「何かあったのか、なまえ」
尼子征伐から帰ってきた三成が私に最初に言った一言はあまりにも意外な一言だった
尼子との戦は私が楽観していた程簡単なものではなかった様で、後ろに控えていた私達の出番こそついに無かったが三成達が戻ったのはもう陽が山に沈もうとする頃だった
そのまま毛利傘下の城に帰り、そこを宿とすることになったまでは良かったが、自分に宛がわれた部屋へ行くと、そこには待ち構える様に三成が立っていた
そして先の言葉
微かな斜陽を正面から浴びる三成の表情からは、珍しく感情が読み取れない
「え?どうして?」
「問うているのは私だ、一々問い返すな」
「あ、ごめん」
「…貴様に締まりがないのはいつもの事だが、今日はいつもに増して弛みきった顔をしている」
「え、そ、そうかな
って言うか弛みきった顔って失礼だなぁ」
あはは、と笑って誤魔化そうとしてみたけれど、三成はぴくりとも表情を動かさず、むしろ怪訝な目で私を観察する様に見ている
さっき家康と話をして少し動揺しているのが顔に出てしまっていたんだろうけど、そんな事よりまさか私の表情の変化を三成が察知するなんて思ってもいなかったから驚いた
もう三成の目には私なんて、映っていないものだと思っていたから
「…何かあったのだろう、正直に話せ」
正直に話せと言われて、初めて私の中に罪悪感が生まれた
私が家康と話をしたのは、家康が突然私の所にやってきたからで、つまりは不可抗力だ
だけど三成はきっと「そうか」で済ませてはくれない
家康に会ったと言えば「何故刀を抜かなかった」と言われ、家康と話したと言えば「何を話した」と問われ、家康に東軍に誘われたと言えば、私を疑い、家康への憎悪の念を更に膨らませるだろう
だからと言って嘘をつくのか
三成は嘘や裏切りと言った人の汚い行いを最も嫌う
良くも悪くも純粋で真っ直ぐで素直な人だから、今までそういった人の汚い部分に散々嫌な思いをしてきたんだろうと思う
そして本人は気付いていないかもしれないけれど、その不器用なところこそが彼の魅力なんだと私は思っている
だからこそ私は三成について行きたいと思った
そして絶対に私はこの人を裏切りたくないと、思った
だけど、
「ううん、何もなかったよ
ただ、あんまりにも暇だったからちょっと陣の裏の丘で休憩しちゃって
その眠気でぼーっとしてたのかな」
「貴様!陣を放置して休息など取っていたのか!!」
「ちょっと、ちょっとだけだよ」
「ちょっとも何もあるか!
次にそんなふざけた真似をしてみろ、永劫に起きれない様にしてくれる!」
「ごめんってば、もうしません!」
精一杯の、嘘
胸がずきずきと痛むのを必死に堪えて、怒鳴る三成を宥める
これでいい、これなら傷つくのは私だけで済む
三成は知らなくていい、私が少しでも家康の言葉に喜んでしまった事なんて、一瞬でも三成のいない未来を考えてしまったなんて、こんな汚い私の事は、知らなくていいんだ
「もういい、明日は東に進軍する
休息など考える暇も与えぬ、死に物狂いに進め、いいな!」
「はいはい、頑張りますよーっと」
部屋に差し込んでいた僅かな光も無くなり、三成はおちゃらける私を闇に光る目で思いっきり睨みながら部屋を出て行った
ばたん、閉められた障子の音が無音の暗闇に響く
私は灯りも点けずにただ茫然とその場に立ち尽くしていた
嘘を、吐いた
他の誰でもない三成に
その事実を考えれば考える程自分が恐ろしくなってくる
三成を裏切りたくないのに、どうして私は嘘を吐いてしまったんだろう
家康と話した事を私自身がやましい事と感じていたという事だろうか、どうして、
どうして、何で、どうやって、そう私が疑問に感じた時は何時でも半兵衛様がひとつひとつ丁寧に答えてくれた
軍法や剣技もそうだし、世の中の仕組みや他国の情勢、何でも私の問いに答えて下さった
でも、ここにはもう答えてくれる人はいない
どう、しよう
背筋を走る冷や汗だけが、暗闇無音の空間で唯一妙な現実味を語っていた
僕は君に言えなかった
そして、嘘を吐いた
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