふわりと風に靡かせてお店に入ってきたのは、いつか私が石田君の研究室へ傘を返しに行った時に会った、竹中先生

竹中先生はここの常連らしいと石田君が言っていたけれど、私が働いている時間に竹中先生が来店したのは此れが初めてだ
前に店長に訊いた時、竹中先生らしき人は平日の早朝に来る事が多いと言われたので、私が働くお昼から夕方の時間に見掛けなかったのも頷ける

でも、その竹中先生は今日に限って平日の昼間に来店された
しかも、その口ぶりからしてどうやら私に用があるみたいだ


「あの、」

「オーダーはダージリンティー、ストレートでお願いするよ
そこの席、座ってもいいかな?」

「あ、はいかしこまりました
どうぞ、お好きな席に…」


竹中先生が迷わず向かったのは、いつも石田君が座っていた角の席で少し驚いた
私がキッチンへオーダーを通しに行くのを見送って、竹中先生は文庫本を鞄から取り出して読み始める
その髪の色と佇まいが、まるで石田君がそこに居るみたいだと錯覚してしまった私はどうかしているのかもしれない


「お待たせ致しました
ダージリンティーで御座います」

「ありがとう
…ねぇ、今ちょっと大丈夫かな?」


ティーカップをテーブルに置くと、竹中先生は静かに文庫本を閉じて店内を窺うように視線を彷徨わせた後、にこりと私に微笑んだ
店内を見渡せば、丁度お昼のピークが終わったところでお客さんはまばらになっていた
それを確認してから「少しなら」と言えば、竹中先生は笑みを一層深くして「どうぞ、座って」と私を促した


「私に、何かご用でしょうか?」

「うん、まぁ用というかお願いなんだけど…」

「お願い、ですか?」


私が不思議そうにそう返すと、竹中先生は少し苦笑した
またクッキーだろうか、と思った私の心境を見透かすように竹中先生は「そう言えばクッキーの件でも君にはお世話になったね」と呟いた


「今回はね、君に会って欲しい人がいるんだ」

「私に、会って欲しい人…?」

「もしかしたら、君も会いたいと思ってるんじゃないかと思うんだけど…分かるかな?」

「石田君…ですか?」


今、私が会いたい人
そう言われて真っ先に思いつくのは遠く離れた親戚や昔の友人じゃなくて、同じ大学の石田三成君
それでなくても、私と竹中先生を繋ぐ唯一の共通の知人は石田君しかいないのだから、竹中先生が指しているのが誰かは直ぐ分かった


「そう、三成君
やっぱり君も会いたいと思ってくれてたんだ」

「…最近、大学でも会わないし、お店にも来てくれなくなっていたんで…」

「そう、でも君と三成君の関係はただの知り合いだよね?
大学が一緒でも顔と名前を知っているだけだし、お店の常連ってだけならこのお店にはたくさん居るだろう?」

「そうですけど…何だか、自分でもよく分からないです
石田君がここに居て、少しの間でも同じ空間を共有している時間が、私にとっては凄く大切だったんです
だから…石田君がここに居てくれないと、穴が開いたみたいで…」


ぽつりぽつりと、思ったことをそのまま零していくと自分でも気付かなかった言葉が発せられていく
そうか、私は寂しかったんだ
いつの間にか私は石田君がここに居て当たり前だと思っていた
石田君と少しずつ仲良くなって、交わす言葉が増えていって、全然知らなかった石田君のことを知っていくのが楽しかった、ずっとそんな日が続いていくと思っていたんだ


「そう…ひとつだけ、君に聞いていいかな?」

「…はい」

「君は、三成君と一緒に居て幸せだと感じられるかい?」


カチコチと大きな時計の秒針が進む音が店内に響く
私の目を覗き込むようにして見つめてくる竹中先生の顔は真剣そのものだった
その鋭い視線に射すくめられて、私は思わず息を飲んで緊張してしまう

石田君と一緒に居て幸せ?
幸せ…だったんだろうか、そんな事考えたこともない
だけど、彼と過ごす時間はいつも穏やかで楽しかった
でも幸せかと訊かれれば分からない
そもそも幸せがどういうものなのか、それすら未だよく分からない
でも逆に、この時間を永久に取り上げられてしまったら、と考えてみると直ぐに答えが出た


「はい、幸せだったと思います
それに、もう石田君に会えないなんて考えたくもないです」


それは驚く程自然に出た答え
私の答えを聞いて、鋭く私を射抜いていた竹中先生の目は優しげに緩められた


「そうかい、それを聞いて安心したよ
それじゃあ早速なんだけど、今日研究室に来てくれないかな」

「研究室ですか?」

「うん、多分研究室が閉室する時間まで石田君はいると思うし…
今日はバイト何時までなんだい?」

「4時です…でも、本当に私が行っていいんですか?」


石田君が実家に帰らずまだ大学に居るという事にも驚いたけれど、それにしても話が急すぎる
確かに一刻も早く会いたいという気持ちはあるけれど、石田君は私に会うのは平気なんだろうか
そういう不安も込めて竹中先生に尋ねると、先生は今日見せた中で一番自然な笑顔で笑ってみせた


「いいも何も、彼は君に会いたくて仕方ないと思ってるよ」

「え、う、嘘…」

「嘘じゃないよ
まったく、現実逃避で研究室に籠もるのはいいけど、あのままじゃ流石の彼も身体を壊すよ
それじゃあ、僕はもう少し紅茶を味わってから帰るけど、君は…三成君の事を頼むよ」

「…はい、」


研究室に籠もっているというのがどうして私に会いたいという事に結びつくのか、よく分からなかったけれど、何故か竹中先生が言うならそうなのかもしれないと納得せざるを得なかった

私との話が終わり、竹中先生がティーカップを手に取った瞬間、別の席のお客さんが丁度席を立たれたので、竹中先生に小さく会釈をしてレジへと向かった

その後30分ほどお店で寛いだ竹中先生は、帰り際にレジで私にもう一度「三成君をよろしくね」と言って帰られた
よろしく、だなんて言われてもどうしていいのか分からない
だって今の私はただ石田君に会いたいだけなんだから

私に会うことが、石田君にとって何か救いになるのなら早く会いたい
例え竹中先生の当てが外れていて石田君が私に会いたくなかったとしても、ちゃんと理由を聞きたい


本当はちょっと前から気付いていた
私、石田君のことが好き
だから、私から逃げないでちゃんと話を聞いて欲しい

再び空席になった角のテーブルに、眩い夏の日差しが差し込んでいた