bll短編


オリヴァ・愛空と都合のいい関係  







 講義後のバイトを終えた私がアパートの前に着くと、自分の部屋に明かりが灯っているのが分かった。出掛ける時はちゃんと切ったのを確かめたから消し忘れではない。泥棒が明かりをつけるとは思えないのでその線も却下だ。では誰が家主不在の家の灯りをつけたのか。その答えは簡単で、私が合鍵を渡している人が居るからに他ならない。だから部屋に明かりがついているのは問題ないのだ。
 
「ただいま」
「おー、おかえり。邪魔してるぜ」
 
 玄関に鎮座する見慣れたスニーカーを確認して扉一枚隔てたワンルームへ足を踏み入れると、テレビの前に居た人物が後ろ手に手を挙げた。
 
「邪魔するなら帰ってくれていいんだけど」
「はは、そりゃそーだ」
 
 バッグを部屋の隅に置きながらそう返すと、その男――オリヴァ・愛空は楽しそうに笑った。
 
 私と愛空は高校の同級生であり、同じクラスでそれなりに仲は良かったと思う。サッカー選手としてプロ入りも囁かれていた愛空の女癖はお世辞にも良いとは言えなかったけれど、友人として付き合う分には彼の人当たりの良い性格も相まってそれなりに楽しかった。
 
「なー、腹減った」
「……コンビニ空いてるよ?」
 
 私がキッチンに立っていると、テレビが一段落ついたのか愛空が私の背後から愛空が手元を覗き込んでくる。覗き込んでくるだけなら大型犬がのようで可愛いけれど、残念ながらこの大型犬は躾がなっていなかった。私の返答を無視して、髪に顔を擦り付けてお腹には筋肉質な腕が回っている。危ないから退けて。そう言ったところで退いてくれる気がないのも、言うだけ無駄なことも経験上わかっているので大袈裟に溜息を吐いて一旦コンロの火を止める。そしてくるりと向きを変えて見上げると、その先を察した愛空がその大きな体を屈めるから、私は精一杯背伸びして髭の残る頬へと口付けを一つ。
 
「作ってあげるから待ってて」
「あいあい」 

 私のキスにそのオッドアイを細めた愛空は私の髪の毛に頬擦りをして、満足そうにテレビの前へと戻って行った。その背中を見送って、私はもう一度コンロに火をつける。我儘な彼のお腹を満たすための料理を作るために。



 ▽


 
「お前、可愛げがないんだよ」

 可愛くて、ふわふわしてて、守ってあげたくなるような女の子が良かった。
 そう言って一方的に私とは真反対な理想の彼女像を並べているのは大学生の新歓で仲良くなった同級生で、肩書きはたった今、元カレに変わったばかりの男だ。付き合って程なくして彼に浮気相手が出来ていたことはもう随分前から知っていたし、彼女と浮気相手と言う立場が逆転しているのも分かっていた。ここ最近ではお互いのバイトが忙しいと言う名目で連絡も殆ど取っていなかったから自然消滅したものだとばかり思っていたけれど、ちゃんと関係を精算しろと浮気相手なのか本命なのか知らない子に言われたんだろう。近くのファミレスに呼び出された私は、別れを切り出した彼に大した未練もなく分かったと頷いたら前述のセリフを吐き捨てられたと言うわけだ。

 可愛げってなんなんだろう。
 ファミレスを後にして、家まで帰る道すがらにそんなことを考える。ふわふわしてて、守ってあげたくなるような女の子。元カレはそう言っていたから、きっと彼の浮気相手はそう言う可愛げのある子なんだろう。私はどちらかと言うとなんでも一人でやってしまうタイプだから、確かに庇護欲は掻き立てられないだろうな。一人時間は苦じゃないし、機械や虫に弱いわけでもない。完璧主義な所があるから人に何かを頼むのは寧ろ苦手。うん、やっぱり性格に可愛げはない。後はふわふわして、と言うのは見た目なのか性格なのか。そのどっちもかな。そう、例えばあんな感じで髪を緩く巻いてふわりと広がる可愛らしい服装の――

「最低!!二度と連絡しないで!!」

 パチン。
 夜も更けて人通りの多くない駅前に乾いた音が響き渡った。ふわふわ女子は修羅場の真っ最中だったらしい。大声で叫ぶように言い残して走り去る彼女の後ろ姿を見つめた後、ご愁傷様ですと心の中で呟きつつ、残された男性の横を通り過ぎようとした時。ほんの少しの好奇心でその男性の方を見てしまったのが、きっと私の間違いの始まりなんだろう。私と同じ日に恋人に振られた可哀想なその男は、そのオッドアイをパチリと瞬かせたかと思うと、赤くなった頬を掻きながら記憶の中と大して変わらない笑顔でこう言った。

