▼If you keep waiting to be happy, that's never going to happen ・・・・・・・・・・・ 「晴久様、此処に居られましたか」 「あぁ、なまえか」 毛利と尼子の停戦から半年が過ぎた。 停戦の和議や今後の方針について毛利との協議が終わり、互いに支度を整え終えてなまえが尼子に嫁入りしたのは停戦から四ヶ月が経った頃だった。 さすがに嫁入りの際に元就が同行してくる事はなかったが、毛利家の娘として盛大に送り出されたなまえを迎えた晴久は、儀礼など構わず自ら花嫁引渡しの場まで参上して、その場でなまえを抱擁した。 なまえも最初は驚いていたが、この数年に及ぶ苦悩と寂しかった想いが胸に過ぎったのか、晴久の胸に縋って誰が見ているのも構わずに盛大に涙を流した。 野の真中で抱き合う一国の主と姫を咎める者はどちらの家中にも居らず、むしろ皆この二人の想いを察してか涙を流す者まで居た。 何にせよ、晴久となまえの婚礼は無事に済まされた。 そんななまえの嫁入りから二月が経っている。 陽が西に沈み月が闇夜に浮かんだ頃、晴久の姿が見えない事に気付いたなまえは城を探し回り、自室からやや遠い中庭でその姿を見つけた。 「こんな所で一体何をされているのです?」 「いや…そう言えば覚えてるか?此処で昔三人で歌詠みの真似事をしたのを」 「えぇ…覚えております お兄様と晴久様が歌の事で喧嘩されて経久様に叱られたことまで」 「…よく覚えてんじゃねぇか」 まだ尼子と毛利が敵対していなかった頃。 晴久と元就となまえ、三人でいつまでも仲良く遊んでいられると信じて疑わなかった幼い日を思い出してか、なまえはくすりと笑みを零した後、遠い目で明るい月を見上げた。 「思えばあの頃から晴久様とお兄様は馬が合わなかったけれど…それでも、まさか刃を合わせるような日が来るなんて思いもしていませんでした」 「それは…俺もそうだ」 「何故こうなってしまったのか、どうして晴久様とお兄様が戦をせねばならないのかと…そればかり考えていました」 「…」 「けれど本当は分かっていたのです 誰も戦など望んでいない、時代が…偶々そういう時代で、私達の家がその流れに抗えなかっただけの事だということを」 「なまえ…」 分かっていた、誰も悪くなどない事を。 だからこそなまえは救われなかった。 兄と想い人が敵対し、いつどちらがどちらかの命を奪うか分からない状況というものを想像して、晴久は心が詰まる程苦しくなった。 なまえがどれだけ苦しんだのかは想像に難くない。 勿論晴久自身も苦しんだが、恐らくなまえの苦しさとはまた別のものである。 なまえは尼子に嫁いできてからもその日々の事に関して何も言おうとはしなかったが、昔を思い出して気が緩んだのだろう、月を見上げる横顔に悲愴の色が浮かんでいる。 それを見かねて晴久がそっとなまえの肩に触れると、なまえはそのまましな垂れかかるように晴久の胸に顔を埋めた。 「何度も泣きました、それこそ涙が涸れる程に。 毛利の皆にも迷惑をかけました、心配もかけました…お兄様にも」 「あぁ」 「もう泣きたくはありません。 この幸せな時が永遠に続くとは限らないと分かっています、でも、そう信じたい…」 「…心配する必要ねぇさ 俺も、アイツも…もうなまえの泣き顔は見たくねぇからな」 晴久の胸に埋められていたなまえの頬を晴久の手がそっと包んで上を向かせると、なまえの目には今にも零れ落ちそうな涙がゆらゆらと月明かりを反射していた。 晴久の指がそっとなまえの目元に触れれば、その涙はすうっと頬を伝い落ちていく。 その涙を辿るように晴久はなまえの頬にそっと唇を寄せた。 「俺も、もう逃げたりしねぇ 目の前のお前と、尼子の為に俺が出来る事を精一杯やるさ」 「晴久様…」 「だからお前は俺の側で笑ってろ、それが尼子の為にも毛利の為にも…俺の為にも一番良い」 もしなまえを泣かせたりしたら毛利と戦になるかもしれねぇからな、と晴久が茶化すように付け加えると、なまえは涙痕の残る頬をほんのり赤く染めて嬉しそうに笑った。 なまえも晴久も、自分の境遇を不幸だとは思っていない。 乱世に生まれ、かつての友や恋人が敵となることなど恐らく珍しくは無い事だ。 なまえの涙はその中でも懸命に想いを貫いた証、なまえの笑顔は、晴久を筆頭になまえを想う人物がその想いを実らせた証。 誰もが懸命に幸せになろうとして懸命に足掻いた証だろう。 再び寄り添うように晴久に抱き締められたなまえの頬からは、涙痕が跡形もなく消え去っていた。 If you keep waiting to be happy, that's never going to happen. あとがき |