エクリュと輪舞曲を


3  






「お願い、名前ちゃん!お兄ちゃんをマッスルコンテストに出るよう説得して!」

スプラッシュフェスin岩鳶SCリターンズ開催当日。一足先に会場へ着いた私の眼の前で江ちゃんが頭を下げると、トレードマークのポニーテールが可愛らしく揺れる。

「マッスル……」
「そう! 絶対お兄ちゃんなら優勝確実だと思うけど、私が言っても断られるし……」

だから私の方から頼んでほしいと言うことらしいけど、私が言った所で凛が頷くとは思えないんだけどな。嫌そうに眉間に皺を寄せる凛の表情が容易に想像出来て、思わず苦笑する。

「……名前ちゃん、だめ?」
「わかった、頼んでみる」
「やったー!!ありがとう!!」

なのに私の口から出てきたのは承諾の言葉。なんだかんだ私はこの兄妹に弱いのだ。満面の笑みそのままに抱きついてくる江ちゃんの頭を撫でながら、どうやったら説得できるだろうと考えを巡らせた。







「嘘つき!可愛い子がいっぱい居る所に連れて行ってくれるんじゃなかったのかよ!」
「うるせぇ!いっぱい居るだろう、可愛い、子!」
「騙されたー!!」

岩鳶水泳部のみんなと合流して入り口で話をしていると聞こえてきたそんな声。聞き慣れたその声に視線を向けると、やっぱりそこには思った通り凛と愛くん、そして凛に捕まって暴れている橙色の髪の子が見えた。

「凛、おはよう。今日は来てくれてありがとう。愛くんも」
「よぉ、名前。先に来てたんだな」
「おはようございます、名前さん。今日はよろしくお願いしますね」

みんなの元を離れて凛の方へ向かうと、気付いた二人が挨拶を返してくれる。相変わらず丁寧にお辞儀をしてくれる愛くんに釣られて私も思わず頭を下げると、二人してなにやってんだと呆れたような凛の声。

「ふふ、愛くんが丁寧だからつい。あと、その子は……」
「あぁ、こいつは、」
「遅かったじゃないお兄ちゃん!」
「おぉ、江。はよ」
「ちょっと待って君……きゃわいいね」

凛の姿を見つけて駆け寄ってきた江ちゃんに、凛の腕の中でもがいていた彼は急に元気になったかと思うとそんな言葉をかける。あれ、この台詞どこかで聞いたことがあるような。そう言えばどことなく見たことがあるような目元。もしかして。

「凛、彼って……」
「あぁ、御子柴部長の弟だ……」

やっぱり。
目元に手を当ててはぁっと溜息を吐く凛と、呆れたような表情の愛くん。これは大変そうだ。頑張れ、二人とも。心の中でそんなエールを送って、ここに居るはずのもう一人が居ないことに気付く。あれ、宗介は?今日、一緒にメドレーリレーに出るって言っていたのに。もしかして迷子になっているのかもしれない。私と同じで方向音痴の幼馴染みを思い浮かべてポケットに入れていた携帯電話を取り出した時。

「あ、宗介くん!」

江ちゃんが呼ぶ声にはっと顔を上げると、そこには宗介の姿。よかった、なんとか辿り着けたんだね。そんなこと思っていれば、凛が鮫柄のみんなを連れて奥に向かう声がする。そうだ、私には大事な役目があったんだった。お願い!とばかりに小さく手を合わせる江ちゃんに、小さく頷いて私も凛たちの後を追うように建物の奥へと向かった。


「はぁ!?マッスルコンテストだぁ?」

橘家の双子ちゃんがエントリーしていたビート板泳ぎを眺めながらさり気なく伝えると、返ってきたのは想像通りの険しい表情と言葉。うん、そうなるよね。予想通りの反応とは言え、こうもあからさまに嫌そうな顔をされると少し胸が痛い。江ちゃん、やっぱり私じゃ力になれなさそうだよ。

