千紫万紅


ゼフィランサス  







「うわぁ……」

 友人と映画館へ行った帰りの最寄り駅。うとうとしていた私がアナウンスに慌ててホームへ降り立つと、外はバケツをひっくり返したような土砂降りだった。今日は一日雨降らないって言ってたのに。私の見間違いでなければ出掛ける前に見たお天気アプリに傘マークは無かったはず。とは言え、現実は傘やレインコートが役に立たない程の大雨なので、とりあえずこれからどうするかを考えなければ。
 まずはこの雨がどれくらい続くかを確認した方がいいよね。最近よくあるような通り雨なら適当に止むのを待てばいいんだけど……と思いながらアプリの雨雲レーダーを確認すると、強さは少し弱まるみたいだけど深夜までずっと雨は続くらしい。仕方ない、弱まるのを待ってからビニール傘を買って帰ろう。
 そう思って近くのカフェで時間を潰そうとスマホから視線を上げた瞬間。

「あ」
「あ?」

 視界に飛び込んできて視線が交わったのは凛くんだった。どうやら練習帰りらしい彼はスポーツバッグを抱えたまま、ヘッドフォンを身につけた状態で私を眺めている。目が合ったとは言え私と凛くんの距離は話し掛けるには遠くて、かと言ってわざわざ近寄って声を掛けるのも厚かましいんじゃないかと思う絶妙なもの。試合後は疲れてるだろうしきっと早く帰りたいよね。一瞬考えてそう結論付けた私が控えめにひらひらと手を振る私だったけれど、その距離を縮めたのは意外にも凛くんの方からだった。

「なにしてんだ」
「友達と映画行った帰りなんだけどね、駅に着いたらご覧の通りの土砂降りで足止めされてるんだよ。凛くんは練習の帰りだよね?おつかれさま」
「傘は」
「今朝の天気予報だと傘マークなかったの!」
「はっ、ただの準備不足だろ」

 私の返答に鼻で笑う凛くんの手には一本の傘が握られている。準備不足と言ったけれど、たぶんその傘を用意したのはお母さんだと思う。証拠は無いけどきっとそうだと言う自信はあった。だって凛くんは天気とか気にしなさそうだし。それを言うと絶対不機嫌になるのは目に見えているので流石に口には出さないけれど、どうやら目が不満を訴えていたらしい。「なんかあんのか」と言われてしまったので、なんでもないよと笑って誤魔化した。

「で?」
「……で?」
「テメェ、馬鹿にして」
「してない!」

 凛くんが言いたいことが分からなくてつい首を傾げながらオウム返しをしてしまった私を凛くんが睨むので、慌てて手を振って否定する。凛くんは少し言葉が足りないことがあると思う。なんとなくはわかるけど、突然だったり私の気が緩んでいると反応が追いつかないことがあるので気合いを入れ直さないと。で、とはそれで、と言うことだろう。それに続く言葉。ああ、もしかして。

「流石にずぶ濡れはまずいから適当に時間潰して落ち着いた頃に帰ろうかなって思ってたところです」

 向かう予定だったカフェを指さしてそう言えば、正解だったようで凛くんはちらりとそちらを見たあと大して興味が無さそうに自分の傘の留め具を外し始めた。満足したから帰るのかな。凛くんは傘があるんだし、練習後にわざわざ付き合って足止めされる必要も無いしね。

「おつかれさま、凛くん。気を付けて帰ってね」

 そう伝えると、凛くんは持っていた傘をなぜか私に押し付けて来た。よくわからないまま反射的に受け取ってしまった私を置いて凛くんはそのまま駅の外へと向かおうとするので、慌てて彼のカバンを掴んで引き留める。つい勢いよく引いてしまったので、振り返った凛くんの視線は鋭かったけれど今はそんなことを気にしている場合ではない。

「なんだよ」
「それはこっちのセリフ!凛くんの傘でしょ!?外雨降ってるって言ってるじゃん!」
「サッカーしてると濡れることなんてよくあるんだから今更だろ」
「そういう問題じゃないよね?!」

 少しじゃなく多分に言葉が足りていないけれど、これは私に凛くんの傘を使えってことなんだろう。その気持ちはとてもありがたいし嬉しいけれど、その結果凛くんが濡れるのが分かってるのに受け取れるほど私の頭はお花畑ではない。サッカーで濡れるかどうかは別として、それ以外で濡れて風を引きました、それで大事な試合に出れませんでしたなんてことがあったら私は一生自分を許せないだろう。だから、どれほど凛くんに睨まれようともここで引き下がる訳にはいかないのだ。

