女である私の名前は一生変わることはないけれど、男の名前は生涯の内少なくとも一度変わる
私が三成と出会った頃、彼はまだ三成ではなく佐吉と名乗っていた


「佐吉、佐吉、あのね、さっきね、半兵衛様にこの書を頂いたの」

「半兵衛様に?
…フン、貴様如きがその様な物を持っても宝の持ち腐れだろう」

「うん、難しくて所々分からないの
だから佐吉に教えてもらおうと思って」

「馬鹿が、何故私が貴様に…」

「大きくなったらこの書に書いてある兵法を使って一緒に秀吉様の為に戦いたいの!」

「…」


まだ然程背丈の変わらなかった私達は、ほぼ同じ目線で見つめあう事ができた
この頃から既に佐吉の秀吉様への忠誠心はかなりのもので、幼いながらにそれを理解していた私は、佐吉に何か頼みごとをするときは「秀吉様の為」という建前を付けて頼み込んだ

「…私は同じ事は二度言わん、一度で覚えろ」

「うん!ありがとう佐吉!」

私が佐吉と出会った時、既に彼は豊臣の子飼いの中で少し浮いた存在だった
彼の排他的な性格がそうさせたんだろうけれど、それに更に佐吉の優秀さが相俟って他の子達の嫉妬の念を増長させていた
けれど、私は特に佐吉に嫉妬する事も嫌悪感を抱くこともなかった

その強い忠誠心は私には無いもので、秀吉様の為に生きている佐吉とは正反対に私は自分が生きる為に秀吉様にお仕えしていた
半兵衛様の遠縁の者であるというだけで何の身分もない私は、他の子飼いの子らだけでなく、秀吉様の家臣や侍女達にまで疎まれていた
そんな私にとって佐吉は、確かに優しくもないけれど特に私だけに厳しいという事も無く、それに彼は他の子達の様に「女の癖に」「卑しい身で」と言った嫌味を言わないものだから、私にとっては佐吉だけが気兼ねなく話しかけられる存在となっていた


「ありがとう佐吉!やっと全部読めた!」

「フン、」

「お礼に今度私の分のお餅分けてあげるね」

「そんな物は要らん」

この頃から、佐吉は物欲も食欲もない、もっと言うならばあらゆる私欲から遠く離れた存在だった
それが幼い私には不思議で、何故か佐吉のそういう面を見るたびに不安になったりもした

「佐吉は、大きくなったら何がしたい?」

「下らん事を、秀吉様の為に働くことが私の天命だ」

「それだけ?」

あまりにも予想通りすぎる答えに、思わずきょとんとしてしまった
そんな私を見て佐吉は不愉快そうに顔を歪めた

「それだけも何も、それ以外に何があると言う」

「んー…例えば大きなお城が欲しいとか、日本中に名が響くような武士になりたいとか、美人な奥さんが欲しいとか」

「そんな下らぬ物は要らん
…貴様は、何かしたいことがあるというのか」

「したいこと…とは、ちょっと違うかもしれないけど」

ちら、と佐吉を窺い見ると、存外にも佐吉はそれなりに興味があるといった目で私を見ていた
先の口ぶりからして、下らないことだと呆れられていると思っていたから少し意外だった


「幸せに、なりたいなぁ」

「幸せ…だと?」

「私はきっともう家族ってものを持てないだろうけど、その代わりにずっと一緒に居て、安心できて、一緒に笑える人と生きたい、きっとそういうのが幸せだと思うんだ」

「…」

幼いながらにも既に、自分が普通の女として生きていく事は叶わないだろうと分かっていた
それでも、独りで生きる決意が出来るほど強くなくて
だからこそどんな形でもいいから誰かと一緒に生きて、一緒に幸せになりたいと思っていた

「ね、佐吉は私とずっと一緒に居てくれる?」

「下らん、私は秀吉様の為に働くのだ
貴様の事など知ったことではない」

「ふふ、そう言うと思った」

まるで自分に言い聞かせる様に同じ事を言う佐吉に、私は思わず笑ってしまった
だってここで「勿論だ」なんて言うのは佐吉らしくない

私の為になんか生きなくていい
佐吉が想うものの為に生きればいいんだ
そう、思っていた



***




その日佐吉と別れた後、自室に戻ろうと庭を歩いていると後ろから誰かに頭を殴られた
気配を感じて振り返ろうとしたその瞬間のことだったから、殴った本人の顔は辛うじて見えた
知っている、顔
同じ子飼いの小姓の男の子だ
そこまで頭の中で考えてすぐに、私は意識を手放していた



「…っいたぁ…ここ…どこ?」

次に意識を取り戻した時、私は薄暗闇の中に置き去りにされていた
状況を把握しようと倒れていた身体を起こすと、驚いた事に私の身体には縄がぐるぐると巻かれ、腕の自由が利かなくなっていた
辛うじて自由の利く足に力を入れて立ち上がると、すぐにここがどこなのか理解できた

城の外れにあるもうほとんど誰も使っていない小さな蔵
その証拠に塵同然のぼろぼろになった縄や欠けた鍋や鉄器があちらこちらに散乱している
蔵の中は埃が充満していて喉が痛くなる上、窓もないから今が一体夜なのか朝なのかすら分からない

働き出した頭は悪い情報ばかりをどんどん引き出していく
そういえばこの蔵がある場所はほとんど人目が届かなかった筈、そしてこの蔵にある唯一の扉は頑丈で、しかも常時施錠されていた…
試しに扉に体当たりしてみたがビクともしない上、外で僅かに金属が揺れる音がした
という事はやはり扉はしっかり施錠されていると言う事だ

そこまで考えて初めて私は自分の今置かれている状況が如何に恐ろしいものなのかを理解した

「誰か、誰か居ませんか!助けて下さい、此処から出して!!」

ドンドンと扉に体当たりしながらありったけの大声で叫んでみたものの、外からはなんの反応も帰ってこない
それでも、此処から自力で出る方法が見つからない今、私に出来る事は外に助けを呼ぶことしかない、数刻の間私は必死に助けを求めて叫び続けた

「誰か、助け…」

「うるせーんだよ、静かにしてろ!」

「っ!?」

喉が枯れて声が限界に達した頃、外から複数の人の気配がしたと同時に思いも寄らぬ声が返ってきた
それは決して私を助けてくれる救いの声ではなくて、むしろ私を更に恐怖の底へと引きずり込む声だった

「お前が叫んだところで助けにくる奴なんか一人も居ないんだよ!
侍女も大人も皆お前の存在が目障りだって思ってるからな、小汚い女の癖に半兵衛様に媚売りやがって!」

「…」

「お前が死んだところで悲しむ奴なんて一人も居ねーんだよ!」

あぁ、そうか
私をここに閉じ込めたのは小姓達だろうと分かっていたけれど、これだけ大声を出しているのだ、城に居る誰一人気付かないのはおかしいと思っていた
つまり、皆見てみぬふり、聞こえぬふりをしていたんだ

そう分かった瞬間、私の中で何かが弾けた
家族が殺されて、親戚をたらい回しにされて、ここに来て…ずっと堪えていた悲しみだとか寂しさだとか悔しさが一気に爆発して、気付けば涙が溢れていた

「うぇっ、嫌だよ、誰か、助けてぇ!!」

私が泣き叫ぶと、外からは笑い声が聞こえた
ずっと泣くことを我慢していたのに、女々しいと馬鹿にされない為にと堪えてきたのに、溜まっていた感情が噴出するのを自分ではもう抑える事が出来なかった

抗うのも耐えるのも、戦う事ですら疲れた
そう、思った時だった



 
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