▼欲か情か 見えているものから目を逸らす事が出来る程私は器用な人間ではない。 むしろ他人には「不器用」だと言われる事が多い。 だが、今見えているこの現実に真正面から向き合えているかと問われれば、その答えは必ずしも是ではないだろう。 …それくらいの事は、解っていたのだ 「…行くの?」 「あぁ」 「そう…」 「…」 身体を起こすと僅かに倦怠感を感じる。 光一つ灯していない暗闇の空間の中でも、目は闇に慣れていて、褥に横たわるなまえの姿ははっきりと認識することが出来た。 なまえに背を向けて畳の上に無造作に広がっていた着物を纏い、袴を履いていると酷く気だるげななまえの声が静寂に静かに響いた。 いつもならば起きていても何も言わずにいるなまえがどうかしたのか、と思い振り返れば、なまえはゆっくりと起き上がり、着崩れた夜着の袷を直すことも無くどこか虚ろな目でじっと私を見据えた。 「どうかしたのか」 「ううん…ねぇ、三成」 「何だ」 「私以外にも、居るの?」 「…何がだ」 「こういうこと、するひと」 小さな口から零れた言葉に、思わず瞠目する。 「こういうこと」が何を示すのか分からないほど私は馬鹿ではない、が、何故今日いきなりなまえがそんな事を私に問うてくるのかは全く分からなかった。 同じ小姓上がりの、幼馴染みの同僚 私達の表向きの関係を表すならばそんな下らない関係が適当なのだろう。 だが、私達はとうの昔にそんな関係は捨ててしまった。 いつからかは覚えていない、だが、成長するに連れて女になっていくなまえへの情が抑えられなくなったのは3年ほど前だった。 他のどの女でも良かった訳ではない。 色情に負けたわけでもない。 ただ、何故か、なまえに触れたくなり、その身を全て私に捧げさせたくなった。 それだけが始まりの理由だった。 それに加えてなまえは最初から私に対して強烈な抵抗を一度も見せなかった。 あまつさえ黙って私の全てを甘受するような素振りを見せるものだから、遂にこの関係は今まで終わりを見せる事無く淡々と続いてきた。 今日、この時までは 「何故そんな事を訊く」 「何となく、ちょっと気になって」 「……貴様以外など、居ない」 「…そう」 私達の関係は幼馴染みでも無くただの同僚でもない。 では何だと問われれば答えに詰まる。 こうして重ねあう夜に限って言えば男女の仲であるが、しかし恋人同士かと問われればそれは否定しなければならない。 愛だの恋だのといった下らない依存感情は、強さを求める豊臣にはあってはならないものだからだ。 相槌を打ったきり何も言わなくなったなまえに再び背を向ける。 私の部屋になまえを呼んだ夜は、他の誰かに露見しては事が厄介になる為、闇の濃い内に私が先に部屋を出て執務室へ向かう。 そしてなまえがその後を片付けて自らの部屋へ帰る。 完全に私の部屋を空室にしてしまうのは、部屋に残る香りを消す為だ。 外に人の気配が無いのを確認して、障子を開けた。 閉める前に一瞬部屋の中を振り返ったが、なまえはもうこちらを見てはいなかった。 ・・・・・・・・・・ 「三成君、ちょっといいかな」 「何でしょう半兵衛様」 「秀吉が君に折り入って話があるそうだから、ちょっとついてきてくれないかな」 「畏まりました」 なまえが妙な事を聞いてきたその日の昼の事だった。 執務室で山積みになった戦後処理の書状や法整備の案を纏めていると、半兵衛様が直々に私を呼びに来られた。 半兵衛様はこのところ御身体の調子が芳しくないらしく、あまりお姿を見かけていなかったが…その半兵衛様が直々に私を呼びに来られたということは、よほど重要なことなのだろう。 そう思い、秀吉様の居られる御殿へと上った私を待っていたのは思いもしないお言葉だった。 「…私が、ですか」 「うむ、宇多家は秀長の家臣筋だが、豊臣家家臣の結束を固めるのに丁度良い縁談だと思ってな」 「それに宇多家の長女は真田に嫁いでいるからね、その真田家と豊臣の重臣である君が姻戚関係になるのは今後の事を考えても良い事だと思うんだ」 未だ嘗て秀吉様や半兵衛様から掛けられた言葉で、これ程衝撃的だったものはない。 否、ある意味至極当然の話だと言って過言ではない。 お二方の言うとおり、私の婚姻が豊臣の結束力の一端になるのならばそれを甘んじて受け入れるべきなのだ。 …だが、どうしても頭の中ではその「当然の道理」を受け入れる事が出来ない。 今日、つい先夜なまえに触れていた記憶がまざまざと蘇る。 他の女を迎え入れるとすれば、もう今までのようななまえとの関係は続けられなくなる。 それ以前に、私はなまえ以外の女を「女」という価値意識の下で見た事が無い。 受け入れられる筈が無い、なまえ以外の女など。 「…三成君、これは本当は言わないでおこうと思ったんだけど…」 「半兵衛、」 「ごめん秀吉、でも…なまえ君の気持ちも理解して欲しいからね」 「なまえ…?」 鎮痛な面持ちで半兵衛様が口にしたのは、なまえの名。 何故今ここでなまえの名が挙がるのかと疑問を抱くと同時に、もしやなまえとの関係が露見していたのではと背に嫌な汗が走った。 「この縁談を持ってきてくれたのはね、なまえ君なんだよ」 「なっ…!?」 「君の豊臣に対する忠誠心はよく理解しているつもりだよ、僕達もそれを高く評価している。 勿論縁談そのものも豊臣にとって利があるし、君に子が出来れば今後の豊臣を支える柱にもなってくれるだろう。 …それに何より、なまえ君が君を心配している」 「心配…」 「そう、心配だって言ってたよ。 それが具体的に何なのかは僕には分からないけど…まぁ、幼馴染みとして色々思うところがあったんじゃないかな」 「…」 半兵衛様の言葉は、まるで私となまえの関係を暗に知っているようにも聞こえなくは無かったが、当の私はそんな事に構っていられる状態ではなかった。 思考が完全にその機能を果たさなくなっていた。 何故、何故だ、そう考えれば考える程に思考の糸は絡まっていく。 怒りでも、悲しみでもない。 否、怒りに果てしなく近い激情が胸の奥で渦巻いているのを必死で抑えつけた。 今目の前に居られるのは半兵衛様と秀吉様だ。 こんな感情をぶつけて良い相手ではない。 「…そのお話、謹んで承ります」 「君ならそう言ってくれると思ったよ」 深くひれ伏して秀吉様からの命を受ける。 これで、いい 私の姻戚関係如きが豊臣の、秀吉様の為になるならば惜しみなく差し出す。 これで、いい 胸の内に渦巻く憤怒の感情を必死に押し込めてその場を退出し、私は直ぐに思い当たった場所へと向かった。 → |