▼光か闇か

三成が結婚してから間も無く、仮初の平穏は終わりを告げた。
今まで睨み合い状態だった豊臣の敵国が、とうとう刃を剥き出しにして攻めて来たのだ。


「鉄砲隊は南方の丘に、北から攻めてくる敵を退き付けてそこで一気に叩こう」

「承知致しました」


私は戦場の最前線に立っていた。
常ならばこうして指揮を執るのは半兵衛様なのだけど、お体の具合が本格的に良くないようで、だからと言って秀吉様自らこんな前線に出るわけにはいかない。
そこで選ばれたのが私だった。
三成はここから南へ下がった本陣近くの砦を守っている

辛い戦では無い、そう踏んでいる。
敵は戦巧者ではなくその攻め方はかなり短絡的で、兵力に於いてやや優勢な豊臣が負けるはとても思えない。
…だけど、ひとつ気になる点があるとすれば、この一見劣勢の中でも敵方の士気が全く衰えず、それどころか余裕さえ感じる事だった。

私は戦場経験は多いけれどこんな先陣の指揮を執ったことはほとんど皆無に近い。
私みたいな「女」の指揮官では大軍の指揮はできない、将が女では士気が上がらないのだ。
幸い、今のところこの隊の兵達は大人しく私の指示に従ってくれているけれど。
けれど、あまり戦を長引かせるとどう転ぶか分からない、なるべく早く終わらせなければ…そんな事を馬上で考え込んでいると、私の補佐を命じられた家臣が馬を並べてきた。


「鉄砲隊への合図は何時頃出されますか」

「このまま南に下ると橋がある…そこを越えるとすぐ三成の砦がある。
そこまで下がるわけにはいかないから、橋の手前辺りまでおびき寄せてそこで叩こう」

「承知致しました」


三成の砦までこのまま兵を連れて行くわけにはいかない。
今日の布陣を聞いた時から、できるだけ全て私の部隊だけで事を済ませたいと思っていた。

三成と奥方となった女性が上手くやっているのかは知らないけれど、何と言ってもまだ新婚の身である三成を死地へ追い込むようなことはしたくない。
三成の心を裏切ってまで、それでも違う幸せを見つけて欲しいと私がしたことなのだから、責任を持って三成に平穏な幸せを手にして貰わなければならない。
奥方だってまだまだ若いのだ、未亡人にしてしまうのはあまりに酷過ぎる。

…でもそうやって私のしてきたことが、全て正しいとは思っていない。
私は自分が「そうなりたい」と思った幸せを全て三成に押し付けているだけなのだ。
三成がそんな平穏を望んでいるとは限らない。
今だって、三成は私に守られることよりも戦場に出て功績を上げて秀吉様に認めて欲しいと思っているに違いないのだから。


前線で戦う兵達を見ながら漠然とそんな事を思案している内に、視界に鉄砲隊の控える丘と南へ続く端が見えた。
戦況は悪くない、この状況で味方の奇襲が入れば形成は確実に逆転する、北へと追い返すことが出来る筈だ。
私はひとつ深い呼吸をしてから、ゆっくりと合図の旗を揚げさせた。


「うわああっ!?何だ、この銃撃は!?」

「あれは…っ、!?何故、ぐはっ」


合図と共に戦場に銃撃音が轟く。
そして戦場を駆けていた兵士は次々銃弾を打ち込まれ、赤い血を流して倒れていく…ここまでは予定通りだった……ただひとつ、その倒れていく兵士が「豊臣の兵士」だということを除いては。


「な…何で私達の隊に銃弾が…っ!?」

「隊長!た…大変です!!鉄砲隊を率いていた者が敵方に寝返ったと、今知らせが…!」

「寝返った…!?」

「それに乗じて複数の隊が裏切り!今我々の部隊は完全に孤立状態となっています!」

「嘘でしょ…」


ぞっと背筋が粟立つ。
一気に迫ってくる恐怖。
辺りを見渡せば、丘からの銃撃は今も尚続いていて、次々に兵士達が倒れていく。
そしてその兵達を踏みつけるようにして、裏切りをした豊臣の兵がこちらへ攻め込んでくる上に、混乱した兵達はどんどん南へと流れてくる。

そのあっと言う間の惨劇に、私はほぼ言葉を失っていた。
手が、震える。
本当に何度戦場に立とうとも治らないこの弱さは、私が女だからなのだろうか。
女だから、弱いのだろうか。
だったら何故父は私を武士に育てたんだろう。
私は、特別な子どもなんかじゃなかった、特別な運命なんて持っていない。
私は、砲撃音に怯え、死の恐怖に震えるただの女なのだ。

