Tricolore狂騒曲


碧棺左馬刻に雇われる  






「なるほど……碧棺さんはこの火貂組の若頭さんをされていて、同時にMAD TRIGGER CREWと言うチームを組んでディビジョンラップバトルに参加している、と」
「医者っつーだけあって物分りがいいじゃねぇか」
「元、ですけどね」

 あの後私が通されたのはとあるビルの一室。
 重厚感のある黒革張りのソファやローテーブルは以前勤めていた病院の理事長室を彷彿とさせたけれど、碧棺さんの職業を考慮すると、彼が普段使用しているであろうデスクの後ろにある日本刀が妙に生々しく映る。

「それで私にこの組に入れと……?」
「別に組に入れって言ってるわけじゃねぇ。ただ、最近ディビジョンバトルの方も何かと立て込んでてよ。溜まってんだわ、雑務が」
「えっと、差し出がましいようですがそれは碧棺さんの部下とかにお任せするのがいいのでは?」

 今私が誘われているのはその辺に出ている求人募集とは違う。普段私たちが生活する上では関わることがない、所謂裏稼業的な仕事の内容はきっと軽率に扱っていいものではないのだろう。少なくとも知り合って数時間も経たないような相手に場当たり的に任せるようなものではない筈だ。
 そう進言すると、碧棺さんは一瞬だけ驚いたように目を丸くした後、煙草を灰皿に押し付けながら盛大な舌打ちを一つ。

「その任した部下がつい最近裏切りやがったんだよ。ご丁寧に全ての情報を献上品替わりにして、他の組で出世しようって」
「それはなんと言うか……」
「まぁもちろん、そうなる前に俺様直々に再起不能にしてやったけどな」

 今頃魚と仲良くやってんじゃねーか。
 なんて物騒な言葉が聞こえたけれど、それは聞こえなかったことにした。これまでの人生で人の顔色を伺うことと処世術だけはしっかりと身についている。

「俺様の部下には腕っ節が強えヤツらは揃ってるが、どうも数字と机作業には向いてねぇ。まぁそっちは俺がなんとか出来なくもねぇが……このウサちゃんが俺様の予定も何も考えずに厄介ごと持ち込んできやがる」
「はぁ?何も考えずに自分の都合だけで動いているのは貴方の方では?」
「あ゛?誰のおかげで手柄立てれてると思ってんだよこのクソポリが!」
「ンなもん自分の力に決まってんだろーが!」

 碧棺さんの発言を発端に、先程まで大人しかったウサちゃんさんこと入間さんとの言い合いが始まってしまった。それまでの丁寧な口調はきっと余所行き用で今の入間さんが素なんだろうなぁ。車に乗る前の笑顔も明らかに胡散臭かったもんね。まぁでも人間誰しも本音と建前、オンとオフの顔はあるわけだし深くは突っ込まない。とりあえずの問題はこの誘いに乗るか乗らないかを考えなくては。
 
 火貂組。ヤクザ。若頭。
 脳内に並んだキーワードを見ても明らかに避けた方がいい案件なのは火を見るより明らかだ。今も目の前で繰り広げられている会話から、碧棺さんの気の短さと気性の荒さが目に見えて伝わってきていて、それも誘いを断る方が良さそうな要因となっている。
 と、こんな感じで普通からば丁寧にお断りを入れて直ぐに立ち去った方がいいんだろうけれど、彼を構成しているもう一つの立場が決断に待ったをかけていた。

 ヨコハマディビジョン。MAD TRIGGER CREW。リーダー。
 碧棺さんを構成しているもう一つの立場。
 ディビジョンラップバトルに関しては、忙しくて世の中の流行りなどに疎い私でも知っていた。とは言っても私が知っているのはシンジュクディビジョンの三人くらいで、他のディビジョンに関しては全く知らなかったから、碧棺さんと入間さんのことも今日初めて知ったレベルではあるけれど。先程の会話で碧棺さんが言っていた『組に入れって言ってるわけじゃねぇ』『そっちは俺が出来なくもねぇが』と言う言葉から考えると、主に私が関わる内容としてはそちらの割合が多いのではないか。それならば一考の余地はある。何故なら、私の恩人もその件に関わっているからだ。

「あの、一つ質問よろしいでしょうか」
「あ?なんだ、言ってみろや」

 恐る恐ると言ったように手を挙げた私に、一旦入間さんとの言い合いを止めて碧棺さんがそう返す。口も態度もよろしくない割にこうして話は聞いてくれる辺り、やっぱり完全な悪人ではないんだよなぁと思いつつ一つの疑問を口にした。

「碧棺さんは、神宮寺寂雷と言う方をご存知ですか?」
「なんでテメーから先生の名前が出てくんだよ」
「!!ご存知なんですね?!」
「知ってるっつーか、昔ちょっとつるんでたことがあるってくらいだがな」

 で?なんでテメーが先生のこと知ってんだよ。
 思わずソファから立ち上がりそうな勢いの私に若干引き気味になっていた碧棺さんに聞き返されて、私はテンションが上がりそうになるのを何とか抑えつつ神宮寺寂雷――私の恩師との関係性を説明し始めた。
 
 私が神宮寺先生と出会ったのはもう何年も前のこと。医学生だった私は当時研修医だった神宮寺先生と出会い、そこで見聞きした彼の考え方に感銘を受けていた。それからは時間を見つけては先生の元へ足を運び、先生の思想や理念に聞き入っていたけれど、程なくして先生が海外へ行かれてからは会っていない。最近になって先生がディビジョンリーダーになっているのを知った時には、驚きながらも先生ならばとどこか納得している自分が居た。
 きっとあの数ヶ月の出来事なんて神宮寺先生の記憶には残らないくらい些細なものなんだろう。だけど私にとっては人生で最も充実していた数ヶ月だった。その証拠に【The sole meaning of life is to serve humanity】と言う先生から教わったその言葉は今でも私が迷った時の指針になっている。

