久しぶりに仰いだ空は記憶していたものよりもずっと遠くに感じた
だけどそれよりも遠くに感じたのは言うまでも無い三成の存在だった



三成が私を牢から出して一週間も経たない内に決戦の準備が整った
ぶつかる場所は関ヶ原
そして今正にその関ヶ原に立っている私は、牢にいた長期間の怠惰が祟ったのか既に疲労困憊だった

開戦して間も無く三成は家康の居る本陣へと突っ切って行き、それを遮ろうとする敵を他の将や兵達が蹴散らし、伊達や雑賀といった東軍に付いた武将達の相手は西軍の長曾我部や毛利が引き受けた
一番の障害であると予想されていた本多忠勝は大谷が相手をしている

私はというと十八番の後ろ盾に回ったはいいものの、大谷が東軍本陣へ続く一本道を三成が走りぬけたのと同時に数珠の力で封鎖していたので、実質三成の下へ向かうのが困難な状況に立たされていた

そして何よりも困難なのはこの乱戦だ
いくら陣大将と言えど、ここまでの混戦になると前線へ出て戦わざるを得ず、私はもみくちゃにされながらも必死に刀を振るっていた

返り血で装束が赤に染まろうとも、顔が汚れようとも、腕が痺れて苦痛に倒れそうになろうとも、私にはここで戦う理由があった




ーーーーーーーーーー




「全てを、終わらせる」

そう言った時の三成の表情を私はよく覚えていない
あの時の私は三成が現れたことによって、決戦が近いのだと言われずとも悟っていた
そして同時にどうしようもない虚無に襲われていた
家康と戦って、例えば三成が家康を倒したとして、私には何が残るのだろう、と

家康が居なくなれば三成は以前の様に戻ってくれるだろうか、否、そんな事はないだろう
秀吉様の為に生きてきた三成にとって、秀吉様が亡くなった今、彼の生きる意味を握っているのは秀吉様の仇である家康だけだ
狂気に取り憑かれようが、その刃が凶気を帯びようが、三成が生きているのは家康が生きているからこそだ

だから、怖くなった
と言うよりは気付いてしまった
きっと私はこの決戦で何も得られない、失うものはあれど何一つ残せないだろうと

その瞬間自分の中から何かが欠落して落ちていく様な妙な感覚に襲われた
からん、と音を立てて何かが抜け落ちていく

ふと、私を見下ろす三成の視線に気付いて顔を上げると、三成の顔が酷く困惑している事に気付いた
何に対してなのかはよく分からなかったけれど、怒りでも焦燥でもないただ純粋に困惑している三成の表情を見るのは随分久々だと思った

私が立ち上がって歩き出しても尚その場に立ち尽くしたままの三成に今度は私が困惑して苦笑すると、三成は弾かれた様に一瞬目を見開いて私の後ろを歩き出した
私が三成に手を引いてもらってその後ろを歩いた幼かった頃とは逆に、お互いの手は遠く、私が前を歩いている状況が妙に現実的に私達は変わってしまったのだという事を物語っている様だった



ーーーーーーー




あの時、立ち上がった時にはもう固まっていた私の意志に、後ろを歩いていた三成はきっと気付いていないだろう
何も得ることが出来ないこの戦場に、私が立つ理由
声を荒げて指示を飛ばしながら敵という名の人間を殺していく私が必死に三成に追いつこうともがく理由


ただひとつの目的の為に、私はがむしゃらに戦場を駆けた










戦況が一転したのは、空中線を繰り広げていた大谷と本多が地上へ降りてきた時だった

砂塵が舞い上がる中辛うじてその二人の姿を見つけた私は、必死にもがいて混戦の人ごみの中から抜け出した
そしてやっとはっきり見えた二人の姿に茫然とした
大谷は明らかに疲弊しきっていて今にも息絶えそうで、本多は大谷よりは生気が残っているものの、体中から電流が漏れて動けなくなっている

ぐらり、突如空間が揺れる様な感覚に襲われたかと思えば、本陣へ続く一本道を封鎖していた大谷の結界ががらりと崩れ始めた
大谷は「ならぬ…!」と力を振り絞りそれを回復させようとしたけれど、その念も疲弊しきった身体では使いきれなかったのか無残にも結界は音を立てて崩れた

「大谷…!」

「来るな、なまえ…!!」

もう座している事すらままならない様子の大谷の下へ駆け出そうとすれば、包帯が巻かれた真白く細い腕がそれを制し、何故、と問おうとすればその隙を突いて本多が動きだした
大谷にトドメを刺すのかと思いきや、その巨体は真っ直ぐに先まで結界の張られていた道へ向かおうとする

「行かせぬ…主だけはこの手で…!」

「!駄目だ、大谷っ!!」

伏していた身体を起こして、大谷が震える腕を天に翳すと光を失っていた数珠がふわりと浮き上がり、禍々しい程に力を帯びていく
瞬時に駄目だ、と思った
まるで大谷の残り僅かな生気がそれにそそがれている様で、このままでは大谷が死んでしまう、直感的にそう思い叫んだが時既に遅く、大谷の最期の力を籠められた数珠は本多を撃破し、本多が倒れ込んだのとほぼ同時に大谷もドサリと地に伏せった

「嫌だ…どうして…大谷っ…」

「そちらに見えるは西軍の将みょうじ殿と御見受け致す!いざ尋常に覚悟!!」

大谷の死を嘆く間も無く敵将が大声で叫びながら突進してくる
駄目だ、私はここで死んではいけない
必死に相手の刃を交わし、渾身の一振りで薙ぎ倒してから一度大谷に視線を遣って何とも言い切れない悔しい様な悲しい様な思いを噛み殺して、三成の下へ続く道へと駆け出した

ドォン
音がしたのと身体に今まで受けたことの無い痛みが走ったのとどちらが先だったか
駆け出していた足が縺れて転び、砂まみれになった身体を起こそうとするも思うように力が入らない
ふと手を着いている地面を見ればおびただしい鮮血が私の身体の下を流れていた
ずきりと重い痛みを感じて腹部に手をやって初めて自分が撃たれたのだと認識できた

それでも前に進まなければならない理由がある
奥歯を噛み締めながら力の入らない身体を叱咤して立ち上がりまた駆け出そうとすると、背後から数人の敵兵がこちらへ向かってくるのが見えた

戦える、だろうか
ふとそんな疑問が脳裏に浮かび上がる

今まで戦場に立つことに恐怖を感じた事はあれど、戦えるだろうかと思ったことは一度もなかった
戦えるかではない、私は戦わなければならなかったからだ
だけど今は違う
この血の抜けた身体を引きずって戦うことができるだろうかと漠然とした不安が全身を震え上がらせる

ずっと死んでも仕方ないと思いながら戦場に立ってきた、でも今は死んではいけない、生きて三成の下へ行かなければならないと言うのに、身体が動かない
それでも、私は…!

麻痺した指先で刀を握り直す

もう、恐れはなかった





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