南へ南へと押し出され、私の前方遠くには既に橋が見えていた。
その橋を見て、私は一気に目が覚めた。

このままあの橋を越えたらどうなる?
三成の砦にはこの銃撃と敵数に耐えられるような備えがしてあっただろうか?
……三成が、危ない


「どうしますか隊長!石田殿の救援を呼びに行かせましょうか!?」

「駄目だ!
今三成が砦を空ければ、それに乗じてまた違う者が裏切って砦を占拠するかもしれない」

「では一体…!?」

「…このまま橋へ引き付ける」

「その後は…」

「その後は、私が片を付ける。
だからなるべく多くの敵兵を橋へ誘き寄せる、それだけでいい。
味方は私より先に橋を渡して南へ下らせて欲しい、私が前線で抑える。
最後は、事前に言っていた最終手段を発動させてくれれば良い…たとえそれがどんな状況でも、私の合図に従って。」

「……はっ」

「それと誰か本陣に使者を…本陣から南の砦に応援を出すように伝えて!」

「承知致しました!」


それだけを言い伝え、私は退いて来る味方の合間を縫うように敵と衝突している最前線へと馬を進めた。
皮肉な事に、私の指揮能力はこんな窮地で初めて発揮されるものだったらしい。
過ぎていく兵達は誰も私を振り返らない。
私は、幾つもの死体を越えていく。

あぁ、やっぱり戦は嫌だ。
こんなものとは無縁の人生を送りたかった。
そう思う私の顔は、自然と笑っていた。

私は女として三成を幸せにしてあげることが出来なかった。
だけど、今、初めて私は三成の為に生きる事が出来る。
女としてではなく、武士として。
それが酷く滑稽で、可笑しかった。


「豊臣の兵は早く南へ下って橋を渡れ!」

「!あれがこの隊の長だ!討ち取れ!」


最前線に入りわざと大声で指示を下した私に、どっと殺気が向けられる。
襲い掛かってくる兵士と、頭上から降り注ぐ銃弾を必死に交わそうとするけれど、私はそんなに器用ではない。
幾つかの銃弾を腕や肩口に浴び、槍兵に突かれて馬から落ちてしまった。
それでもここで尽きる訳にはいかず、必死の思いで立ち上がり、迫り来る兵達から逃げるように一転して南へと下る。

銃弾を浴びた部分に焼けるような痛みが走る。
落馬した時に全身を強く打った所為か、上手く力が入らない。
だけど、今何より痛むのは、もう瘡蓋もとれて赤い痕だけが残る三成に斬られた頬だった。

走りながら、目の前の恐怖から逃げるように私は三成のことだけを考えていた。
私は、三成さえ居れば幸せだった。
だから三成が私を女として求めてきた時も、不思議なくらい葛藤が無かった。
ただ三成が私を求めてくれるのが嬉しかった。
三成は、私に触れている間は戦場から解放されると言ったけれど、私の場合は三成に触れられている間だけが本当の自分で居られる時間だった。

私を扱う時、三成は驚く程優しかった。
普段の凶暴さからは想像もつかないほど、私が辛くないように、想いが融けるように優しく触れてくれた。
だから三成、今度はその優しさを自分の為に使って欲しい。
私を傷つけない為じゃなくて、自分を傷つけない為に。


「橋まで追い詰めろ!!追い詰めて弄り殺せ!」

「…っ、皆は…橋を渡ったな…」


伝える事のできない叫びを心の中に仕舞いこんで、現実を見据える。
目の前には橋がある、そしてその先には味方の残兵達が息を飲んで待ち構えている。
私は一気に橋へと駆け出し、それを追って敵兵がどんどん橋へと足を踏み入れる。
橋は古く、吊橋である為に人が増えれば増えるほどギシギシと音を立てて不気味に揺れた。

敵兵を誘い込みながら南端へと走る中、遂に背中に猛烈な痛みを感じた。
恐らく銃弾が当たったのだろう、だけど振り返らない、私は、今ここでしなければならない事がある。
一歩、橋を越えた地点に足を踏み入れて私は力の入らない体を叱咤して口を開いた。


「今だ!!縄を切れ!!」


私の叫び声と共に、南に渡っていた兵達が橋の縄を切った。
ブツリと鈍い音が響くと同時に、橋は大きく傾き、橋の上にいた敵兵もろとも崖の下へと吸い込まれていく。

その光景を確認し終えると同時に、私は視覚を失った。
体にも力が入らず、何も聞こえない。
痛かった体はもはや何の感覚も無く、まるで意識だけが虚しく浮いているような感覚。
そしてその意識も、途絶えようとしていた。


「みつなり…」


声は、出ているのか分からない。
ただ私は浮かぶ意識の中で呼び続けた。


「三成…ありがとう」


何かが崩れ落ちるような音が聞こえた気がした。
そしてそれを最期に、私は意識を手放した。







光か闇か