クラレットに口付けを


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※アニメの無人島合宿ネタですが、後半にfreeのノベライズ要素有り


「名前ちゃん!聞いて……!」
「江ちゃん?」

江ちゃんが見つけたと言う何十年前の合宿メニューに書かれていたらしい、無人島での夏合宿。食事などの準備や片付けに人手が要りそうと言うことで手伝いに参加した私が島について天方先生と一足先にキャンプ場で待っていると、江ちゃんが慌てて走って来た。屋内スポーツ施設を見に行っていたみたいだけれど、なにかあったのかな。

「お兄ちゃんが……!鮫柄水泳部が合宿に来てるみたい!」
「え……ほんと?」
「うん!あの屋内プールで泳いでたのを怜くんが見つけたの」

どうやら先程の屋内施設は鮫柄が使用しているらしい。少し覗いてきたんだけど、と言う江ちゃんの話を聞くと凛の姿も見えたと言う。そっか、凛もここに来てるんだ。

「ね、名前ちゃん。お兄ちゃんに会いに行く?」
「うーん、でも遊びに来てるわけじゃないしね。邪魔しちゃ悪いからやめとくよ」
「そっかぁ……」

残念、とシュンとする江ちゃんに、ごめんねと言って頭を撫でる。でも部活として来ている所に、ただ顔を見に来ました、なんて言ってもきっと向こうも迷惑だろう。それに私も一応岩鳶水泳部の合宿という名目でここに居る以上、勝手な行動は慎まないと。

「それじゃあ特訓開始ぃ!!」
「ほら、始まるみたい。私達も準備しようか」

渚くんの声が響いて浜辺を見ると、渚くんと怜くんが海へ走り出していた。その二人の後ろで、マコくんとハルくんが何やら少し神妙な面持ちでなにやら話していたが、程なくして二人も海へ向かって行く。
その後は島と島の間を泳いだり、浜をランニングしたりする彼らの様子をチェックしながら気付いた点をノートに書き込んで行く作業を繰り返す。怜くんは元陸上部だけあって走る姿は綺麗だったけれど、泳ぎの方はもう少し練習が必要そうだな。でもあのハルくんがしっかり助けているみたいだから、きっと心配しなくても大丈夫だろう。
ある程度の情報を書いたところで、名前ちゃんも休憩したら?と言う江ちゃんのお言葉に甘えて波打ち際へ向かってみる。海に来たのはあの、凛に再会した夜以来だ。あの時と違って足の裏に触れる砂は熱く、日差しも強い。それでも聞こえてくる波の音は変わらなくて、誘われるように足を進めると、あの夜とは違って今度は誰かに引き止められること無く冷たい水の感触を得ることが出来た。うん、やっぱり水はいいな。足を少し揺らすと水が跳ねてぱしゃりと跳ねる。それが楽しくて、子どものように何度も繰り返した。そう言えばあの時、また水泳に関わるような気がしていたけれど、こうも早く実現するとは。これも運命ってやつなのかなぁ。水平線を眺めながらそんなことを考えてしまうのは、きっと凛に再会したせいだろう。そう、もしかしたらプールサイドでくしゃみをしているかもしれないロマンチストな幼馴染みを思い浮かべて一人苦笑した。

練習を終えると、へとへとになったみんなと一緒に、夕日に染まる海を眺めてディナータイムだ。その際、調味料を忘れて宿へ取りに行った江ちゃんが凛に会ったらしい。

「名前ちゃんと一緒に行けばよかった!!」

不満を漏らす江ちゃんだったけれど、その表情はにこやかで、江ちゃんはああ言ってくれたけどやっぱり行かなくて正解だったなと思う。だって久し振りに兄妹水入らずで話が出来る機会だったんだから。それに去年までと違って凛は日本に、しかも同じ地元に居るのだからこれから会う機会はまたあるだろう。
そんなことを思いながらサバの乗ったピザを齧る。うん、パイナップルはやっぱり違ったかなぁ。ホッケの方が正解だったのかもしれない。

食事も終わり日も落ちて宿に戻る頃。その機会は予想外に早く訪れることとなる







「本当に私がお邪魔してよかったんですか……?」
「もちろんです。寧ろ急な頼みを受けてくれてこちらが礼を言わないといけないくらいですよ。これであいつもきっと喜ぶでしょう!」

わははと豪快に笑うのは鮫柄水泳部の部長、御子柴くんだ。私はそんな彼の隣で、鮫柄水泳部が合宿所として使用している屋内スポーツ施設の中を歩いていた。

遡ること約一時間前。部屋で明日の準備をしていると、天方先生に来客よ、と告げられた。こんな時間に? と思いながら宿の待合スペースへ向かうと、そこには先日の合同練習でお世話になった御子柴くんの姿があって、ペコリと頭を下げられる。なんで鮫柄の部長である彼が私に? 適当な理由が何も浮かばなくて悩んでいると、そんな私の思いを汲んでくれたのか、彼は笑顔で私を呼び出した理由を話し始めてくれた。

