千紫万紅


ヒメジョオン  







 スマホがメッセージの受信を告げてぼんやり浮上する意識。目を開けた先に見える窓の外は既に茜色になっていた。

【ナマエ大丈夫?熱下がった?明日は来れたらいいね!】

 友人からのそんな文面を見て、枕の横に置いてあった体温計に手を伸ばす。寝る前より幾分か軽くなった身体と思考。それを裏付けるように表示パネルには自身の平熱である数値が示されていた。

【心配してくれてありがと!もう熱下がったから明日は行けると思う!】

 お礼を述べるキャラクターのスタンプと共に返信すると、サムズアップしたスタンプが返ってきて一旦途切れる会話。そのまま画面をスライドすると出てくるスケジュールアプリの今日の欄には花のアイコンが付いている。それは私が凛くんにノートを貸す日に付けている目印だ。本来なら今日が凛くんにノートを貸す日だったことを思い出し、小さく溜息を吐きながらスマホを枕元に放る。金曜日から学校を休んでいた凛くんのため、その日の授業はいつもよりしっかり聞いたし、夜にはノートの見直しと恒例になっている花のイラストも添えて準備は万端だったんだけどな。まさか日曜日の昼頃になって熱が出るなんて。

「ノート係失格だ……」

 別に一日二日ノートを渡すのが遅れたところで凛くんは気にしないんだろうけど、私の中の変な責任感がそれを良しとはしてくれない。なにもノートを渡す日に熱が出なくてもいいのに。なんて、今更言っても仕方がないとは分かりつつもやっぱり落ち込んでしまって口からは自然とまた溜息が漏れた。すると程なくしてスマホが再びメッセージの着信を告げる。今度は誰だろう。送ってくれそうな友人の顔を思い浮かべながら画面を点灯させ、そしてそのまま固まった。

【生きてんのか】
 
 予想外の人物からのメッセージに動揺しつつも、メッセージアプリの表示名は確かにそれが凛くんからのものだと伝えている。でも確かにこんな物騒なお見舞いの言葉を言うのは凛くんくらいだよね。と言うかこれは心配してくれたってことでいいのかな。そんな風に思ってしまえば、先程まで落ち込んでいた気持ちが一瞬にして浮上するんだから私の思考はとても単純に出来ているんだろう。良かった、これがスマホ越しで。絶対私の口元緩くなってるもん。

【生きてるよ。ごめんね、ノート渡せなくて。でももう熱下がったから明日には渡せます!】

 さっきまで死んでたメンタルもたった今生き返りました。流石にそんなことは言えないけど、ありがとうと心の中でもう一度凛くんにお礼を言ったところで、メッセージ欄が動く。そして次の瞬間私はベッドから飛び出していた。


 ▽


「な、な、なんで……」

 玄関の扉をそっと開け、メッセージが嘘では無いことを目の当たりにした私はその扉を一度閉めた。なんで?なんで凛くんが私の家の前に居るの。もう一度スマホの画面を確かめても、やっぱり見間違いじゃない。

【家の前】

 人に何かを伝える時は簡潔にわかりやすく。
 国語の授業か何かで習ったことが頭を過ぎるけれど、たった五文字で伝わったんだからあの先生の言ってることは間違ってなかったんだな。そんな現実逃避をしていると、またスマホがメッセージの通知を告げて現実に引き戻してくる。

【なんで閉めた。開けろ】

「なんでと言われましても……」
「あ?」
「と言うか、なんではこっちのセリフだよ。凛くん、なんでここに居るの?」

 もう一度そっとドアを開けて、相変わらず簡潔に送られた文に直接言葉を返すと、凛くんは一瞬なにか迷うような表情を見せた後にチッと舌打ちをする。えぇ、なんで。

「……ノート係が休んでんじゃねぇ」

 凛くんの言葉に思わず、え、と声が漏れる。絶対凛くんにとって大した問題じゃないと思ってたのに。明日には渡せるって言ったのに。
 
「もしかしてそれだけのために……?」
「いいからさっさと寄越せ」
「う、うん!待ってて、いま取ってくる!」

 凛くんの声に弾かれたように部屋へと戻り、鞄の中からノートを引っ張り出して足早に玄関へ。

「これ、ノート」

 差し出したノートを無言で受け取った凛くんはそのまま直ぐに帰るものだと思っていたのに、ジッとその場から動かない。熱は下がってマスクもしているとは言え風邪を引いていたのは事実だから、あんまり一緒に居るのは良くないと思うんだけどな。普段から鍛えてはいるんだろうけど、だからと言って風邪を引かないわけじゃないし、万が一これで凛くんが風邪を引いてしまったら私なんかと比にならないくらいの大問題だ。

「凛くん、ノートわざわざ取りに来てくれてありがとう。風邪が移っちゃダメだから……」

 未だ無言で見下ろしてくる凛くんにおずおずとそう告げて家の中へ戻ろうとすると、おい、と一言呼び止められる。まだ何かあるのかな。不思議に思って首を傾げていると、凛くんが持っていたコンビニの袋を差し出して来る。それは凛くんが自分用に買ったものだとばかり思っていたんだけど、まさか。

「……お見舞い?」
「たまたま視界に入っただけだ」
「う、嬉しい!ありがとう、凛くん!!」

 あの凛くんからお見舞いを貰うことがあるなんて。喜びを隠しきれないまま袋の中を覗き込むと、そこには私がよく飲んでいるパックジュースと――

「お花……?」

 パックジュースの横に無造作に入れられた一輪の花。それはお花屋さんに売られているような整ったものではなく、よく道端で見かけるありふれたもの。それでもそれは間違ってもコンビニの袋に勝手に入ってくるようなものではない。と言うことはそれを入れた人物が居るわけで。そしてそれが出来る人はこの場に一人しかいないのだ。

「いつもよくわかんねぇ花描いて渡してくるのはテメェだろーが」

 それはそう。そうなんだけれど。
 凛くんが道端の花を摘んでいるのを想像して我慢できる人が居たら目の前に連れてきて欲しいと思う。実際マスク越しにもニヤけるのが誤魔化せなかった私を見て、凛くんは不機嫌そうに顔を歪めている。

「笑ってんじゃねぇよクソが。やっぱり返せ。今すぐ捨てる」
「だめ!もう貰ったんだから返しません!」
 
 伸ばしてくる凛くんの手を素早く避けてドアの向こうへと逃げ帰る。本気を出せば簡単に取り上げられる筈なのに、無理やり奪おうとしない辺り口と態度は悪いけど凛くんはやっぱり優しいと思った。

「凛くん、今日はありがとう!すっごく元気になりました!」

 ドアから顔だけ覗かせた状態でそう伝えれば、チッともう一度舌打ちを残して凛くんは背を向ける。その背中が見えなくなるまで見送ろうと思っていると、数歩先で凛くんが振り返る。

「さっさと入れ」

 また明日も休みてぇなら別だがな。
 そう言って今度こそ帰って行く凛くんに、はーい、と小さく返事をして言いつけ通りに扉を締める。部屋に戻る私の足取りはここ最近で一番軽かった。

 
 


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