Tricolore狂騒曲


碧棺左馬刻のチームメイトに出会う  






「んじゃ、ちょっと出てくるわ」
「はい。お気をつけて」
 
 1時間くらいでは戻る。
 そう言って碧棺さんが数人の舎弟さんたちと一緒に事務所を後にするのを見送り、私はまた事務所の掃除に精を出す。
 私がヨコハマに来て碧棺さんの元で働くようになって一週間。その間、碧棺さんは怪我らしい怪我もしておらず、入間さんに言われたような意味で私が『役立つ』ことはなかった。ヤクザの事務所とは言えこの事務所自体に危険事が舞い込むことは殆ど無いと言うことも碧棺さんの舎弟さんの一人に教えてもらったし、本当に私は簡単な書類整理や掃除くらいしかしていない。書類整理とは言ってもディビジョンバトルに関する書類を確認し碧棺さんに伝え、必要であれば入間さんと連絡をとったりする程度。

「つまり、ほぼ役に立っていない……と」

 テーブルを拭き終わって苦笑とともに零れた独り言は誰の耳に届くでもなく消えていった。自分の一週間を振り返っても、住むところを与えて貰っている分すら返せていないだろう。まずいな、このままではただの穀潰しになってしまう。かと言ってこの場所において私が関われることは限られているし……うーん、と唸っていると応接室の扉がノックの後に開かれ、元気のいい舎弟さんの声と共に大柄の男性が現れた。

「失礼します!毒島さんをお通ししました!」
「あ、すみません。いま碧棺さんは外出中で……」
「いや、小官が左馬刻との約束の時間より早く着いてしまっただけだ。すまないがここで待たせてもらっても構わないだろうか」

 ミリタリー衣装に身を包んだ大柄の男性――毒島さんと呼ばれたその人はすまなさそうな表情で私にそう告げる。一瞬、碧棺さんの許可なしに承諾するのはどうなんだろうかとの考えも頭を過ぎったけれど、その名前と見た目は入間さんから渡された参考資料で見覚えがあった。

「失礼ですが、MAD TRIGGER CREWのメンバーの方ですか?」
「いかにも。小官は毒島メイソン理鶯。左馬刻と銃兎とチームを組ませてもらっている」
「すみません、ご丁寧にありがとうございます。碧棺さんが戻るまでそんなにかからないと思いますので、よろしければゆっくりなさってください」 

 私の不躾な質問にも丁寧に答えてくれた毒島さんに感謝を伝えてソファへ案内する。ここまで一緒に来ていた舎弟さんも役目を終えて戻って行ってしまったので、必然的に応接室には私と毒島さんの二人だけ。入間さんと共に今後も顔を合わせるかもしれないからちゃんと挨拶しておいた方がいいのだろう。

「ご挨拶が遅れてすみません。私、先週からここで事務員としてお世話になっているミョウジナマエと申します。碧棺さんからは主にディビジョンバトル関連の事務仕事を頼まれているので今後もお話させて頂く機会があるかもしれません。その際にはよろしくお願いしますね」
「そうか。こちらこそよろしく頼む」
「はい!」

 優しく微笑んでくれた毒島さんに良い人だなと素直にそう思った。こう言ったら怒られるかもしれないけれど、一見人当たりが良さそうだけど『良い人』ではない入間さんとは反対のイメージ。きっとそれを本人に伝えたらにっこりと微笑まれてしまうだろうから言わないけれど。

「毒島さん、なにか飲まれますか?」
「いやこちらが勝手に早く来ているのだから気にしないでくれ。あと、左馬刻も銃兎も理鶯と呼んでいるのでよければそう呼んくれると助かる」
「いいんですか?」
「あぁ、そちらの方が慣れているからな」
「はい。ではそのように呼ばせて頂きますね」

 そう伝えると、毒島さん改め理鶯さんは満足そうに頷いた。やっぱり良い人だ。会話が一区切りついたところで理鶯さんから「小官には構わず仕事を続けてくれ」と言われたので、無下にするのも申し訳ないとお言葉に甘えて届いていた書類の仕分けに移るのだった。



