終わった、と感じた
乾いた大地に横たわる見慣れた人物がそれを物語っている
一片の光さえ窺えない鉛色の空を見上げて「秀吉様、」と呼びかけてみれど音ひとつ返ってはこない


私の役目は全うされたのか
そう考えて直ぐに疑問が浮かぶ
役目?一体誰に与えられた役目だ
義の為?では何故義を貫き通しておきながらこれ程までに虚無なのか
考えても考えてもこの状況を上手く打破する理由が思い浮かばない

絶望とはこのことを言うのか
秀吉様を失ったその瞬間こそが絶望だと思っていた、だがそれでも私は今まで狂気に取り憑かれながらも生を燃やし続けた
だがまるで今は、その炎が音も無く消えてゆく様な感覚すら感じる


ドサリ、
無音だった空間にやけに質量のある音が響いた
もうこの世界に何が起ころうとどうだっていい気すらしたが、その音にだけは身体がほぼ反射的に反応した
動きの鈍い己の身体をゆっくりと音のした方向へ向けた時、辛うじて動いていた私の心臓がその存在を強調するかの様にどくり、と一際強く跳ねた


「なまえ…?」

それはもうほとんど人間と言える外見ではなかった
砂と血に塗れ、装束はぼろ雑巾のようだ
結われていた髪は乱れて、倒れ込んでいる人物の表情は全く窺えない
だが、それでも何故かその人物がなまえであるという事は直ぐに分かった

「なまえ、なまえ…!!」

這いながら地に伏しているなまえの側へと歩み寄ると、まだ辛うじて息があった
うつ伏せになっている身体を抱き起こして顔にかかった髪を避けてやれば、いつも血色のよかった顔色からは想像もつかぬほどに白い頬が見えて一瞬で背筋が粟立った

「み、つなり…」

ゆっくりと開けられた目には何故か安堵の色が浮かんでいた
だがその目にももう嘗ての様な強い光は宿ってはいない

「しっかりしろなまえ!死ぬなとあれ程言っただろう!」

「三成…聞いて、大谷が、死んでしまったの…」

「刑部が…!?」

まさか、刑部が
お前まで私の元から去って行ったのか

まるで掌中からさらさらと砂が落ちていく様だ
今まで自分は何も持っていない人間だと思っていた
絆も友情も愛情も不要
私の総ては秀吉様の為にあり、秀吉様の為に捧げられるものであったというのに、何故こうも虚無感に襲われるのだろうか
秀吉様と半兵衛様を失い
家康に裏切られ
刑部が死に
なまえの命までも風前の灯となっている

失ったものは取り戻すことが出来ない
分かって、理解していた筈だというのに何故私は失う事しか繰り返せない
これは咎か
今まで誰に何を差し出されようとも受け入れようとしなかった私への天の裁きなのか


「泣かないで…」

「泣いてなど、いない…!」

「三成、私…もう駄目みたい」

わなわなと震える血に濡れた腕が私の顔へと伸びてくる
その手を取って己の頬に添えてみればそれは驚く程に冷たく、その冷たい温度が酷く心を締め付ける

「馬鹿を言うな、貴様まで私を裏切るのか」

「裏切らない…よ、約束したでしょう…
ずっと三成の側にいる…死ぬまでずっと…」

「まさか貴様…その約束を果たしに…」

脳裏を過ぎるのは雨の大阪城
「簡単には死なない…最期まで三成の側にいる」確かになまえは言った
あの時私の腕の中にあった体温はあれ程暖かかったというのに、その「最期」を迎える今この瞬間、なまえの手には温度が感じられない

ただひとつの約束を果たす為に、血を流し泥に塗れ、大地を這って私の元へ来たのか
驚きを隠しきれない私とは逆に、なまえは満足そうに弱々しい笑みを浮かべた

「ね、約束…守ったでしょ?
私、頑張った…よね?」

「…っ」

「ねぇ三成、もう…誰かの為に生きなくていいんだよ」

「何…?」

先まで笑んでいたなまえの表情が微かに悲哀の情に歪んだ

「ずっと、ずっと秀吉様の為に生きてきたでしょう?
秀吉様、秀吉様って…それが三成にとって自分の為だったのかも、しれないけど…
もっと欲張っていいんだよ
自分の為に生きて、自分と、三成を大切にしてくれる人を大切にして…」