「だめかな……江ちゃんも審査員として楽しみにしてると思うの」
「だからってんなもん……」

お願いします、と頭を下げてみても返ってくるのは微妙そうな回答のみ。万策尽きてどうしようも無くなっていた私に、後ろから声がした。

「一位取ったらなんか褒美とかやれば凛もやる気になるんじゃねえか?」
「「宗介!」」
「なんか面白そうなことになってんな」
「うるせえ、他人事だと思って……」

どこかから戻ってきた宗介がニヤニヤと笑いながら近づくと、凛は不機嫌そうに宗介を軽く蹴る。もう、仲がいいのはわかるけど人を蹴るのは良くないと思うよ。そんな二人を見ながら、先程宗介に言われたことを考える。そっか、なにか凛にもメリットがあればいいんだよね。凛が首を縦に振ってくれそうななにか……

「凛、優勝したら何でも一つ言うこと聞いてあげるよ」
「は……」

私の言葉に言い合いをしていた凛が目を見開いて固まる。宗介も驚いているようで、珍しく目を丸くしてこっちを見ていた。
あれ、私なにかおかしいこと言った? それとももっと別のものが良かったのかな。

「ごめん、別のが良ければ、」
「なんでも、いいんだな?」
「うん? いいよ、私に出来る事なら」

凛の好きなお肉が食べたいと言うのなら食べに連れて行くし、新しい水着が欲しいなら買えないことはない。凛も流石に私に絶対出来ないようなことは言わないだろうから、多少の我儘は聞いてあげられると思うんだ。

「……わかった、出てやるよ」
「ほんと?ありがとう!江ちゃんに伝えてくるね!」

渋々と言った表情で吐き出した凛にお礼を言うと、きっと落ち着かない気持ちで私を待っているであろう江ちゃんの元へ走る。
これで江ちゃんの喜んだ姿が見れると思うと、私の足取りは軽かった。







「凛、残念だったね」
「まさか真琴に負けるとはな……」

フェスの帰り道、凛と宗介と三人並んで歩きながら、がっくりと肩を落とす凛に声を掛ける。折角出場してくれたマッスルコンテストは、マコくんが優勝すると言う凛と江ちゃんにとっては非常に残念な結果で幕を閉じた。確かにマコくんの筋肉すごいもんね。江ちゃんも言っていたけれど、バックで鍛えた僧帽筋は彫刻のように綺麗だ。照れていたけど、すごいと褒められたマコくんは満更ではない笑顔だった。

「名前に褒美貰えなくて残念だったな、凛」
「うっせ」

誂うような宗介と拗ねたように顔を背ける凛を見て苦笑しつつ、そう言えば凛が優勝したら何を言うつもりだったんだろうと言う疑問が湧き上がる。

「凛、優勝したらなんて言うつもりだったの?」
「はっ!?」
「?」
「あー……肉、食わせろって」

言うつもりだった、と最後は小声になっている凛の耳は赤い。なんだ、やっぱりそうだったんだ。でもそんなに照れることないと思うんだけどな。お肉好きなのは知ってたし。お肉のために頑張ってくれた凛に、なにかやっぱりお返ししなくちゃね。それに二人がリレーに出てくれたのも私にとってはすごく嬉しい出来事だったから。

「凛、宗介」

歩く足を止めて名前を呼ぶと、少し前を歩いていた二人が同時に振り返る。

「今日は参加してくれてありがとう。久し振りに二人が一緒に泳いでる姿見れてすごく嬉しかったよ。今年の大会また二人の泳ぎが見れると思うと、楽しみで仕方ないの」

だから今度一緒にお肉食べに行こう?
今日感じた思い全てを伝えるにはこんな言葉じゃ全然足りない。それでも二人は少し驚いた表情の後すぐに、くしゃりと子どもの頃のような笑顔を見せてくれる。

「言ったな?すげえ食ってやるから覚悟しとけよ!」
「ええ、それは金額が怖いね……」
「トンカツがいい」
「いや、お前ほんと好きだな……肉って言ったらやっぱ焼き肉だろ」

そんな他愛もない話をしながら帰る私達を夕陽が照らす。
今年の夏も暑くなりそうだ。


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