▼罪か愛か

私の生まれた日、その日は私の家にとって特別な日だった。
私の生まれた日、父が仕える殿様にご嫡男が生まれた。
私を生むと同時に母は力尽き、戦場で父が大きな功績を上げた。
一家で一番最初に生まれた私の数奇な誕生話を父の仕えていた殿様は大層気に入ったらしく、女である私を武将として育てるように父に命じた。

私の運命は、生まれたその日に既に何かが狂っていた、それだけの話だった。







涙色






「ふぅ…これで大体は収まったかな…」

「なまえ、」

「三成!どうしたのこんな所まで」

「私の持ち場に居た敵を斬滅し終えたから来てみたが…必要無かったようだな」

「うん、まぁ何とかね」


にこりと笑顔を向けてみれど、三成は表情をぴくりとも動かさない。
その真っ直ぐな瞳が映しているのは、今しがた私が、私が率いた軍が殲滅した敵の骸の山。
残兵達は既に退却していた様で少し安心した。
もし逃げる敵兵の後ろ姿など三成に見つかっていたら、彼等も私も只では済まなかっただろう。

三成の持ち場はこの戦の要所だった筈だから、そこが片付いたという事はおおよそ戦は終息へ向かっているのだろう。
これで今日はもう城に帰れるかと思うと肩に入っていた力がすっと抜けていくような気がした。

何年、何度戦場に足を踏み入れたか数知れないというのに、未だに戦場特有の狂気と熱気が恐ろしくてたまらない。
そんな事を言えば「所詮は女だ」と馬鹿にされるから決して口にも態度にも出さないけれど、出来れば早く太平の世が訪れてこの恐怖から解放されたいものだと心から思う。


「……なまえ、水を飲んでおけ、これも食え」

「え?何で?どうしたの急に」

「顔色が悪い、そんな顔色のまま秀吉様に謁見するなど無礼だ」

「…そっか、ありがとう」


唐突に三成が私に差し出したのは、腰に携えておく兵糧と竹筒に入れられた水。
三成もこんなものを持っていたのかと少し違ったところに驚いたけれど、恐らく馬に携行してあったものだろう、三成は身軽さを重視するから荷物になるものは一切身体に付けない。

そしてそんなものをわざわざ私に差し出す三成には、私の弱い心の内なんてお見通しなんだと思う。

私がまだ幼かった頃、主君を戦で失った父は豊臣秀吉という人の下に仕官を決めた。
豊臣秀吉…秀吉様は、父の働きをよく認めて下さり、その娘で武士として育てられていた私にも何かと目をかけて下さった。
そして数年後、丁度父が戦で死んだ頃、私は佐吉と名乗る少年、今の三成と出会った。
そして共に秀吉様の子飼いとして育てられた私達は、言わば幼馴染みというものに該当するらしく、他の者達とは少し違った空気を共有することが出来るのだ。

…尤も、それだけの関係だとは断言出来ないけれど。


「三成、これ」

「?どうした」

「返り血すごいよ、秀吉様に会うなら少しでも拭いてからにした方がいいんじゃない?」

「…フン」


差し出していた手ぬぐいは、三成がそっぽを向くと同時に奪い去られた。
三成の白を貴重とした装束では、血の赤が恐ろしい程目立つ。
その織り込まれた美しい藤色でさえ、いまは赤に侵食されて優美な色がどことなく暗い色に見えるほどだ。

だけど不思議とそれを纏っている三成は、全く穢れている風に見えない。
見慣れたからだろうか、それともこうして血潮を浴びて戦場に立つ事が彼の生まれ持っての命運だったからだろうか、それは分からないけれど、とにかく三成はこの荒廃した戦場で唯一汚れていないものに見えるのだ。


「会議が終わったら私の部屋に来い…話がある」

「…ん、分かった」


白い顔に散っていた赤を拭いながら、三成は事務連絡でもするかのように、まるで何でもないことのようにそう言う。
それに適当に相槌を打つと、返り血を拭い終わったのか三成は手ぬぐい放り捨てて、近くに待たせてあった馬に跨った。
恐らく秀吉様に戦勝の報告でもしに行くのだろう、私も早く片付けて後を追わないと、と自らの装束を正していると、馬に跨ったまま三成がじっと私を見下ろしていた。


「?何?どうかした?」

「いや……何でもない
貴様も早く来い、秀吉様を待たせるような事は許さない」

「うん、すぐ追いつくよ」


だから先に行ってて、と言い終わらない内に三成は馬の腹を蹴って駆け出してしまった。
どんどん小さくなっていくその背を見送りながら、私は所々に煙の立つ荒れた戦場をぼんやりと眺めた。