「私では大したことは出来ないと思いますが……でも、凛のこと気にかけて下さってありがとうございます」
「はは、あいつがすごい力を持ってるのは明らかですからね。これで早く馴染んでくれれば俺たちも助かりますよ」

私が呼ばれた理由は、サプライズで行われるらしい凛の入部歓迎会の更なる追加要素として選ばれたからというもの。それなら江ちゃんの方が、とも思ったけれど、身内とは言え夜に他校の女子高校生を連れ出すのは色々問題もありそうだ。だからきっと大学生の私が選ばれたんだろう。なんにせよ、凛の歓迎会の役に立てるというのなら折角の誘いを断る理由もなくて、私はここに居る。

「もう直ぐ後輩が松岡を呼んでくるので、苗字さんはここで待機していてもらってもいいですか?似鳥。ここで彼女と一緒に待っていてくれ」
「はい、大丈夫です」
「はい部長!」

御子柴くんに案内されたのは、プール横の小さな事務室のような場所。最終準備へ向かうという御子柴くんに呼ばれて、彼と入れ替わるように入ってきたのは似鳥くんと言う可愛らしい男の子。あ、この前の合同練習で怜くんに水着を貸していた子だ。

「ご挨拶が遅れました!一年生の似鳥愛一郎と言います!この度は松岡先輩の歓迎会にお越し下さってありがとうございます!」
「苗字名前です。こちらこそ、お誘い頂きありがとうございます」

丁寧な挨拶とお辞儀をくれる似鳥くんに釣られて思わずこちらもペコリと頭を下げる。すると、あの!と少し上擦った声で声をかけられた。

「苗字さんは松岡先輩の彼女さんなんですか!?」

予想外の質問に、思わず苦笑する。バレないようにと暗いままの部屋で、懐中電灯の小さな明かりの中見えた、キラキラと期待に満ちた姿。その期待を裏切るのは心苦しいけれど、私と凛は生憎そんな関係ではないのだ。

「ううん、違うの。凛がシドニーに行くまで仲良くしててね、幼馴染みというか……弟みたいなものかな」
「そうなんですか!幼馴染みって響き素敵です!」

期待ハズレでがっかりされるかと思ったけれど、どうやらその心配は杞憂に終わったらしい。その後も、松岡先輩って本当に凄いですよね!僕、憧れなんです!昔からそうだったんですか?なんて矢継ぎ早に質問が飛んできて、本当に凛のことを尊敬してくれてるんだなと、自然と口元が緩む。

「なるほど……松岡先輩って、」
「っ……」
「びっくりした……今近かったですね……そう言えば嵐になるとか言っていたような」
「う、うん……」

似鳥くんの言葉の途中で一度、部屋の中が稲光で明るく照らされて大きな雷鳴が鳴り響く。その音に思わず身体が跳ねるが、なんとか声は出さずに済んだ。正直、雷はあまり得意でない。普段なら直ぐにでも音と視界を遮断するのだけれど、生憎こんな状況なのでそうすることは出来ない。バクバクと煩い心臓をなんとか落ち着かせるように深呼吸して、似鳥くんとの話へ意識を集中させた。







「そしてここで、もう一つサプライズだ!」
「なんすか……って、は!?名前!?」
「えっと……凛、入部おめでとう?」

御子柴くんの声でプールサイドへ出ていくと、コーラのアイスを持った凛が口を開けて固まる姿が目に入る。うん、そりゃいきなり部外の人間が現れるなんて驚くよね。一応、歓迎会に沿ったようなお祝いの言葉を投げかけみても、反応はない。

「凛……?アイス、垂れちゃうよ」
「お、おぉ……つか、お前なんで……」
「俺が呼んだんだ!前の合同練習の時にお前と仲良さそうにしていたからな! 偶然にも岩鳶高校の合宿に参加されていると聞いて招待させてもらった!驚いたか?」
「はぁ……いや、まぁ、驚きましたけど」
「そうか!それはよかった!では時間はもう少しある、しっかり楽しんでくれ!」

豪快に笑いながら立ち去る御子柴くんを見送って、隣の凛を見ると若干引き気味の凛と目が合った。

「というわけなんだよ」
「どういうわけだよ」

呆れたように言う凛だけど、その表情は笑顔が浮かんでいて、今回は機嫌を損ねたわけじゃないと安心する。とりあえずサプライズ要素としての私は無事に成功したので、凛と他の部員の子の邪魔をしては悪いと隅へ行こうとしたら凛に引き止められた。

「どこ行くんだ」
「隅の方に居ようかと」
「は? 御子柴部長もああ言ってんだからお前も来いよ。それにお前、雷ダメだろ」
「え、覚えて……?」
「お前な……小学校の頃、何度俺と宗介に泣きついてきたと思ってんだ。それに雷鳴るたび、顔引き攣ってる」

