bll短編


続・馬狼照英とほっとけない女の話  







「あれ?馬狼くんだ。どうしたの?」

 いつもの様に目をパチリと瞬かせる女が一人。どうした、だと?それはこっちのセリフだ馬鹿女。

 台風が近付いているからと部活も中止で授業後のすみやかな帰宅を促す校内放送が流れていた放課後。午後からポツポツと降り始めた雨も今では横殴りと言うのが正しいほどの強さになっていた。
 下校する生徒で溢れかえる正門前に差し掛かった時、ふと嫌な予感がして足が止まる。別に俺が行く義理はねぇはずだ。そんな無駄な時間があるなら家に帰って昨日発売のゲキサカでも読んでいた方が何百倍も有意義なはず。そう分かってはいるのに、勝手に校舎裏に向かう両足に俺は大きく舌打ちをした。
 そして嫌な予感は当たり、辿り着いた先に見つけた小さな背中。それがこちらを向いて前述の言葉を寄越した際に俺はまた一つ大きく舌打ちをしたのだった。

「こんな中でなにしてやがる」
「防風ネットをかけるの忘れてたんだ。だからかけてるんだけど……あ、」

 女が手に持っていたネットをかけようとした瞬間、それは風に煽られてバタバタと靡く。しっかりと固定出来ていないネットの一隅を抑えてはまた他方が浮き上がり、それを抑えようとしてまた他方が浮き上がって――ってこいつはそれを何度繰り返していたんだろうか。ひょこひょことその生産性もない動きを続けている女はレインコートを身につけているが、強風で頭の部分は後ろへと吹き飛ばされて全くもって用を成していない。その結果、こんな天気の中で当たり前のように女はずぶ濡れになっていた。

「どけ、邪魔だ」
「わっ……」

 相変わらずの要領の悪さにイライラした俺は女の手から防風ネットをひったくる。そしてその辺にあったレンガや土嚢袋なので四隅を抑えていった。本当なら支柱を打つのがベストなんだろうがそんなことに構っている暇はない。四面ほどそうしたところで、後ろを振り返ればその様子を見ていた女が間抜けな顔をして「はー」やら「わー」とかよく分からない声を上げていた。

「馬狼くんって器用だよね」
「てめぇが不器用なだけだろ」

 俺と花壇を見比べて感心するように呟かれた言葉にそう返せば、女はその無駄に大きな目をまたぱちりと瞬かせるとへらりといつものように腑抜けた顔で笑うのだった。



 ▽



 翌日。
 台風も過ぎ去り青空が広がる中、グラウンドのコンディションが悪いからと朝練は中止になっていたが、一つのことを思い出す。思い出さなければいいものを、頭を過ぎってしまった自分が憎い。別に俺としては花壇がどうなろうか知ったことじゃねぇ。が、俺が綺麗に被せたネットが台風のせいで乱れているのは許せない。それを確認しないことには俺の気がおさまらないので仕方なく、あくまでも自分のために昨日に引き続き校舎裏へと足を向けるのだった。

「あ、馬狼くん。おはよ、ちょうど良かった」

 こっちこっち。
 俺が花壇へ近付くと同時、花壇の前に丸まっていた塊がこちらを向く。そして昨日と同じようにそこにいた女は俺に気付くと力の抜けるような笑みを浮かべて手招きをした。俺に気安くそんなことをする命知らずはこの女くらいだと思いつつも、女越しに見えた防風ネットは大きな問題もなく綺麗な形でそこにあり、気分が良かったのでそのまま女の隣へと歩く。

「見て、昨日馬狼くんが手伝ってくれたおかげでお花はみんな無事みたい。ありがとう」
「俺様がやってやったんだから当然だろ」

 ハッと鼻で笑うように吐き出せば、女は「たしかに。流石馬狼くんだ」と隣に立つ俺をジッと見上げて納得したように呟いた。確かになんて言ってるがこいつの緩い頭で本当に理解してんのかどうかは疑問が残る。だが、こいつに世辞を言うような器用さが無いことは経験からよくわかっているし、それにどんな形であれ素直に賞賛されるのは悪くねぇ。そう思った俺は足元に置いてある重り代わりのレンガに手を掛けた。

「もうこのカバー要らねぇんだろ」
「うん。だから外してあげようと思ってたんだ」
「そーかよ」

 女の答えを聞き終わるとほぼ同時にレンガを退けてネットを外す。それを間抜け面で見ていた女が慌てて自分の手元のネットを外そうとするから、手を出すなとの一言で制止した。なんでかって、ンなもん考えなくてもわかる。ネットと一緒に花ごと絡め取るのは目に見えてる上に、畳み方ももたついて怒鳴りたくなるような出来になるに違いねぇ。それを見てイラつくくらいなら最初から俺がやる方が全てにおいて良いに決まっている。