「離せ」
「凛くんが傘を受け取ってくれたら離すよ!」
「……めんどくせぇな」
「それならサクッと受け取ってくれたら、」

 ボソリと呟かれた言葉に反応していると急に傘を持つ腕が引かれて傘が私の手から所有者へと渡る。やっと納得してくれた……と安心したのはいいけれど、一向に離される気配のない私の腕。えっと、これは……?見上げたままの私をいつもと変わらないクールな表情で見下ろした凛くんは、その顔からは想像できない提案を突き付けてきた。

「俺が濡れるのが嫌ってんならこうすれば問題ねーだろ」

 

 ▽


 どうしてこうなった。
 さっきの土砂降りからはだいぶ弱まった雨の中、私は今の状況を必死で理解しようと思考を巡らせている。
 凛くんが提案してきたのは一つの傘を一緒に使えばいいというもの。それはつまり凛くんと所謂相合傘をすると言うことに他ならないんだけど、凛くんはその意味を理解しているんだろうか。
 チラリと見上げた先には先程までと変わらず、前を向いている横顔が見えるだけ。せめて私が傘を持つよと言う申し出は「俺に屈めって言うのか」とのご尤もな言葉で即却下となった。
 まぁ、たぶん何も考えてないんだろうな。サッカーに関連したもの以外興味無いのが凛くんだし。そう結論付けてしまえば先程まで一人でいろいろ考えていたのが逆に恥ずかしくなって来た。変に意識しちゃってるからダメなんだ。今までだって凛くんと一緒に帰ったことはあるし。それがたまたま今日は雨が降っていると言うだけの話じゃないか。それなら何も問題はない――と思ったところで視線が止まる。

「凛くん!肩、濡れてる!」

 気付けば凛くんの反対側の方が濡れているのが見えて、慌てて声を上げた。

「もっと中に入って!!濡れるなら私が濡れるよ!」
「あ?濡れたら意味ねぇだろ」
「でも……!凛くんが風邪引いたら私が私を許せないので!」
「これくらいで風邪引くような鍛え方はしてねぇ。つーかこの前風邪引いてたヤツのセリフじゃねぇな」
「いやまあそう言われると何も言い返せないんだけど!それでもやっぱり凛くんは濡れちゃダメだよ!」
「うぜぇ。ならお前がもっとこっち寄ればいいだろ。どんどん離れるから傘そっちに取られてんだよ」
「……」

 気恥ずかしさのあまり、離れて歩いていたのがバレていた上に凛くんにわざわざ傘の位置を調整させていたなんて。何だかとても申し訳なくなって思わず言葉に詰まる私を凛くんは呆れたように見下ろしている。足を止めて凛くんを見上げる私と、私を見下ろす凛くん。どちらが勝つかなんて分かりきっていた。

「……失礼します」

 糸師凛のような目力の強い美形の凄みに勝てる人がいたら教えて欲しい。早々に白旗を上げた私は大人しく凛くんの言葉に従ってその距離を詰める。
 
「最初から大人しくそうしとけ」

 溜息と共にまた歩き出す凛くんの隣を歩く私と彼の距離はさっきよりもだいぶ近い。気を抜いたら肩が触れてしまいそうな距離だけど、視線を上げた先の凛くんの肩がもう濡れていなくて安心した。

「凛くん、凛くん」
「なんだよ。まだなんかあんのか」
「ううん。あのね、今日はどうもありがとう」

 とても助かりました。
 まだ伝えていなかった言葉をそう紡げば、凛くんは足を止めて私をまた見下ろしてくる。その先に特に何かを言われることはなく、すぐにふいと逸らされた視線。それが先程までとは違って少し優しい色を含んでいた気がしたのは惚れた欲目なのだろうか。それが欲目でも勘違いでもなんでもいい。だって凛くんが優しいと言う事実に変わりは無いのだから。傘の中から見上げた遠くの空は少し明るくなっていて、きっと私たちの歩いているこの場所の雨が上がるの時間の問題なんだろう。それならば折角のこの時間を楽しまないと。そう思い直した私はぐっとカバンの紐を握り直して、今日食べた美味しいお菓子の話を凛くんに振るのだった。

 



  
  
「あ、凛くん!!見て!虹!!!」
「うるせぇ。ガキかよ」
「えー!虹ってみんなテンション上がるものじゃない?!」
「ぬりぃな」
「ぬるくても綺麗なものが見れるならいいんだよ、っわ?!」
「……はしゃいで転けそうになるとかやっぱりガキだな」
「……返す言葉もございません。助けてくれてありがとう、凛くん」
「目の前で怪我される方がめんどくせぇと思っただけだ」



 


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