空が、明ける
夜の闇を裂く様に山並みの間から差し込んできた一筋の光は、数えもせぬ内に広がっていき世界に眩い朝を連れて来る
もうそんなに時が経ったか

あの日から安眠した記憶がない
元々惰眠を貪ることも身体を休めるのに時間を費やす事も嫌いではあったが、何日もロクに瞼を閉じることなく朝を迎えているのはさすがにこれが初めてだ

夜通し根城にしている城から少し離れた場所で刀を振るっていたが、朝になったとなれば早く用意して東への軍を進めなければならない
こんなところでぼやぼやしている暇などないのだ、私にはもう振り返ることも立ち止まることもできない



「ここに居られましたか、石田殿」

「…何だ貴様は」

城に戻ろうとしたところ、前方から豊臣軍の者と思われる風体をした男が歩み寄ってきた
名は知らぬが見覚えはある
いつかの戦で秀吉様に敗れた愚かな将の配下に居た者で、その豊臣に下り、軍内では小さな隊を率いている男だ

「実は昨日、どうしても見過ごせぬものを見てしまいました故、石田殿にご報告をと」

「いいから早く用件を話せ」

「はっ、実は昨日後援部隊の陣の西方の丘に徳川家康と思わしき人物が」

「何だと…?」

家康が、こちらの様子を見に来ていたのか
私がその場に居れば迷い無く抹殺しただろうと思いながらも、記憶の隅で何かが引っかかる
昨日、後援部隊、丘…

「そしてその場に…みょうじ殿も、」

「なまえが…?」

「間違いありません、あれはみょうじ殿でした
何やら暫く話をして、その後徳川は本多忠勝と共に去って行きました」

「…」

「これはもしやみょうじ殿が徳川と内通しているということではないでしょうか
みょうじ殿は徳川と懇意にしていたと聞き及んでおります、それに…い、石田殿っ!?」


まだ何か喋っている男をその場に置いて城へと走った
何故こんなにも心臓が煩いのかよく分からない
ただ嫌な予感と、嫌悪感が身体の内で高まる熱とは正反対に背筋を冷やす

あの男が嘘を吐いている可能性も有る
だが、あの男が嘘を吐いている可能性よりも、なまえと懇意にしていた家康が戦場でも優秀な働きを見せるあいつを引き抜こうとする可能性の方が多いに高い
そしてなまえも少なくとも家康に対して敵意は持っていなかった、むしろ好感を持っていたとしてもおかしくない

考えれば考える程頭に血が上る
裏切ったのか、嘘を吐いたのかというなまえに対する怒り
また私から奪うのか、という家康への憎悪
その二つの感情が己の胸の中でごうごうと荒波を立たせた


「なまえっ、なまえは何処だ!?」

居城に戻り、荒々しく襖を開けながら廊下を走る私を周りの人間は「ひいっ」と情けない声を上ながら避けていく
何事かとあちこちの部屋から人が出てきて顔を覗かせては、触らぬ神に祟り無しと言わんばかりにその場から逃げていった


「三成?ど、どうしたの一体何事…」

「なまえ!」

「みつ…うぐっ!?」

廊下の角からぱたぱたと駆けて来たなまえを見つけ、目を丸くして立ち尽くすその眼前に歩み寄り、容赦なくその襟元を掴み上げた

「貴様…私に嘘を吐いたな」

「う、そ…?」

「昨日、西の丘で誰と何を話していた」

「っ!?」

尋ねた瞬間顔を真っ青にして今にも泣きそうな顔をしたなまえに心の底から腹が立った
何故貴様がそんな顔をする、そう叫んでやりたい衝動を抑えて掴んでいた襟元を放し、その拍子にぐらりと傾いたなまえの腕を掴んでそのまま引きずる様に廊下を進んだ

「入れ」

「きゃっ、」


城の離れにある陽もあたらない小さな部屋の障子を開くと同時になまえを投げ込んだ
どさりと力なく投げ飛ばされたなまえは起き上がる様子も見せず、倒れた体勢のまま蹲っている