「よぉ、ナマエ。久しぶり。あのさ、今日一晩泊めてくれたりしねーかな?」



 ▽



 これはまた懐かしい夢を見たな。
 ぼーっとする頭で先程まで見ていた夢の内容が愛空との再会時のものだと分かり、小さく溜息を吐いた。僅かに空いたカーテンの隙間から射し込むのは月明かりが、スマホの時刻表示を確認するまでもなくまだ夜中であることを示している。と言うことはそんなに時間は経ってないのか。とりあえず喉が渇いた。寝起きのせいだけではない倦怠感を感じながら身体を起こし、床へと足を下ろすとフローリング冷たさが心地良い。その辺に落ちていたシャツを被り、ぺたぺたと冷蔵庫に向かう。 
 冷蔵庫の中にミネラルウォーターを常備するようになったのはほんの数ヶ月前からのこと。お惣菜を買って食べることが多くて隙間の多かった冷蔵庫に、温めればすぐ食べれる作り置きのタッパーが増えたのも同じ頃から。棚に辛味系の調味料なんて無かったはずなのに、数ヶ月前に買った小瓶の中身は使用感が分かるくらいには減っている。
 そう言えば、元カレの好きなものってなんだっけ。今となっては女の子の好みくらいしか覚えていないことに苦笑が漏れる。きっと大学生デビューで浮かれていたんだろうな。そうでもなければ付き合った理由が思い当たらない。なんて自分でも失礼だなと思うようなことを考えながら、ミネラルウォーターを口に含んだ瞬間。後ろから腰を引き寄せられて顎を掬われたかと思うと、唇に感じる熱。

「んぁ……っんっ、」

 乾いた喉を潤すためのミネラルウォーターは殆どがその役割を果たすことなく、分厚い舌により無理やり開かされた口元から舌と一緒に相手の元へと絡め取られていく。そのまま唾液まで全て奪われるんじゃないかと思うような口付けは続き、酸素が足りなくなってくらりとし始めた頃になってやっと解放された。

「っは、なに……」
「んー?だって起きたらナマエちゃんが居ねぇからさ。それで探したらこんな格好の後ろ姿だろ?」
「っあ……」

 誘ってんのかと思った。
 耳元で囁かれながら腰からヒップにかけてをつーっと指を滑らされると、先刻までの行為が蘇って勝手に身体が反応する。私のそんな反応に気を良くしたのか、愛空はそのまま私の服の裾から足の間へとその大きな手を滑り込ませてきた。

「俺のシャツ着ちゃってさぁ」
「っごめ、着やすかった、からっ……」
「ダメとは言ってねーのよ?寧ろ好きだぜ。エロくて最高」
「あっ……や、待って……だめ、」
「ダメ?ほんとに?」

 そう言いながら私の中心の浅い部分を刺激していた指先が、少し焦らすようにゆっくりとした動作に変わる。ねっとりと愛空が指を動かすと、私の言葉に反してぴちゃぴちゃと音が響く。恥ずかしさを感じながらも、そのもどかしさに落ち着いていた筈の熱がまた灯り、一度そうなってしまえばもう頭で何を考えても無駄なのだ。縋るように愛空の首に腕を回し、懇願するように首を横に振る。
 
「だめ、じゃ……な、」
「ん、いい子」
「あ、んっ?!……あぁっ、あっ、は、ぅ……っ!!」

 私の言葉を聞くが早いか、甘く疼いていた中に指を入れられ掻き回された。先程までのゆっくりと焦らす動きではなく的確に私の弱い所を刺激するそれに抗うことなく身を委ねると、いとも簡単に快楽の海へと堕ちていく。足に力が入らず愛空に倒れ込むように寄り掛かり、まだ僅かに震える身体と浅くなっていた呼吸を落ち着かせていると、耳をふにふにと触られる。
 
「なぁ、俺も気持ちよくなりてーんだけど……イイ?」

 その甘言に私は頷く以外の選択肢を持ってはいない。こくりと頷く私を横抱きにした愛空がベッドへ向かうその間、一時の理性を取り戻した頭で考える。
 
 次に目覚める時にはベッドに一人なんだろうな。
 もう何度もこうして身体を重ねているけれど、愛空と次の日の朝を一緒に迎えたことは再会したあの日だけ。ワンナイトだとばかり思っていた彼が、翌朝に元カレから返されたばかりの合鍵を持ちながら「また来ていいか?」なんて言うものだから「要らなくなったら返してね」と返した私。それを見た愛空は少し驚いたように目を瞬かせた後「あいあい」といつもの様に笑っていた。 
 その日から今日まで私たちの歪な関係は現在進行形で続いている。私から連絡を取ることは無く、全ては愛空の気分次第。いつ来るか分からない彼のために部屋を掃除して、食材を作り置している私は傍から見たらなんて滑稽なんだろうか。男の気分一つで身体まで明け渡す。そんな、彼にとって都合のいい関係。
 それを私が良しとしている理由はただ一つ。私が愛空のことを好きだったから。高校時代、人当たりもよくサッカーにひたむきな彼が好きだった。だけど常に彼の横には違う女の子が居たし、告白して友人と言うポジションを失うくらいならそのままでもいいと思っていたし、事実「彼女」と言う席に座る子は変わっていたけど、私は「仲のいい友人」と言う席に三年間座ることが出来ていたと思う。卒業で進路が分かれると同時にその淡い思いにも決別した――筈だったのに。あの日、あの夜再会してしまったから。大学生になって少しだけれどいろんな意味での経験も増え、高校生の頃には考えなかった選択肢が芽生えてしまった。それは「身体だけの関係でもいいんじゃないか」なんて倫理観の欠如したもの。だからこれは、私にとっても都合のいい関係なのだ。
 
 だからと言ってこれがいつまでも続くわけではない。なぜなら愛空はそう遠くないうちに海外に行ってしまうのが分かっているから。これは長くてもそれまでの期間限定の関係。最も、それが早まるかどうかは愛空次第で、もしかしたらそれは数時間後に来るかもしれないけれど。
 
 数時間後、私の横に合鍵があるかどうか。それはその時考えればいい。私の上に覆い被さる綺麗で残酷なオッドアイを見つめながら、今日もまたこのお互いにとって都合のいい関係に理性と倫理観を捨て去るのだった。