エクリュと輪舞曲を


5  






「え、名前ちゃん、県大会は岩鳶の応援席で見ないの!?」

県大会前に差し入れを持って訪れた岩鳶水泳部。驚く江ちゃんの声は思ったよりもプールサイドに響き渡って、慌ててしーっと制してみたがどうやら手遅れだったらしい。

「名前ちゃん、僕たちのこと応援してくれないの!?」

あぁ、ほら。勘違いした渚くんが走ってきてしまうし、これは早く誤解を解かないと。

「渚くん、違うんだよ。あのね、今度の大会は鮫柄の所にお邪魔することになって……」
「えー!? 鮫柄!?」
「まさか名前ちゃん、私たちに愛想尽かしちゃったとか……?」

私の声を遮って渚くんが叫ぶ。その声に反応して、プールに居たハルくんやマコくん、怜くんも何事かという表情でこちらへ向かって来ていて気付けば大事になっていた。大会前なのに練習邪魔してごめんね、と内心溜息を吐いて、まずは二人へ説明を始める。

「まさか、そんなことあるわけないよ。今回はね、凛と宗介に誘われて断れなくて」
「凛ちゃんたちに?」
「そう。この前、江ちゃんと買い物に行った時の帰りなんだけど……」

『名前、県大会見に来るんだよな?』
『うん、行くつもりだよ』
『岩鳶の所で見るのか』
『そのつもりだけど……』
『鮫柄のところ来いよ』
『え、部外者が行くのは良くないでしょ?ちゃんと二人のことも応援するから』
『俺も宗介もいるんだ、心配ねえだろ。愛たちも知ってるし、合同練習も来てるしな』
『うーん、考えてみる……』

「というわけなの。卒業生でも無いし、ましてや男子校だから結構悩んだんだけどね」

結局二人に押し切られて鮫柄の席で見ることになりました。
これで誤解は解けたかな。分かってくれるといいんだけど、と目の前の二人を見てみると先程までとは違って目をキラキラと輝かせている。
あれ?さっきの話にそんな興奮する要素あったかな?

「凛ちゃんやっるぅ!」
「宗介くんもだけど、お兄ちゃん流石……!」
「こら、二人とも名前先輩困ってるだろ」

きゃあきゃあと盛り上がる二人に置いてきぼりにされたような寂しさを感じていると、近付いてきたマコくんが助け舟を出してくれる。すみません、と苦笑しているマコくんは部長職がよく似合っているなと改めて思う。夏也くんや凛とはまたタイプが違うけれど、個性的なメンバーを纏めているからすごいよね。

「ううん、大丈夫だよ。ありが、」

ありがとう。
マコくんに対するその言葉は渚くんの爆弾発言によって掻き消されることになる。

「えー、だって凛ちゃんって振られてもまだ名前ちゃんのこと好きなんでしょ?」







県大会当日、約束通り私は鮫柄の応援席にいた。男の子ばかりだし、卒業生でもない私が居たら嫌な顔をされるんじゃないかとギリギリまで心配した私が端の方をうろうろしていたら、そんな私を見つけたモモくんと愛くんが凛と宗介の元へと案内してくれたのが数時間前のこと。恐る恐る部員のみんなに挨拶をすると、意外とすんなり受け入れてくれてホッとした。モモくんは差し入れのお菓子に目を輝かせていたから、その効果もあったのかもしれない。あんなに喜んでくれるならまた作ってこようかな。

「うまくなったな、似鳥のやつ。松岡の指導のおかげか?」
「俺は何もしてないですよ、あいつが自分で頑張ったんです」

愛くんが出ているブレのレース中、凛と御子柴くんが話しているのが聞こえて思わず視線がそちらへと向く。凛はああ言っているけれど、少なからず影響はあるのだろう。それをきっと御子柴くんも分かっているからあの表情なんだろうな。去年はいろいろあったけれど、こうやってしっかりと部長をやっている凛の姿を見ると安心する。

