千紫万紅


オシロイバナ  






「そう言えばナマエちゃんって糸師と中学も高校も一緒だったよね?」
 
 駅前で久しぶりに小学校の頃の友人に会った私は、最近どう?と言う話の流れでファーストフード店に来ていた。あの子とこの子が同じ高校で、と教えてくれる彼女は昔と変わらずの情報通っぷりを披露してくれる。懐かしいなぁ。ドーナツを食べながら今度同窓会する?なんて話を一通りした後、友人が思い出したうに冒頭の言葉を呟いた。 

「うん。今同じクラスだよ」
「ナマエちゃんたち小学校6年間一緒だったのにすごい。もしかして中学もだったりする?」
「不思議なことに。と言うかよく覚えてるね?」

 さすが、同級生の情報なら彼女に聞けと言われていただけのことはあるなぁ。素直にその記憶力と情報量に感動していると、彼女は少し得意げに笑って話を続ける。

「糸師と仲良いの?」
「凛くん?うーん、一応仲良し枠には入れてもらえてるみたいだけど、どうだろう」

 私としては仲良い方だとは思ってるんだけどね。
 そう言ってココアを一口飲むと、友人の口元が面白そうに弧を描く。
 
「ねぇ、もしかしてナマエちゃんって糸師のこと好きだったりする?」
「ぶっ……」

 友人の急な質問に思わずココアを吹き出してしまう。よかった、あんまり飲んでなくて。危うく手元だけでなく友人の方まで大惨事になるところだった。ゲホゲホとむせながらテーブルに散ったココアを拭いていると、友人はやっぱり面白そうに微笑んでいる。まぁ、こんなお手本のような反応をしてしまった私が悪いんだけど。

「そっかそっか、告白は?まだ?」
「しないしない!」
「えー、なんで?あのサッカーしか脳がないような糸師が仲良い認定してるっぽいし、十分脈アリなんじゃない?」

 確かに他の子に比べて仲は良い、かもしれない。でもそれは私がたまたまノート係になったからで、それが無ければただずっとクラスが一緒なだけの同級生のままだったと思う。もしノート係がもし私じゃなければ、彼の仲良し枠は別の子になっていたに違いない。だから私は今これだけ凛くんと話が出来ているだけで満足なのだ。それ以上を望むのはノート係として分不相応だと思う。それに凛くんはサッカーが一番だから、そういう余計な感情は迷惑になるだけだろうし。面倒くさいやつだと思われてノート係を解任されるくらいなら、今の状態を維持するのが一番いい。

「まぁ、そう言う考えもあるかぁ」

 ナマエちゃんがそれでいいならそれが一番だろうし。
 私の話に納得したように頷いてくれる友人が深入りしてごめんねと謝ってくるので、慌てて首を横に振る。ちゃんとこちらの意見を聞いて、無理強いはしない彼女と話すのは昔から好きだった。 

「糸師と言えば冴くん凄いよね。同じ学校に居たのが信じられないくらい」
「確かに……」

 糸師冴と言えば凛くんのお兄さんで、確かスペインでサッカーをしているんだっけ。テレビや新聞に出る度に、母親が頑張ってるわねぇとまるで自分の親戚の子のように言っていたのを思い出す。

「私は糸師より冴くん派なんだよね」
「え、そうなの?」
「うん。だってなんて言うか、クールで大人って感じがしない?」

 友人の意外な告白に思わず目を丸くすると、彼女は昔からかっこいいなと思ってたんだと更に話を続けていく。

「傲慢不遜な態度もあれだけ実力あれば許せるって言うか……あ、そうだ!ナマエちゃん糸師と仲良いならお兄さん情報聞いたりしてる?」

 何があったら教えて欲しい!
 キラキラと期待に満ちた目で私を見る友人。だけど今、凛くんはお兄さんとあんまり仲良くなさそうな感じがするんだよね。以前はお兄さん名前をよく聞いていたけど、ある時からそれがパタリと無くなってしまったし。そこから凛くんの雰囲気が変わったから、真偽を確かめた訳では無いけれど私の中ではなんとなくそうなんじゃないかと思っている。

「凛くんの口からあんまりお兄さんの話聞くことないんだ……ごめんね」
「そっかぁ。まぁお兄さんがあんなに凄いといろいろ思うところもあるかもだしねー。あ、じゃあナマエちゃん自身は冴くんとの思い出ない?小学校の頃、帰る方向一緒だったよね?」

 凛くんからの情報は諦めて今度はその矛先が私に向かう。彼女の情報収集に対する熱量は相当なものだった。

 糸師冴くん。二歳上の凛くんのお兄さん。正直あんまり話した覚えは無いんだけど、実は一度だけお世話になったことがある。あれはそう、私がまだ小学生だった頃の話。
 
 暑い夏の日、おばあちゃんに貰ったお小遣いを握って近所にあるアイスを買いに行った時のこと。アイスを食べれることに浮き足立っていた私は、手を滑らせて小銭をばら撒いてしまった。殆どは拾ったけれど10円だけが棚の下に入り込んで手が届かない。他の子の相手をしている駄菓子屋のおばちゃんに正直に言えばいいのに、お金を落としたことに対して何故か悪いことをしたように思えてなかなか言い出せなかった。お金はアイスの金額ぴったりにしか貰ってなかったからこのままでは買えないけれど、落としたのは自分だし仕方がないかと諦めてお店を出ようとした瞬間。