障子をぴしゃりと閉めると、朝方であるにも関わらず部屋の中は薄暗くなった
その暗闇が己の中で渦巻いていた怒りを憎悪の念へと変えていく

静かに歩み寄って蹲るなまえの身体を無理に起こしその顔を覗き込むと、涙こそは見せていないものの、その表情はほぼ泣いているのではないかと思うほどに苦痛に歪んでいた

「家康と話をしていたというのは本当か」

「ほん、とう…」

「一体何を話した、言え」

「…西軍を、抜けて…家康について来てくれって…言われた」

「…っくそ!」


あの男の話も、私の予感も真になった
ぐっと、握る拳に力が入る
それと同時に身体を駆け抜ける殺意
なまえに対してか、それとも家康に対してかは分からん
或いは双方に対してかも知れんが、その殺意は明確に私の身体を電流の如く痺らせた

「家康と内通しているのか、家康に寝返ったのか」

「ちが…」

「私を裏切るのか!!」

先まで己の拳を握り締めていた手で刀を握り、なまえの喉元に差し当てた
刀の切っ先が当たった部分が切れたのか、つう、と白い喉元に紅い鮮血が伝う

なまえは抵抗もせず痛さを訴える事もせず、ただじっと私の目を見ている
その瞳が酷く癪に障る

「ちゃんと、断ったよ
三成を裏切る訳にはいかないって…だから今ここに居るんだよ」

「貴様の言う事など信じられるか!
私に嘘を吐いた貴様の事など!」

怒鳴った拍子に刀が動き、喉元の傷口を広げたのか一瞬なまえは酷く悲痛な表情を浮かべた

「嘘を吐いたのは、ごめん…
本当に悪い事をしたと思ってる、だけど素直に言う勇気がなくて…」

「黙れ!!
最早貴様に言い訳を述べる余地など無い!!」

「…私を、殺すの…?」


なまえの口から思いもしなかった言葉が吐かれて、思わず瞠目した

殺す、私がなまえを
嘗てなら考えもしなかった事だが、先に感じた電流の様な殺意がまた身体を痺らせる

もしこれがなまえでなくほかの諸将達だったならば、事実確認が取れ次第問答無用でその首を掻っ切っていただろう
だから、私が今ここでなまえを殺す事に躊躇いを覚える必要は一つも無い

ならば何故、刀が動かない

ぎり、と奥歯を噛み締めるが一向に刀を動かせる気がしない
私の目を真っ直ぐに見据えるなまえの目には、もう悲痛さも困惑も動揺の色すら窺えない、何かを覚悟した様な澄んだ目の色が幼い頃の記憶を思い出させる

「…貴様は、暫く牢に入れる」

「え…」

「これ以上、私を乱すな…!」

首に当てていた刀を鞘に収めると、真白な首筋に出来た紅い傷がこの仄暗い空間でくっきりと浮かんで見えた

家康への憎しみと秀吉様を失った空虚だけで動いている今の私にとって、なまえの存在だけが微かに心情を動かすものとなっている事に気付いた
殺したくは無い、だが裏切りを許せない
私の側から居なくなる事など認めない
…まさか、私はなまえという存在に固執しているのか

揺らぐ心など戦場においては邪魔なものでしかない
心など、無用なのだ

「後で刑部を此処へ呼ぶ、貴様は刑部の言う通りにろ」

「…分かった…三成、」

「…」

「ごめん…ね」

踵を返して部屋を出ようとしたところで、背後で何かが落ちる音がした
ぽたり、と涙か…或いは血の落ちる音が


ぐらり、揺らいだ心に舌打ちをする
振り返らずに部屋を後にすると、先に感じていた憎悪でも殺意でもない嗚咽が漏れる様な嫌悪感が身体の底から沸きあがってきた

この嫌悪は、一体何に対してのものか

なまえか、家康か、それとも己自身か
その自問自答にすら嫌悪を感じ、振り切る様に刑部の元へ進む足取りを速めた


















僕は君を嫌いになった
募る嫌悪感は、罪悪感に似ていて
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