いつかきっと、私もここに転がる骸の一つになってしまう。
それならばそれで、いい。
女として生きる術無く育った私にとっては、それが一番自然な朽ち果て方だろう。
それなのに、いつからだろうか
太平の世を願うようになったのは。
世が変われば私も変われるかもしれないと思うようになったのは、そんな希望を抱くようになったのは。

もう見えなくなった白い後姿。
三成は、真っ直ぐ進むことしか知らない。
だから、きっと、罪の意識など微塵もない。
人を殺す事にも、私を生かす事にも。






・・・・・・・・・・





「三成、私だけど」

「入れ」


その日、戦後の会議が終わり全てが片付いたのは、既に陽が山向こうに沈みきった後だった。

静まり返った三成の部屋の障子をそっと忍び込むように開ければ、部屋の主は袴姿で一つだけ灯された灯りの前で読書をしていた。
そっと障子を閉めると、書に向けらていた鋭利な三成の瞳がすっと私に向けられ、それに応えるようにそっと三成の側まで近寄った。


「何読んでたの?兵法書?」

「それ以外に何がある」

「いや偶には巷で流行の物語とか、軍記ものとか…」

「フン、下らん」

「…三成は戦が終わっても戦場に居るよね」


寝る間も惜しみ、食事に裂く僅かな時間さえ厭う。
着物姿はいざと言う時動きづらいからと、自室に戻って尚袴姿でいる。
まるで常に見えない何かと戦っているようだと、少し皮肉を込めてそう言えば、三成は読んでいた書を静かに閉じて、闇によく輝く金色を帯びた瞳でじっと私を見据えた。


「そうかも知れんな」

「え…?」

「私は、戦場で生きるしか能がない」

「そ、そんな事ないよ
三成は政治面や経済面でもよく働いてるって半兵衛様が仰ってたし」

「…そうか」

「うん」


まさか私の皮肉をそっくりそのまま真に受けるとは思いもしなかったので、少し慌てた。
三成は始終落ち着いている様子でじっと私を見ている。
感情がそのまま顔や態度に出やすい三成にしては、こうして何の感情も見せず物静かでいる事自体珍しい。

何だか気まずくなって視線を畳の上に落とすと、三成が微かに動いた気配がして、次の瞬間には視界に何も映らなくなってしまっていた。


「み、三成…?」

「…分かっているだろう」

「…」

「私が戦から解放されるのは、この一時だけでいい」


視界に何も映らなくなったのは、この部屋唯一の灯りだった炎を三成が吹き消したからだった。

闇に慣れた目が、黒の空間に浮かび上がる三成の姿をぼんやりと映し出す。
外からの僅かな光を反射した三成の瞳は、戦場で見せる無機質な熱を持ったそれとは違い、明らかな情念の熱を映し出している。

そう、分かっている。
この部屋に呼び出されるのがどういう事なのかなんて、分かっていた。

すっと伸びた三成の手が私の肩に掛けられ、そのまま無抵抗の私の身体を後ろへと押し倒す。
とさ、と仰向けに倒れた私の上に覆いかぶさる三成は、そのまま私の首元に顔を埋めた。


私と三成は、幼馴染み
でも、本当はそれだけじゃない
こうして体を重ねるのは決まって戦の後、もしかしたら戦後の昂ぶった熱を抑えきれないだけなのかもしれない。
だけど知っているのだ。
きっと巷ではこういう関係のことを「恋人」という事も、三成がどういう感情で私の肌に触れているのかも、本当は全部知っている。
そして三成にとって絶対な存在である秀吉様が、こうした情を嫌っていらっしゃることも。
だから私達は余計な事は何も言わない。
この行為に何の情も挟んではいけないのだ。


触れられる肌が外気に晒され冷える間も無く熱を帯びていく。
私は三成が好きだった。
きっと三成も私のことが好きだった。
だからこのままでも充分私は幸せなのだ。
普通の女として生きる事を禁じられた私が、想い人と身体を重ねられるなんて身に余る幸福なのだから。


「なまえ…」


三成が、私の名を呼ぶ。
それが、それだけが私が女であることを証明するのだ。


「…三成」


だからこそ、終わらせなければならない。
一時しか貴方を戦場から解放できない私では、三成を幸せにすることなんて出来ない。
だから、許して
明日、私が貴方を裏切ることを


静かな部屋に微かな衣擦れの音と、吐息が響く。
不意に外から聞こえた奇妙な鳥の鳴き声は、果たしてツグミかそれとも鵺か。
それは、私にも分からなかった。







罪か愛か