 ▽



 そう思っていたけれど、主に碧棺さんの本業に関わるものが殆どだったためそれを彼のデスクに置けばあっという間に片付いてしまう。さて何をしたものか。部屋の中の拭き掃除は理鶯さんが来る前にあらかた終わっているし、終わってないとしてもお客人がいる前で掃除をするのは流石に失礼だろう。私用にと宛てがわれたデスクの中もまだ一週間では片付けるほどの中身でも無いし……足元にある救急セットも殆ど未使用なので補充は必要ない。困った、手持ち無沙汰すぎる。こんなんじゃあっという間にクビになりそう。なにか、誰かの役に立つことをしないと私の存在意義が――

「なにか困り事か?」

 デスクの前で固まっていた私を現実に引き戻したのはそんな理鶯さんの一言。ハッとして声のする方を向けば、理鶯さんが私の方を真っ直ぐに見つめている。もしかしたら無意識のうちに悩みすぎて唸っていたのかもしれない。

「すみません!うるさかったですか?」
「いや、そう言うわけでは無いが、なにか思い詰めたような表情をしていたので声を掛けた。左馬刻との間になにかあるのか?雇用されていると言う立場上言い難いことがあるかもしれないが、小官でよければ左馬刻かけあって、」
「あ、違うんです!!碧棺さんに対して何の不満もないので……!」
「本当か?」
「本当です。寧ろお世話になりすぎていて、私はそれに見合った働きが出来ていないのが不満と言いますか……」

 碧棺さんへは不満なんて欠片もない。最初は確かに安請け合いしてしまったかと不安になったこともあったけれど、なんだかんだで碧棺さんは面倒見がいい兄貴肌なのもわかっていた。たった数日。されどその数日は碧棺さんは短気でガラが悪いけれど根っからの悪人ではないと思うには十分だった。だから彼に非は全くなくて、問題があるとすれば私の方だけ。そう説明すれば、理鶯さんは不思議そうに首を横に傾げる。大柄な成人がしているその仕草が可愛いと思えてしまうのはきっと理鶯さんだからなのだろう。そんな彼にどこから話したものか。まぁでも入間さんには私がここに来るまでの経緯を話しているし、理鶯さんにも説明しておいた方がいいかもしれない。そう思った私は入間さんに話したようにあの裏路地での話をするのだった。

「――というわけで、ここで働かせて貰うことになったんですが、如何せん私の出来ることが見合っていなくて……」

 悩んでいたんです。
 そう伝えると、静かに話を聞いてくれていた理鶯さんが「なるほど」と頷く。

「しかし、今の話を聞いた限りだと小官からすれば十分貴女は役割を果たしているように思えるが?」
「ありがとうございます。でも私がしているのは本当に些細なことなので。もっと役に立てないと私がここに居る意味が無いなと……」
「なぜそう思う?」
「The sole meaning of life is to serve humanity」
「トルストイか」
「はい。私の恩師に教えて頂いた大切な言葉なんです」

 人のために生きなければならないのに、それが一番体現できる医学の道から逃げた私。そんな私でも役に立つと拾ってくれた碧棺さん。今の私は彼に与えられすぎている。だから落ち着かない。もっと私に出来ることを探さないといけないのだ。それが私の――

「……ある種の呪いだな」
「え?」
「あぁ、なんでもない。気にしないでくれ。まだ一週間なのだから焦る必要は無いと思うが、それで納得ができないと言うならそうだな……例えばあの花瓶」

 理鶯さんが指で示す先には一つの小さな卓上の花瓶。先程拭き掃除をしている時に見かけたそれは埃がだいぶ溜まっていた。
 
「花瓶、ですか?」
「あれに季節の花でも飾ると言うのはどうだろうか」
「!!で、でもいいんでしょうか……」

 花は好きだ。綺麗だし可愛いし、あればその空間が華やかになる。埃が溜まっていたということはきっと長い間使われていないんだろうなとは思いつつも、場所が場所だけに仕方がないかと思っていたもの。
 
「以前小官が見つけたリラックス効果のある野花を持ってきた際、左馬刻はあれに入れていたからな。ただこまめに手入れする人材が居ないせいですぐに枯れてしまうから使われていないだけで、その手入れを貴女がするというのであれば問題ないだろう」