「……おい」
「あ、バレた」
「テメェ、喧嘩売ってんのか?大人しくしとけっつったろーが!」
「はーい」

 二枚目を畳み終えた辺りで女がそっと残りのネットに手を伸ばすのが見えて、思わずでかい声が出た。それに対して怯むことなく間伸びした返事を寄越した女は、俺と場所を入れ替るようにしてネットが既に外れた花壇の前にしゃがみこむ。そして一番手前の花に指先で触れながら満足そうに微笑んだ。そして花に「元気?」「無事に台風過ぎてよかったね」「馬狼くんにありがとうだね」なんて呑気に話し掛けている。

「……そんなに花が好きかよ」

 思わずそう零れた言葉に自分が一番驚いた。何を言ってやがんだ俺は。全く、覆水盆に返らずとはよく言ったもんだ。そしていつも人の話を聞いてんのか聞いてねーのか分からんねぇくせにこう言う時だけは耳聡く拾った女は、俺を見上げて不思議そうにぱちりと目を瞬かせてみせた。

「好きだよ。だってお花は面倒くさくないから」
「あ?十分面倒くせぇだろ」

 そりゃ放っておくだけで勝手に育って勝手に咲くのもあるだろうが、少なくともここに植えられているやつらはそうじゃねぇ。土を耕し、肥料を整え、水を与え、現に今だってこうして台風でダメにならねぇようにした後片付けをしている。これのどこが面倒臭くないと言うのか。

「この子たちは私に何も言わないから」
「……は、」

 私はお花が好きだからお世話は面倒臭くないんだよ。
 どうせそんな頭ん中お花畑な回答が返ってくると思っていたから思わず反応が遅れてそんな間抜けな声が出てしまう。なんてざまだ、情けねぇ。俺としたことがこいつ相手だからと気を抜きすぎていたようだ。なんてことを思っている間にも、俺のことなど気にしていないとばかりに女は目の前の花を見つめて話を続ける。
 
「私がどれだけお世話をしても話し掛けても、この子たちは私に何も期待しないし失望もしない。私に何も求めない。もしかしたらしてるのかもしれないけど、私にはこの子たちの顔色も言葉もわからないから」

 一緒に居てすごく楽なんだ。
 そう言って自嘲するように笑う女。世の中にいる植物には人の心が通じるなんてことを言っているヤツらを全否定するような言葉を、仮にも園芸部員であるこいつの口から聞くことになるとはな。つーか、そもそもこの馬鹿女にそんな高尚な考えがあったなんて思いもしなかったぜ。そう鼻で笑っているはずだった。目の前の女の身体がぐらりと傾いていなければ。

「っ……!」

 好きだと言った花にダイブする寸前で思わず掴んだ腕は熱い。そのまま引き上げるように持ち上げると、だらんと力の入らない身体に浅い呼吸。これは完全に――

「お前、」
「朝出る時は微熱だったからいけると思ったんだけどなぁ」

 目を伏せたまま下手くそに笑おうとする女はどこまでも馬鹿だ。見るからに体力のなさそうなこいつのことだ、昨日あれだけ濡れたことで風邪でも引いたんだろう。そんな体調の中来た理由も聞けば花を見に来たからだとかぬかすに決まっている。こんな時ぐらい他の園芸部員に任せろや、と思っていたら「あのね、園芸部員は私以外幽霊部員なんだよ」と妙なところで察しのいい女が当然のように言い放つもんだから、病人だと言うことを忘れて殴りそうになった。
 
「あ、馬狼くん」
「あ?」
「私のことは大丈夫なので、教室行ってね」
「あ゛ぁ?」

 全然撤回だ。相手が病人だろうが関係ねぇ、殴らせろ。青白い顔で目を伏せながら手をヒラヒラと横に振る女に、何も掴んでいない方の手を爪が食い込むほどに握りしめることで何とかその衝動を押さえ込む。本当にここに捨て置いてやろうか。それを女が咎めることはないだろう。
 先程言った女の言葉。「何も期待しないし失望もしない。何も求めない」それは女が他の人間に対してそう思っていることだと漠然と感じた。他人からの言動をどこか他人事のように捉えている節がある。そう考えれば警戒心がまるでねぇのも納得出来た。自分に向けられたものではないとするなら、警戒する必要はないのだから。女のそんな思考が生まれつきなのか過去の経験から培われたものなのかなんて俺に知る由もねぇし知りたいと思わねぇ。なぜから俺が何をするか決めるのは俺自身で、こいつがどうしたいかなんてそれこそどうでもいいからだ。

「めんどくせぇんだよ、クソがっ」

 そう吐き捨てながら馬鹿みてぇに軽い身体を担ぎ上げる。驚いたようになにやら呻いている女の声を無視して向かうのは保健室。この馬鹿で不器用で要領が悪い癖に変なところで繊細な女を捨ておくことの出来ない俺自身の気持ちが一番めんどくせぇのは知らないふりをした。