クラレットに口付けを


3  




「合同練習!?んなこと聞いてねえ……」

ランニング中、似鳥が言った言葉に思わず表情が歪む。正直いまの状況であいつらに会いたくねえが、なにやら江が一枚噛んでいるらしい。あいつ、余計なことしやがって。

「先輩の妹さん、岩鳶の水泳部にいるんですよね。部員は七瀬遥、橘真琴、葉月渚。共通点は女の子みたいななま、えっ……」
「なんで知ってんだ」

あいつらの名前をスラスラと挙げていく似鳥を一睨みすると、あの大会にこいつも参加していたと言う。あのレースは素晴らしかったです! と目を輝かせながら話す姿に、あの時の光景が蘇る。優勝トロフィーを掲げてハルたちと抱き合う幼い頃の自分の姿。 
それがどうした。今の俺にはどうだっていい。俺はその記憶を振り払うように目を逸したが、似鳥はそんな俺を気にすることなく、あぁそうだ、と話を続ける。

「あと岩鳶高校の卒業生の方も一人参加されるそうですよ」
「あ? 卒業生?」 
「はい。名前は確か……」







「マジで居やがる……」

合同練習当日。プールサイドで高校時代のジャージを着て江と喋っている見知った姿を見つけて思わず舌打ちする。

『名前は確か……苗字さん。苗字名前さんって言う方らしいです』

数日前、合同練習の話を聞いた時に似鳥から出たのは予想もしていなかった名前。その名前を聞いた時は思わず、はぁ!?と叫んでしまって似鳥に不思議がられたのをなんとか誤魔化した。なんであいつが……と思ったが、確認しようにも名前の連絡先は知らなかったし、それをわざわざ江に連絡するのも癪で。だからきっと何かの間違いだろうと思っていたのに。

「あ、凛。今日はよろしくね」

御子柴部長に挨拶を終えた名前は俺を見つけると、変わらない笑顔を浮かべて近寄ってくる。その後ろでは渚が、また一緒に泳げるね!なんて叫んでいたが、俺に仲良く泳ぐなんて気はさらさらなかった。それにいまはそんなことより重要なことがある。

「一緒に?お前たちじゃ相手になんねえ。おい、名前。ちょっとこっち来い」

そう言って名前を呼ぶと、首を傾げながらも疑うこと無く俺の後を追ってくる。とりあえず壁際にあったベンチへ名前を座らせて、その横に自分も座った。

「凛?」

なにかあった?
俺を見上げてそう問いかける名前に眉を顰める。一応ここは男子校で、知り合いとは言え男に呼び出されて一人でノコノコ着いて来てんじゃねえよ。なんて、自分が呼んだのは棚に上げてそんなことを考える。
いや、それともあれか? 俺だからそうなのか……?
なんて一瞬甘い考えが頭を過るがそれは直ぐに否定した。気を許してくれて居ると思えば聞こえはいいが、きっとこいつのことだから単にそう言う対象で見てないだけなんだろう。そんな考えに至って盛大に溜息を吐くと、困惑したように名前がもう一度俺の名前を呼んだ。

「……なんでお前がここに居んだよ」

口から出た声は自分が思っていたよりも数段低く、名前が小さく肩を揺らす。

「えっと、江ちゃんたちから水泳部を立ち上げたって話を聞いてね。出来たばっかりで人手も足りてないから、空いてる時に手伝って欲しいって頼まれたの。だから私に出来ることがあればって受けたんだけど……」
「そーかよ」

どうせそんな理由だろうとは思った。ハルと真琴は中学の時に名前と同じ水泳部だったらしいし、そこに仲のいい江が居るとなればこいつに話が行くのも理解出来ないことではなかったからだ。

「あの、凛……ごめん」
「あ?なんで謝んだよ」
「私、邪魔だったかな……怒ってる?」
「別に」

怒ってない。
ただ一言そう言えばいいのに、俺の口から出てきた言葉はあまりにも素っ気ない。そんなことを言えば、名前がどういう反応を示すかなんて分かりきっているのに。ほら見ろ。顔は前を向いたまま、視線だけ隣に向けるとそこには予想通り眉を下げて困ったように笑う名前が居た。
別にそんな顔をさせたいわけじゃねえ。昨日だって本当に名前が来るならまた会えるのか、と想像しただけでなかなか寝付けず、我ながらガキみてえだと自嘲した。そしてその理由を俺は理解している。

そう、俺は名前が好きだ。小学生の頃からずっと。その気持はシドニーに行っても変わることは無かった。だからあの夜、浜辺で見つけた時は運命ってやつを信じた。まさか見つけた途端に海へ向かってふらふらと歩き始めるとは思わなくて、運命なんて思う余裕も一瞬で無くなっていたのだが。

だからこそ、名前があいつらと一緒に笑っている姿を見ると無性に腹が立った。なんでそんなに仲良くしてんだ。そんな顔で笑ってんじゃねえ。そこに俺は居ないのに。  
ハルを、真琴を、渚を、俺以外のやつを、見るな

「凛」

そんなドス黒い感情が渦巻く中、名前の声が響いて意識がハッと呼び戻される。

「私ね、今日凛に会えるの楽しみだったよ。また凛の泳ぐ姿が見れて嬉しい」

その言葉に振り向いた先の表情はやはり少し不安そうなものだったが、それでもしっかりと俺を見つめる名前に思わず息を呑む。

「名前……」
「松岡!練習始めるぞ!」
「凛、呼ばれてるよ。いってらっしゃい」

頑張ってね。
その言葉一つで先程までのイラつきが軽減していく俺は案外単純なのかもしれない。

「……行ってくる。ハルたちとは違う俺の泳ぎ、見せてやるよ」

他のやつらを見せたくなければ、他のやつらが目に入らないほどの泳ぎを見せてやればいい。自然と口角が上がるのがわかる。最近復帰したようなハルたちなんかに負ける気はしねえ。
今日の俺のコンディションはきっと最高だ


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