『ねえ、名前ちゃんは凛ちゃんのことどう思ってるの?』

先日渚くんに聞かれた質問に、私はいつものように「弟みたいな幼馴染みだよ」と答えられなかった。少し前なら直ぐに言えたその言葉。

『いつか弟みたいだなんて言えなくしてやるよ』

一年前、凛に言われた言葉が蘇る。まさか本当にそうなるとは思ってなかったよ、凛。
快活で、ロマンチストで、それでいて少し泣き虫な弟のような存在だった凛は、いつの間にかとても頼りがいのある、男らしい青年に成長していた。あの時はまさか凛に告白されるなんて思っていなかったから、ただただ驚くだけだった。
それなら、今は?
諦めないと言った凛だけれど、その後は連絡を取る頻度や過保護度具合が上がった以外は特に目立った何かがあるわけではなかった。でもそれは凛が優しいからきっと私が困らないように気を遣ってくれているからなのだろう。それはとても大事にして貰えていると言うことに他ならず、感謝しなくてはいけないし、甘えてばかりもいられない。最近は凛を見ると心がなんだかざわつくような感じもある……気はするのだけれど。
そこまで考えて横に居る宗介をちらりと覗き見る。凛と同じく、本当の弟のように思っているもう一人の幼馴染み。連絡の頻度はもちろん、過保護度具合で言えばきっと宗介の方が上なんだよね。だからと言って宗介が私のことを凛と同じ様に思っているわけではないだろうから、その線引きが余計によくわからなくなる。
別に過去、付き合った人が居ないわけではないけれど、あれは一時の気の迷いなような付き合い方だったし、その時の気持ちは参考にはならなさそうだ。
凛も宗介もどちらも大切で大好きな存在で、そんな二人対する思いと、凛と宗介がくれる思いはなにか違いがあるのだろうか。あるとすればそれは……

「おい、名前?」
「え、あ……凛、どうしたの?」
「どうしたのじゃねえだろ。ボーッとしてどうした? なんか顔赤えし、お前もしかして熱中症……」
「あ、ううん。大丈夫。ちょっと考え事してただけ」
「なら良いけどよ……次、俺のレースだから」

余所見せずに見とけよ。
そうニヤリと笑って言い残すと、凛は集合場所へ向かって行く。さっきまで考えていたことのせいか、不意打ちの笑顔がとてもかっこよく見えて、思わずドキリとした。
だめだ、今は大事な大会の応援に来てるんだもん、ちゃんと応援しないと失礼だよね。
そう思って、気合を入れるために軽く頬を叩くと宗介が私の頭をくしゃりと撫でる。

「どうした、凛に見惚れでもしたか?」
「え……」
「……」
「えっと」
「なんでもいいからしっかり見といてやれよ。拗ねるぞ」
「あ、うん。そうだよね。ちゃんと見とくよ」

バッタとフリーを泳いだ凛は、残念ながらフリーではハルくんに0.02秒差で負けて2位だった。その結果に宗介は不満そうだったけれど、レース後にハルくんと話す凛の表情を見た私は去年との違いに思わず口元が緩んでしまう。前に進めてよかったね。

「そう言えば宗介はなんでリレーだけなの?」
「進路は決まってるからな。今年は凛とのリレーに集中したいと思ったんだよ」
「そっか。明日、楽しみにしてるね」
「おう」

その時の私は凛が変われたことと、二人が同じチームでリレーに出るということを喜ぶあまり、気付けていなかったのだ。

彼に会うまで、私はなにも分かっていなかった……







「あれ、名前ちゃん?」
大学からの帰り道。本屋に寄った私は何時もと違う道を歩いていたら、懐かしい声に名前を呼ばれた。振り返るとそこには見覚えのある桃色の髪を揺らした男の子の姿。

「あ、貴澄くん!久し振りだね! 元気にしてた?」
「うん。名前ちゃんも元気そうでよかった。今日はハルと真琴と会ったし、なんか懐かしい人と会える日なのかな?」

弟が岩鳶SCに通ってて、そこで二人に会ったんだよ、と教えてくれる貴澄くんは、中学校時代と変わらず人懐っこい笑みを浮かべていた。凛も宗介もそうだけど、貴澄くんも例に漏れずに背が高くなって居て、男子高校生の成長速度の速さを思い知らされる。

「そうなんだ。凛と宗介もね、今こっちに居るんだよ」
「聞いたよー。全く、二人ともなんにも教えてくれないんだから酷いよね!」
「本当だね。今度ちゃんと連絡してあげてって伝えとくよ」

ぷりぷりと拗ねたような貴澄くんとの会話を懐かしんでいた私は、彼の次に続く言葉の意味が暫く理解出来なかった。

「そう言えば宗介の肩の怪我も治ったみたいでよかったよね!」
「……え?」

名前ちゃんも心配だったでしょー?
さっきまで懐かしんでいた貴澄くんの声が遠い。
宗介が、怪我……? 
そんなこと、私なにも聞いてない。
真夏だと言うのに全身は熱が消え去ったような感覚に襲われて、上手く立っているのかどうかも曖昧になる。様子のおかしい私を心配するように貴澄くんが何かを言っていたけれど、今の私の耳には届かない。

なぜ、宗介が個人種目を泳がなかったのか。
なぜ、宗介があれだけ避けていたリレーに出場すると言ったのか。
なぜ、リレーの最中に一瞬宗介の泳ぎが乱れたように見えたのか。

頭の片隅にあったまま放置されていた小さな疑問が全て繋がった瞬間。
私の世界から音と色が無くなって、周りの景色は時間を止めた……


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