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昼日中の密言




「いらっしゃいませー」

注文された料理をサーブしていると、ドアベルが鳴って新たな客が来たことがわかる。一瞬そちらに向かおうかと思ったが、カウンターの中には梓さんが居るから大丈夫だろうと、そのまま目の前の客の応対を続けた。常連である年配の女性客は自分の作るハムサンドを気に入ってくれていて、今度は孫を連れてくると笑って告げる。仮の姿での仕事とは言え、褒められると嬉しいもので。ありがとうございます、と出てきた笑顔はきっと自然のものだった。

「それでは、ごゆっくり」

そう女性客に告げて振り返った瞬間。
窓際に座ろうとしていた先程の客――近部さんと目が合った。嘘、だろ。あまりにも予想外過ぎて、一瞬動きが止まる。あの様子からするときっと彼女もこちらに気付いているのだろう。気付かれる分には構わないが、問題は彼女に対して『降谷』で名乗っているということだ。万が一そう呼ばれてしまうと色々面倒臭いことになる。かと言ってここで目を逸らすのも変、だよな。人違いだとシラを切り通す?急いで彼女の元へ向かって、降谷の名前を出さないように口止めする?思考回路をフル回転させてこの場をどう切り抜けようか考えていると、タイミングが良いのか悪いのかメニューを抱えて戻ってきた梓さんが近部さんに話しかけた。

「あれ?お客さん、もしかして安室さんとお知り合いですか?」
「え?」

まずい。
きっと梓さんが『安室』と呼んだことに疑問を持ったのだろう彼女が思わず固まる。次に彼女の口から出る言葉を想像して急いで対策を考えなければ。

「あ、いえ・・・知人と似ていたんですけど、よく見たら別人だったみたいです」

そう聞こえてくる声。表情には出さないが、今誰も居なければ盛大に安堵の息を吐いていただろう。どうやらとりあえず最悪の事態は免れたらしい。それからはメニューを注文する流れになったようなので、その間にカウンターへと戻る。
それにしてもまさかここで会うとは。あの家に居るときは素の自分に戻れる気がして思わず降谷を名乗ったのは、いま考えれば軽率だったか。それでも。近部さんとの会話する時間を居心地いいと感じている自分が居るのも確かだった。それに彼女なら大丈夫な気がする、なんて思いは希望というより願望に近く、そう一瞬でも思った自分は公安失格だなと自嘲した。

「安室さん、ハムサンドお願いします」
「わかりました」

そんなことを考えていると、注文を聞き終わった梓さんが戻って来ていた。いつもはなんてことのない、寧ろ自分考案の商品で作りやすい筈なのに、注文したのが彼女であると言うだけで少し緊張している自分に驚く。食パンを蒸し器に入れながらちらりと近部さんに視線を向けると、手帳を眺めてなにやら確認している様子だった。小綺麗なスーツに身を包む彼女はいつもと違う雰囲気を纏っていると思ったが、それもその筈だ。自分が知っているのは仕事で疲れ切っている彼女の姿だけだったなと、近くにいる梓さんに気付かれないように苦笑する。今の凛とした表情で手帳を見つめている彼女が悪いわけではないが、何時も見ている少し疲れたようにへにゃりと笑う近部さんの方が良い。なんて、もう一人いるバイトの子が聞いたら「女心がわかってないですね!」と眉を潜めそうなことを思った。

「ねぇ、安室さん。さっき入って来たと知り合いなの?」

小さな声が聞こえて慌てて顔を上げる。そこには見た目に似合わずコーヒーを啜る眼鏡の少年の姿。そう言えば彼が来ていたんだった。

「さぁ。初対面だよ」
「・・・もしかして組織の?」

誤魔化したように笑うと、先程よりももう段階小さく低い声で質問が返ってくる。あぁ、これはどうやら何か大きな勘違いをされているらしい。確かに安室透の立場的にそう言う発想に思い至ったのかも知れないが、聡い彼にしては珍しく的外れの質問だった。このままはぐらかしてしまおうかとも考えたけれど、疑われたままではこの小さな探偵が彼女に何か仕掛ける可能性も否定はできない。ふぅ、と小さく息を吐いて、真っ直ぐ真剣な眼でこちらを見つめるコナン君に向き合った。

「彼女は関係ない。一般人だよ」
「本当に?」
「あぁ」
「・・・信じていいんだね?」
「まぁ、彼女が知っているのは『僕』ではないけどね」
「!」

含みをもたせた言葉の意図はちゃんと伝わったらしい。一瞬驚いたような表情になったが、直ぐに「わかった、信じるよ」と言ってくれたコナン君にありがとうと告げる。そしてタイミングよく出来上がったサンドイッチを皿に盛り付ければ、この話は一旦お終いだ。

「ハムサンド出来上がりました」

そう梓さんに告げると同時になる店内の電話。近くに居た梓さんがそちらの対応についてしまったので、手元のサンドイッチと紅茶を運ぶのは消去法で自分しか居ない。あまり気乗りはしないが、仕事であるからには仕方ないと言い聞かせて近部さんの待つ窓際の席へと向かった。



***



「おまたせしました、ハムサンドと紅茶です」

どうぞ、と彼女の前にサンドイッチの乗った皿とティーカップ、シュガーポットなどを並べていく。その間、何か言われるかと思えばその逆で、無言で見つめられている。それならばこのまま何事もなかったように戻ってしまえばいい。今ならまだ間に合う。

「お客様?なにかありましたか?」

筈だったのに。先程の思いとは裏腹に、出てきたのはそんな言葉。近部さんもまさか話し掛けられるとは思っていなかったのか、少し驚いたような表情になってから口を開く。

「あ、いえ。ありがとうございます。私の知人に似ていたもので」

まぁその人とも一ヶ月ほど会ってないんですけどね。
そう笑う彼女の言葉はどうやら『僕』に向けられた言葉のようで。気付いているのに何も言わない近部さんの気遣いに感謝しつつ、心のどこかで抱いていた、彼女ならそうしてくれるのではと言う勝手な希望が叶ったことになんとも言えない気持ちが広がった。

「そうだったんですね。実は、僕の知人にも貴女に似たような方がいらっしゃいますよ」
「ふふ、それは偶然ですね」
「本当に」

交わされる会話の真意はきっと僕たちにしか分からない。小さく笑う近部さんの表情が一瞬、僕の知る彼女の表情になったことにどこか安心している自分も居て。

「それではごゆっくり」

軽い会釈を残して名残惜しいと思いつつもその場を後にする。近い内にまた降谷の家に帰るか。帰ると言っても変則的な時間になるのは分かりきっているし、近部さんも多忙でいつ帰っているかは分からない。それでも次に帰ればまた会える気がする。そんな漠然とした予感がした。




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