どうやら目敏い凛にはばれていたらしい。似鳥くんには誤魔化せてたのにな。それでもこうやって昔のことをちゃんと覚えて心配してくれるあたり、やっぱり凛は優しい。

「お前が人見知りなのも知ってるけどよ、騒がしい方が気が紛れるんじゃねえの」
「凛……」

だめだ、緩む口元が隠せない。緩んだ表情をそのままに、ありがとうと伝えると、別に……と顔を逸らされた。
照れてる凛は昔と一緒で可愛いなぁ。頭撫でたら怒るかな。背が高くなっちゃってるからちょっと難しそうだけど。
なんて思っていたら、睨まれた。

「変なこと考えてんじゃねえよ、置いてくぞ」

相変わらず口は悪いけど、みんなの元へ向かう足取りは速くない。その気遣いが嬉しくて、少し前を歩く凛へ駆け寄った。







「素敵な部活でよかったね」
「……まぁ」

それから程なくして歓迎会はお開きになった。プールからの通路を凛と並んで歩きながら言うと、返ってきたのはそんな短い返事だったけれどその表情は前よりも柔らかい。 
うん、これなら安心だ。

「じゃあ私帰るよ。今日は突然来てごめんね」

宿の入口まで来たのでそう告げると、凛は驚いたような声をあげる。
私、なにかおかしいこと言ったかな。

「お前この天気の中帰るとか有り得ねえだろ……」
「え、いやでも……」
「部長に余ってる部屋準備してもらってる」
「そんな迷惑は……っ」

そんな言い合いの最中、また雷鳴が響く。今まで落ち着いていたのになんてタイミングの悪い。恐る恐る凛を見ると、ほら見ろと言わんばかりの表情で溜息を吐いている。

「いいから部屋行くぞ。お前んとこにも連絡入れとけ」

いいのかなぁ。でもきっとこう言い出した凛を説得するのは簡単ではないし、既に用意されたものを無下にするのも申し訳ないような気がして、お言葉に甘えることにした。

「えっと、凛……?」
「んだよ」
「もう大丈夫だから、ね」

部屋戻っていいよ?
そう言う意味を込めて言ったのだけれど、凛はベッドに背を預けて座りこんだまま動かない。明日も練習はあるんだろうし、早めに寝たほうが良いんじゃないかな。

「いいからさっさと寝ろ。寝たら俺も戻る」
「……うん」

これは本当に私が寝るまで戻らないやつだ。それならばさっさと寝てしまおうと、目を瞑る。そう言えばハルくんたちは大丈夫かな。この嵐の中、流石にテントだと危険だから宿に避難しているとは思うけど。私が泊まる予定だった部屋も空いているし、きっと天方先生がなんとかしてくれているだろう。

「……お前、俺が居ることなんとも思わねえの?」
「え?」

ふと、小さく呟かれた言葉。目を開けて横を見ても、やっぱり凛は背を向けたままだ。

「凛が寝れなくて申し訳ないなとは思ってる」
「……はぁ。さっさと寝ろ」

盛大に溜息を吐かれた。でもそれ以外に何があると言うのだろう。凛が居てくれるのは私が雷が苦手だからだ。小さい頃も宗介と一緒に怯える私の手を握ってくれていた。それはまだ小さい手だったけれど、私にとってはすごく頼もしかったのを覚えている。

「凛」
「だから寝ろって、」
「昔みたいに手、握ってもいいかな」

あ、やっぱりダメだったかな。流石にもうそんな恥ずかしいことしてくれないか。冗談だよ。そう言って誤魔化そうとした時、温かいぬくもりが私の右手に触れた。

「凛……!」
「るせ、寝ろ」

握られた手は昔と違って今では凛の方が大きくて、経った年月を実感させられる。今日は凛の歓迎会の手伝いに来たはずなのに、気付けば私が喜ばせてもらってばっかりだ。今度、なにかお礼しないと。甘いものが苦手な凛は、何をあげたら喜んでくれるだろう。ふわふわとする意識を手放す前、そんなことを考えた。雷の音はもう聞こえない。







朝起きたら凛は居なくて、あの後自室にちゃんと戻ったのだと安心する。そっとベッドを降りると、私の携帯電話にメモが一枚置かれているのが目に留まる。なんだろう?手に取るとそこには見慣れた字で書かれたメッセージに番号の羅列が添えられていた。

『起きたら連絡しろ 0X0-XXXX-XXXX』

間違えないようにしっかりとそのメモを見ながら入力し、通話ボタンを押すと聞こえる呼び出し音。一コールで出た声ははっきりしていて、既に起きていたようだった。

「もしもし、凛?おはよう」

新しい朝が、始まる


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