「何を、言っている…私は、」

私の為に生きてきた
秀吉様に認めて頂く事を至福とし、その左腕と呼ばれる事に栄誉を感じた
それなのに何故、何故その様な事を言う

「ならば貴様は己の為に生きたと言うのか」

「私は、幸せだよ
…覚えてる?大切な人とずっと一緒に居たいって昔言ったでしょう?
ほら、ここに居るもの…三成が、側に」

本当に嬉しそうに細められた目からは涙が雫となって青白い頬を伝っていく
大切な、人?
大切だと言われる程私が今まで貴様に何をしてやったと言うのか
何を与えてやった覚えもなければ、情けをかけた覚えも無い
むしろ見えぬ己の心の内に恐怖し、自分にとってのなまえという存在の輪郭を誤魔化し続け、不信の念を抱き暗がりに放り込んだ上戦場に連れてきて傷をつけた、恨まれてもおかしくない愚かな私のことを、大切などと…

「何故貴様はそこまで愚かでいられる」

「…好き、だからかな」

「好き…だと…?」

「好きだよ、三成が…どうしようもないくらい…愛、してるの」

愛…そんな言葉はただ愚かしいだけだ
秀吉様が自らお捨てになられた弱さの象徴
私もそれに同意していた筈だ

だが、今己の内で響いているなまえの言葉は心中に広がっていた濃霧を消し去るかの如く光を放っている
そうして晴れた心中で、あまりにも長い期間誤魔化し続けてきた私にとってのなまえという存在の輪郭がくっきりと見えた気がした


あぁ、そうか
だから私は愚かだったのか



「やっと…分かった…」

「み、つなり…?」

「やっと、気付けたと言うのに…
何故貴様は死にゆくのだ…!!」

頬に触れる小さな手はもう石の様に冷たく硬い
もっと早くに気付いていたならば何かが変わっていたのだろうか
少なくとも、今これ程遣る瀬無い思いになることはなかっただろう

「…ねぇ三成…来世って信じる?」

「来世…」

「私は人殺しだし、今まで人に胸を張れる様な人生も歩んできてないけど…
でも、もしもう一度機会があるのなら…もう一度、三成に会いたい
もっとたくさん一緒に笑って…一緒に…いっしょ、に…」

「なまえっ!」

「だから…信じて…
きっと、また会えるって…」

か細くなっていく声がもう残された時間が少ない事を強調している
「信じて」今まで何度なまえの口からその言葉を聞いた事だろう
そして、私は何度その言葉を信じたのか
数えるまでもない、一度たりとも信じてやれなかった

「三成、お願い…」

「…信じる、」

「三成…」

「貴様がまた次が在ると言うのならば、信じる
だから、貴様は私を裏切るな」

大きく見開かれた目から、大粒の雫がはらりと落ちた

「今度は…諦めない…ずっと…いっしょ、ね…」

「あぁ…」

「みつな、り…」

「何だ、」

「…ありがとう」

するり、頬に宛がっていた冷たい温度が滑り落ちた
最期まで、気の抜けた笑顔だったと伝えられるのはいつになるのか



今さら縋りもしない
ヒトでなくモノの様になった肉体をそっと腕中に掻き寄せると、空が唸った
まるであの日の様だ
全ての始まり…いや、全てあの瞬間からこの終焉を告げる幕が落とされていたのだろう
重い首をもたげて空を仰げば、まさにあの日に返った様だった




空が啼く
轟音を連れて巨大な光の塊が落雷として頭上に降ってきた




もう何も恐れるものはない
もうこの世界の何処にも私達の行き場などないのだから




















君と僕は諦めた
全てを失う事しか選べずに























あとがき
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