DC


満開のシレネと踊る


目が合った瞬間、運命だと思った。



***



私が彼、安室透に出会ったのは雨の降る日の夜。己のミスでは無いことを理不尽に怒られた私は、何も言えずにただただ聞き入れるしか無かった自分の不甲斐なさに泣きそうになりながら、フラフラと街を宛もなく歩いていた。そして悪い事は重なるもので、パンプスのヒールはポッキリと折れ、その衝撃で思わずバランスを崩すとその場に倒れ込む。悲劇のヒロインになるつもりは無かったのに、立ち上がることも、投げ出された傘を拾うことも出来ずに座り込んだままの私を、道行く人は奇異な目で見て通り過ぎていく。頬を伝う水は天から降り注ぐ雨なのか、それともいつの間にか流れていた涙なのか、自分でも最早判別がつかなくなっていた。

そんな、誰もが避けて通るような私に声を掛けたのが奇特な人物が彼だった。

「大丈夫ですか?」

風邪、引きますよ。
そう言って差し出された傘。その手を追って視線を上げると、青灰色の瞳とぶつかる。
どうして。
どこぞのアイドルかと思うほどの甘いマスクと手触りの良さそうな金糸の髪を持つ彼が、濡れ鼠同然の私なんかに傘を向けているという事実に思考回路が追いつかない。

「もしかして足、怪我されてます?」

何も言わずにただ見つめ返す私に、立てないのではないかと言う疑念を浮かべた彼から再度声がかかる。その言葉に我に返ると、慌てて首を横に振った。ヒールは折れているが、怪我はしていない。慌てるあまりちゃんと言えたか怪しかったが、どうやら伝わったらしい。

「それはよかった」

そう言って今度は傘を持つ手と反対の手が私の目の前に差し出される。その手に誘われるように、気付けば私も手を伸ばしていた。笑顔と共にその手が引かれた瞬間、湧き上がる感情。運命なんて、そんな安易な言葉信じていなかったけど、今なら言える。私はきっと彼に会うために生まれてきたんだ。ふわふわとする感覚の中、そんなことを本気で思った。



***



それから暫くして、私と安室さんは所謂恋人という関係になった。一方的に私が思いを寄せているだけだと思っていたのに、彼の方から交際の申込みがあった時には幸せすぎて事故るんじゃないかと本気で考えたほどだ。
それくらい嬉しくて舞い上がっていたのに。
そんな幸せは長くは続かなかった。

季節がいくつか巡るほどの時間に反比例するように幸福感は減り、比例するようにじわじわと不安感だけ増していく。
そして、厄介なことにその原因が何なのかはわかっているのだ。待ち合わせからのデートでは手を繋いで歩いた。彼の運転する愛車の中ではキスもした。私の広くないアパートに招いて、私よりも何倍も上手い彼の手料理も食べた。そして一緒に迎えた朝だってそれなりだ。

それなのに。
私が彼について知っていることと言えば、年齢とポアロと言う喫茶店でアルバイトをしながら探偵をしているという程度。そんな情報、彼と少し付き合いのある人なら誰でも知っている。家族構成だって、好きな食べものだって知らない。過去に一度、安室さんの家に行ってみたいと言ったことがあるが「男の一人暮らしなので女性を上げれる環境じゃなくて・・・」とすまなさそうに微笑まれて躱されたきりだ。


<お客様のおかけになった電話は現在電波の・・・>
「やっぱり、出ないよねぇ」

もう何度聞いたかわからない機械的な音声に、通話終了ボタンをタップして端末をベッドの上に放り投げる。探偵をやっていると言う彼にこちらからの電話が繋がることは殆ど無い。数日前にやっとの思いで繋がったと思えば、仕事中だったらしく早口で「必ず後でかけるので、待っててくれますか?」との返答。そう申し訳なさそうに言われてしまえば、それ以上何も言えず「気をつけてくださいね」と言って通話を終えるしか出来なかった。

「いっそ別れられたら楽なのに・・・」

思わず漏れたその呟きは誰に聞かれるでもなく空気に溶ける。
こんなに不安で悩むくらいならいっそ別れてしまえばいい。連絡もつかずに会えない夜が続く度にそう思った。それなのに、いざ安室さんに会うと「さよなら」の一言が出てこない。そのかわりに「私のこと愛してる?」なんて面倒臭いことを言い出す私に、彼は少し眉を下げて困ったように笑う。そして私を抱き寄せながら「もちろん愛していますよ」と甘い言葉を囁くのだ。

そんな言葉を毎回信じてしまう私はきっとどうかしている。現に仲の良い友人からは何度も忠告された。そんなに電話が繋がらないのはおかしい。会いたい時に会えない彼氏なんて、そもそも探偵というのが怪しい。頭ではわかっているのに、心がそれを認められない。悩みすぎて飲めなかったコーヒーは既に冷え切っていて、それがなんだか私達二人の関係を表しているようだった。

「っ、もう・・・無理だよ、安室さん・・・」

冷たくなったマグカップを見つめて名前を呼んだ瞬間。放り投げていた端末から着信を告げる音が鳴り響く。慌てて手に取ると、そこには先程呼んだ彼の名前が表示されている。待ち望んでいた筈なのに、タップする指は震えていた。

「もしもし・・・」
「瑠依さん?夜遅くにすみません。もしかして起こしてしまいましたか?」
「ううん、起きてたから大丈夫」

そうですか、よかった。
スピーカーから聞こえる声は本当に私のことを心配してくれている風で、また心が揺れる。今回の連絡が遅れたのは、少し厄介な依頼をこなしていたためだと謝る彼に、おつかれさまと労りの言葉をかけるのは何度目だろう。仕事の内容は守秘義務もあるため教えてもらえず、彼の言っていることが本当かどうかすら私にはわからない。

「安室さん、いまどこに居ますか?」
「いまですか?クライアントに報告を終えて、車の中ですよ」

急にどうされました?
私の脈絡のない言葉に安室さんから不思議そうな声が聞こえる。なんとなく、きっと違う場所に居るんだろうなと思った。

「いま何考えてます?」
「今日は珍しいですね。もちろん貴女のことを想っています」

いつもね。
そんなことを言う彼はどんな表情なんだろうと考えて、きっといつもの笑顔だなと思い直す。嘘つき。心の中で呟いた筈の言葉は口に出ていたらしく、嘘なんかじゃないですよ、と返ってくる。

「ねぇ、愛してるって言ってください」
「愛してますよ。瑠依さん、貴女だけを」

耳に届く声はじわじわと私から思考力を奪っていく。こんな偽りの会話をあと何回繰り返せばいいのだろう。私はこれで満足なのか。それは否だ。こんな関係でいい訳がない。愛しているとは言葉だけで、その実全く愛されていないことは流石の私でもわかる。

「安室さん」
「はい、なんでしょう?」

すごく、ツライ

その一言はまた今日も言えない。

「会いたい、です」
「僕も会いたいですよ」

明日そちらに伺ってもいいですか?
その言葉に思わず頷いてしまう私は至極単純だ。何も変わらないのはわかっているのに。それでもやっぱり今日も「さよなら」の一言を発することは私には出来ない。愛されてないのはわかる。それでも彼がこの関係を続けてくれるのであれば、それに縋ってしまうのだ。それが例え偽りの関係だとしても。

だって彼のことが、好きなのだから。



(image song:SAYONARAベイベー/加藤ミリヤ)



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