「10円落としたから棚少し動かしていいか」

 私の隣からそんな声がして、振り向くとそこに居たのが冴くんだった。彼の声に気付いたおばちゃんが「あら大変」と言いながら棚を動かしてくれるのをボーッと眺めていると、出てきた10円を拾った冴くんが私の目の前に差し出してきた。

「ボーっとしてんじゃねぇよ。言いたいことあんならちゃんと言え」
「っ……ごめんなさい……」

 きつい言葉にそれでなくても普段あまり接することの無い上級生との会話をすると言う緊張でどうにかなりそうな私は、反射的に謝って足元に視線を落とす。そんな私にそれ以上何も言わずに自分用のアイスを買って店を出ようとする冴くん。そこでハッと気づく。そう言えばお礼を、言えていない。
  
「あ、えっと、あの!ありがとうございました!凛くんの、お兄さん」 

 






  
 緊張でしどろもどろになりながらの私の言葉に振り返った冴くんは少し驚いたような表情だった。きっと私が凛くんの同級生だったことにその時気が付いたんだろう。その後「もう落とすなよ」と言われたことを伝えると、友人は「かっこいい!!私やっぱりこれからも冴くん推すことにするね!また何かあったら教えて!」と言い残して、笑顔で塾へと向かって行った。

「懐かしい、まだちゃんとあるんだ」

 家に帰る前に寄ったのは件の駄菓子屋さん。少し古びたドアを開けると、当時の記憶とそんなに変わらない店内に思わず笑みが漏れる。おばちゃんも少し歳はとったかなと思うけれど、元気そうに子どもの相手をしていて安心した。折角だし何か買うとして、やっぱりアイスかなぁ。ドーナツ食べた後だけど気にしない。そう思ってアイスの入っているショーケースを開けようとした時、同時に私の手より大きなものが横から伸びてくる。

「あれ、凛くん?」
「……あ?」

 なんとそこに居たのは凛くんだった。その姿を見るに、どうやら練習帰りに寄ったらしい。わかるよ、外暑いもんね。そう思って居ると、凛くんは私の横からサッとアイスを取ってレジに向かって行く。あ、待って。そう慌てたのがダメだった。手に持っていた財布が手から滑り落ちて、その衝撃で床に中身が散らばる。あの頃からまるで成長していないじゃないかと、情けなく思いつつ急いで拾い集めていると、アイスのショーケース下に100円玉が入り込んでいたのが見えた。頑張って手を伸ばすけど私の指ではあと少し届かなくて、かと言って100円のためにおばちゃんと子どもの話を遮るのも悪い気がして諦めようとした時。

「なにやってんだ」

 床に這いつくばっていた私の頭上で聴こえる声。見上げるとそこには眉間に皺を寄せた凛くんの姿があってつい、あはは、と乾いた笑いが漏れた。

「財布落としちゃったら100円が下に入り込んじゃって……でも大丈夫!流石にそれがなくても買える分くらいは持って……って凛くん?」

 私の話を聞き終わらない内に、凛くんがショーケースを軽く動かしている。いきなりの出来事にあっけに取られて動けない私の前に、差し出された100円玉。その姿が当時の冴くんの姿に重なった。
 
「おい」
「!」
「ボーッとしてんじゃねぇ」
「えと……あ、ありがとう!!」

 あの時と違って直ぐにお礼が言えたのは、相手が冴くんではなく凛くんだからなんだろうなと思った。凛くん相手に緊張することは最近はあまりないから。私が受け取ったのを確認して、そのままお店を出ようとする背中に慌てて会計を済ませるとその後ろ姿を追いかけた。
 
 その後、近くの堤防で並んでアイスを食べている私たち。無言でアイスを食べながら海を見つめる凛くんの横顔はいつもと変わらないはずなのに少し哀しい色が見える。何を考えてるんだろうな。もしかしたらお兄さんのことだったりするんだろうか。そうだとしても私が言えることは何も無いんだけれど。そのまま波の音だけが響く中、無言でアイスを食べ進め、最後の一口を食べきった後に何の気なしに残った棒に視線を落とす。そしてそこに書いてある文字を見てテンションの上がった私は、反射的に凛くんのシャツの袖を引っ張っていた。
  
「凛くん、見て!当たり!」
「うるせぇ」
「えぇ……凛くんは当たっても嬉しくない?私あんまり当たったことないから今テンションすごい上がってる!」
「こんなんで運使うやつは世界一になれねーんだよ」

 興奮する私とは反対に呆れたように呟く凛くん。彼の考え方は私が想像すらしなかったもので、相変わらずストイックなんだなぁと感心してしまう。

「じゃあ私が凛くんの分まで頑張って当たり引いとくね」
「あ?」
「そうしたら当たりが減る分、凛くんの運も減らないってことで!」

 ウィンウィンの関係ってやつだよ!
 そう言って笑えば、凛くんは目を丸くして、その後すぐに「ぬりぃな」といつもの台詞を口にする。でもその言葉とは裏腹にその声はそんなに冷たい色を含んでなくて、思わず口元が緩んだ。やっぱり私は凛くんが好きだよ。だからこそ今の関係を壊したくない。そう、友人に伝えた言葉は紛れもない本心。寧ろ凛くんと話す度にその思いがより一層強くなって、私は自分の気持ちにしっかりと鍵を掛けて心の奥底に沈めるのだった。
 


prev / next