 花の手入れは毎日必要な仕事の一つになるのではないか。
 そう提案してくれる理鶯さんに私の気持ちは少し軽くなる。確かに毎日必要なことでインテリアとして季節感なども考えていけば永続的なものになるだろう。私としては喜ばしい限りなので後は碧棺さんがこの部屋に飾ることを承諾してくれれば……と思っていると、部屋の扉が思い切り開かれる。丁度いいところで碧棺さんがご帰宅である。
  
「おー、悪ぃな理鶯。商店街でちょっとめんどくせぇことがあって時間食っちまってよ」 
「小官が早く来ただけだ、問題ない」
「おかえりなさい、碧棺さん。あの、少し相談したいことがあるんですが……」
「あ?なんだ改まって。辞めるとか抜かすなら却下すっから」

 バサリと羽織っていたジャケットを椅子に投げる碧棺さんは私の言葉をなにか勘違いしたようで、鋭い視線と言葉を投げ掛けてきた。それを慌てて否定して、おずおずと件の花瓶を指し示す。
 
「そうではなくて、あの花瓶なんですけど……」
「花瓶?あぁ、ンなもんあったな」
「よければあの花瓶に花を生けてもいいでしょうか。あ、もちろんこの部屋に似合わないと言われればやめるので気にしないでくださいね」
「言わねぇよ。花とか世話するやつが居なかったせいで遊んでんだ、使う分には好きにしろや」

 つーかンなこと言うのにいちいち遠慮してんじゃねぇよ。
 呆れたようにそう言う碧棺さんに、私は再就職先を間違えてはいなかったと改めて実感した。

「ありがとうございます、碧棺さん」
 

  
 ▽



「ただいま戻りました」
「あぁ、おかえり。綺麗な花だな。それは……ダリアとガーベラか?」
「すごいですね、当たりです」 

 碧棺さんと理鶯さんが真面目な話をし始めている間、早速花を買って戻ってくるとそこ居たのは理鶯さん一人のみ。私に丁寧におかえりと返してくれる理鶯さんに心がじんわりあたたまっていると、彼は私が手にしている花束を一瞥するだけでスラスラと花の名前を言い当てた。サバイバルをしていると言うからなのか、それとも軍人さんの知識としてそう言うのは標準的なのか、真相は分からないけれど流石だなぁと感心してしまう。
 そして碧棺さんはどこに。またどこかに出掛けてしまったのだろうか。それならやっぱり飲み物でも、と理鶯さんに声を掛けようとしたタイミングで給湯室に続く扉が開いて碧棺さんが現れた。そんな彼の手には二つのコーヒーカップ。大変申し訳ないけれど、碧棺さんが自らコーヒーをいれることがあるとは知らなかったのでその意外性に驚いていれば、そんな私を見た碧棺さんが「お前もコーヒー飲むか?」と当たり前のように声を掛けてくる。

「コーヒー、ですか?」
「あ?なんか文句あんのか」 
「左馬刻のいれるコーヒーは絶品だぞ」
「豆から拘ってんだから当然だっての。俺様の腕はプロ級だぜ」
「そうだったんですね」
「ここ最近忙しかったせいでロクにいれる時間も無かったからな」

 やっと落ち着いて飲めるわ。
 そう吐き出すように言いながら理鶯さんにカップを渡し、ついでにもう一つのカップを私に手渡してくる碧棺さん。

「え、これは碧棺さんの……」
「なんだ?俺様のコーヒーが飲めねぇって?」
「あ、いえそういうわけでは……」

 鋭い視線を向けてくる碧棺さんに慌てて首を横に振ると、彼は「残ってんのがあるから構わねぇよ」と私の意図するところを汲み取ったように告げて再び給湯室へと足を向ける。こう言うところがやっぱり優しいと言うか、裏稼業とは言え人を惹きつける部分なのかもしれない。そして給湯室への途中、デスクの上に飾った花に気付いた碧棺さんは、立ち止まってそれに視線を投げる。華やかすぎてもいけないかと、あまり大ぶりなものにはしなかったけどどうだろう。

「……花か。悪くねぇな」

 私の心配は杞憂だったらしい。そ碧棺さんはどこか遠いなにかを思い出すようにそう呟いて、一輪のガーベラにそっと触れると給湯室へと消えていく。そんな碧棺さんの後ろ姿を見つめている私の背中に「よかったな」と理鶯さんの声が掛かるので、私は彼に向かって最大限の感謝を込めたお辞儀をするのだった。