エクリュと輪舞曲を


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『え、凛が怜くんに?』
「あぁ、バッタ以外も泳ぎたいんだとよ」
『そうだったんだ。優しいね、凛は』

電話越しの声は穏やかで、どんな表情で言っているのかも直ぐに想像出来る。鮫柄に転入して、凛と同室になってからも毎日ではないが名前との連絡は続いていた。地元へ帰ってきて近くなったからと言っても止められなかったのは、それが日課として染み付いていたせいか、それとも……

「ただいま」

そんなことを思っていれば、今日の秘密練習を終えた凛が帰ってきたらしい。おつかれ、とベッドの上から返すと、携帯電話を持つ俺を見た凛が少し不機嫌そうに眉を潜めたのがわかって苦笑する。俺が電話をしている相手が名前と分かった時から毎回、そんな表情を向けてくる親友の考えは手に取るように分かりやすい。

『凛帰ってきたの?』
「あぁ。替わるか?」
『じゃあ、お願いしようかな』

名前の言葉を受けて、未だにこちらを見上げたままの凛へ携帯電話を渡す。すると一瞬驚いた表情を見せたが、意図を理解するや否や慌てて電話を奪い取られた。

「よぉ、名前……おつかれさま?あぁ、宗介に聞いたのか……そうだな、あいつはハルたちには内緒にしてるみたいだから……あぁ、そうしてもらえると助かる」

先程の慌て具合はどこへやら、さも普通ですと言ったような口調で話している凛。背中を向けているが、その声色から浮かれた表情を想像するのは難くない。

「あぁ、お前も体調とか気をつけろよ……んじゃ、宗介に替わるわ。宗介」
「もういいのか?」
『うん、しっかり話せたから大丈夫。宗介も勉強に練習、まだ慣れない所で大変だろうけど頑張ってね』
「凛も居るから大丈夫だろ。お前も無理するなよ」
『うん。じゃあおやすみ』
「おやすみ……なんだ、凛」
「別に」

電話を切るまでの間、また視線を感じて下を覗くと、その言葉とは裏腹な表情の凛と視線がぶつかる。まあ、なんとなく何が言いたいのかはわかるんだが。
凛が去年の夏に名前に告白したのは知っている。本人から直接聞いたわけではないが、その話を聞いた時、あまり驚かなかったのは凛が小学生の頃から名前のことを好きなのを知っていたのと、名前から凛が帰国したと聞いていたからだと思う。
心のどこかで遅かれ早かれそうなりそうなことを予想していたのかもしれない。
何年も離れていて再会するなり思いを告げた凛と、何年も一緒に居たのに何も告げていない自分。この距離が心地よくて、行動に移すことでこの関係が崩れてしまうのを恐れて踏み出せない俺とは違い、凛は何かと名前と接点を持とうとしている。
頻繁に連絡をしているなんて些細なアドバンテージはこのままだときっと直ぐにひっくり返されるだろう。

「宗介」
「なんだ」

俺の名前を呼ぶその声はいつもより少し緊張感を孕んでいて、次に続く言葉まで容易に想像出来ることに心の中で溜息を吐いた。一番の理解者で、お互いに分かり過ぎていると言うのはこういう時に厄介だ。

「お前、名前のことどう思ってるんだ?」

親友と一人の女を取り合うなんて、ベタすぎてドラマにもなりはしねえ。
あぁ、本当に……







「お兄ちゃん、名前ちゃんと進展あった?」

部活がオフの休日。
水着を見に宗介たちと一緒にスポーツショップへ来ていると、丁度買い物に来ていたらしい江と名前と遭遇した。相変わらずのテンションで江に絡むモモを引き剥がし、愛へなんとか押し付けることが出来て安心していると、江から耳打ちされたそんな言葉に思わず肩が小さく跳ねた。

「その反応、進展なしかぁ……」
「ほっとけ」
「もう、そんなんじゃ宗介くんに名前ちゃん取られちゃうよ!?」
「っ……」

宗介。
その名前につい反応してしまう自分が恨めしい。こんなんじゃまた江に溜息を吐かれるかもしれない。

「でもお兄ちゃんの話してる時の名前ちゃん楽しそうだし、まだまだこれからだよ。応援してるから……って聞いてる?お兄ちゃん」
「え、あぁ……そう、だな」
「もう、しっかりしてよね!じゃあ私、学校に寄って帰るから、名前ちゃんのことちゃんと送って行ってあげてね!」

頑張って!
にこにこと我が妹ながら最高に可愛いと思う笑顔で走り去っていく背中を見送って、江との約束を守るために名前を探す。モモを江から引き剥がした時にはあの辺に居たはずだよな。モモを最後に見た売り場の近くへ歩いて行く。お、居た。売り場から少し離れたベンチに座っている名前を見つけて、声を掛けようとした時。
目に入った光景に、思わず足が止まった。
椅子へ座る名前に飲み物を手渡す宗介と、そんな宗介に笑顔で礼を言う名前の姿。
その二人の姿があまりにも自然で。
とても絵になっていて。
まるで、恋人のようで……

『宗介くんに名前ちゃん取られちゃうよ!?』

目の前の光景に江の言葉が重なる。
あの二人の間に入り込むような隙など針の先程も無いような気がして、ともすればその光景をこれ以上見ないようにこの場を走り去りたくなる気持ちをなんとか押し止めた。
名前が俺のことを弟のように思っていたことは分かっていた。
だから、去年の夏に告白して以来、離れていた時間を埋めるよう俺なりに努力してきたつもりだった。その度に名前も笑顔を見せてくれて、このまま少しずつでも距離が縮まればいいと思っていたのに。
数ヶ月前に帰ってきた宗介は、俺が一年弱かけて縮めた距離をいとも簡単に越えていった。俺よりも先に名前と出会って、誰よりも名前を大事にしていて、俺よりも長い間その横に居た宗介。あいつが帰ってきたと聞いて、また一緒に泳げると喜んだのは本心だ。実際、あいつと泳ぐとハルとは違う興奮が込み上げるのを実感している。
それでもどこかに、宗介が帰ってきたら名前を取られるんじゃないかと言う不安があったのもまた事実で。いつもなんとか理由を作って連絡を取る俺とは違って、日課のように電話をしている姿に何度嫉妬したことか。
宗介とは昔から色々な勝負をしていたが、まさかこんな所でもライバルになるなんて。

『俺は名前のことを大切だとは思ってるが、どちらかと言えば家族に対するようなもんだ。お前が思ってるような感情とは違うから安心しろ』

先日宗介に言われた言葉がフラッシュバックする。名前のことをどう思っているのか聞いたことに対するその答えは、意外にも俺の予想に反するものだった。
なぁ宗介。
その言葉、信じていいんだよな……?

いつも分かっていたはずの親友の気持ちが、初めて分からなくなった気がした――


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