「へぇ。あの先生の教え子ねぇ」
「私が勝手に尊敬しているだけですけどね」

 そんな、私の人生を変えた先生の知り合いが目の前で困っている。それならば私の選ぶ道は一つしかない。人のために生きることが私の生きる意義だ。背筋を伸ばして一呼吸。しっかりと目の前の碧棺さんを見据えて、私は口を開く。

「碧棺さん。先程のお誘いですが、乗らせて頂いても?」


 



 
「それにしても……貴女も随分と物好きですねぇ」

 あれから碧棺さんは入間さんを先程のやり取りの証人にして、自分は少し出てくると席を外していた。取り残された私たちは舎弟の人が出してくれたお茶を飲みながら時間を持て余している。今度からはお客さんには私がお茶とかを出すようになるんだろうから、場所とか聞いておかないと。さっきの人に聞けばいいのか、碧棺さんに聞けばいいのか。まぁまた碧棺さんが帰ってきてから聞けばいいか。そんなことを考えていた時、先に口を開いたのが入間さんだった。

「わざわざ医者の地位を捨ててこんな所で雑用係をするなんて」
「あはは……医者は、正直向いてなかったんです。私は先生みたいにはなれなかった。だからその地位自体に未練は無いんですよ」
「……そもそも何故左馬刻とあんな所に?」
「あぁ、それは――」

 入間さんに、シンジュクでの仕事を辞めて海が見たくなった私がヨコハマをフラフラしていたこと、そこで怪我をしていた碧棺さんに出会ったこと、手当をしたらこうなったこと、を掻い摘んで説明する。そんな私に入間さんは「やっぱり物好きですね」と呆れを含んだ顔で溜息を一つ吐いた。

「まぁ、医療の心得がある人と言うのは確かに左馬刻にとっては『役立つ』存在でしょうけど」
「そんなに怪我多いんですか?」
「あの短気と気性ですからね。その分実力もありますが……あとはアイツのアビリティの特性的にも、」
「アビリティ?」
「あぁ、それに関してはおいおいでいいでしょう。本人から説明があるかもしれませんしね」
「わかりました」

 すんなりと引き下がる私に入間さんはほぅ、と感心したような声を漏らした。その反応の意図が分からずに首を傾げると、入間さんの口元が面白そうに弧を描く。

「貴女、本当に仕事だと割り切ってるんですね」
「え?」
「いえ。碧棺左馬刻と言う男に寄ってくる女性は多いんですよ。彼のお気に入りになりたい女なんてそれこそヨコハマでは掃いて捨てるほどいるでしょう」
「はぁ」
「でも貴女は左馬刻自身にあまり興味はなさそうなので」

 あぁ、なるほど。
 私が碧棺さんに近付くためにここに居るんじゃないかと思っていたのか。まぁ確かにヤクザとは言え若頭、ディビジョンリーダーもしていて、加えてあの見た目。少しばかり危険な男が好きな女性も多いと言うし、確かに異性を惹きつける要因はたくさんありそうだ。

「私と碧棺さんの関係は雇用主と社員の関係ですからね。それに物好きなのは碧棺さんもだと思いますよ」
「と言うと?」
「だって、私の話がどこまで本当かどうかなんて分からないじゃないですか」

 それこそ全部が仕事と住む場所を得るための嘘かもしれませんよ?
 そう言って笑った私に、入間さんは今度こそ可笑しそうに喉を鳴らして笑うのだった。 
 








「おい、テメーら随分仲良さそうじゃねぇか」

 それからまた少しして、事務所のドアが開いたかと思うと怪訝そうに私たちを見つめる碧棺さんが居た。確かに出掛ける前はよそよそしい距離感だったけど、この間に交わした会話でだいぶ打ち解けられた気がする。少なくとも入間さんが子供たちのお手本になるような『良い警官』ではないことは理解出来た。
 
「あ、おかえりなさい。碧棺さん」
「彼女、なかなかに頭の回転が速くて会話もスムーズに進むんですよ。いい拾い物しましたね、左馬刻」
「はっ、そーかよ。おら、これ使え」
「わ、」

 碧棺さんから放り投げられたものを慌ててキャッチすると、手の中にあるそれは1本の鍵。それに送れて机に放られた茶封筒を開けると、中にはマンションらしき住所と間取りの紙が入っていた。もしかしてこれは。

「あの、碧棺さんこれ……」
「あ?仕事と住むところ準備するっつったろーが」
「……」
「俺様が嘘付くとでも?」
「あ、いえ……」

 正直言うと仕事はするとして、家に関しては自分で探せと言われると半分以上思っていた。それをまさかこんな。マンションの部屋番号を見るにそこら辺にあるような階層のマンションではない。忙殺されていたせいで貯金はあるとは言え、流石にこれは長く住めるような額ではないだろう。そう思っていれば、書類と鍵を交互に見る私に碧棺さんは更に言葉を続ける。

「俺様の下で働くっつーならそれ相応の待遇は与えてやんよ。家賃も要らねぇ」
「え?!」
「んだよ、不満あんのか?」

 不満、と言うより好待遇すぎて逆に怖くなると言うやつだ。やはり安請け合いしてしまったんだろうか。思わず引き攣りそうな頬を誤魔化すように曖昧に笑うしかない私を後目に、碧棺さんはドカリと自分の席へと腰掛ける。

「いい働きを期待してるぜ、ミョウジナマエちゃんよぉ!」

 そう言って革張りの椅子の上でニヤニヤと悪い笑みを浮かべる碧棺さんに、私は初めて神宮寺先生の言葉を指針にしたことを後悔しそうになっていた。