千紫万紅


アイリス  







「……」
 
 学校からの帰り道、いつもなら音楽でも聴きながらのんびりと帰っている道のりを私は変な緊張感に包まれながら歩いている。
 ちらりと横を盗み見るとそこにはその元凶──凛くんの姿。凛くんは何も言わないけれど、その全身から不機嫌オーラが溢れていて、しかもそれを微塵も隠そうとはしていない。
 
『ナマエって糸師くんと仲良いよね』
 
 委員会のあと、一緒に居た友達に言われた言葉が蘇る。
 
『そんなことないよ。小学校から今までずっとクラスが一緒なだけ』
 
 そのせいでノート係はしてるけど。
 そう返しても友達はあまり納得していなかった彼女には今の空気感を是非とも体験して頂きたい。今の私たちが仲良く見えたら早めの眼科検診をおすすめする所だ。
 そんな私たちがなんで今日並んで一緒に帰っているかと言えば、ノート係をする私に凛くんが飲み物を奢ってくれると言ったからに他ならないのだけど、正直この重い空気の中で飲んだ物の味なんて分からないと思う。
 それならいっそなにか適当な理由をつけて無しにしてしまえばいいか。きっと凛くんも仕方なしに言ったんだろうし、その方がお互いのためだろう。
 
「凛くん」
 
 立ち止まって名前を呼ぶと、一歩進んだところで凛くんが振り返る。声には出さないけれど、なんだ、と言っているのが分かって目は口ほどに物を言うとはよく言ったものだなぁと変なところで感心した。
 
「あのね、飲み物は今度パックジュースでも買ってくれればいいよ」
「あ?」
 
 低い声と更に鋭くなる視線にヒッと喉が鳴る。ほら、やっぱり仲良くなんて全然無いじゃないか。
 
「いや、その、凛くんなにか怒ってるから……無理に買ってくれなくてもノートはちゃんと渡すよ……?」
 
 直視出来ずに視線を逸らしながら伝えると舌打ちされた。だから私が何をしたって言うんだ……!どうすればいいか分からず半泣きになっていると、あー……クソが、と悪態をついてガシガシ頭をく凛くん。
 
「別に無理に買おうとなんてしてねーよ」
「で、でも怒ってる……」
「それはてめぇが……」
 
 そこまで言って凛くんは言うのをやめた。わ、私のせい?!何もしてない、と言うかノートの貸し借り以外で彼と関わることなんてほぼ無い私の何が機嫌を損ねたのか教えて欲しい。今度から絶対しないようにするから。
 
「私が、なに……?」
 
 じっと眺めると、凛くんはふいっと顔を逸らしてもごもごと言葉を濁すように呟いた。
 
「……クラスが一緒なだけってなんだよ」
「え?」
 
 聞こえた言葉に一瞬耳を疑ったけれど、聞き返したら思い切り睨まれる。
 
「……てめぇと俺の関係は」
「ノート係……?」
「クソが」
 
 また舌打ちされた。それにしても大概口が悪いね、凛くん。昔はそんなこと無かった気がするのに。そんなことを考えていたら、仲良いと思ってたの俺だけかよ、と小さく呟くのが聞こえた。心なしか凛くんの耳が赤い気がする。あれ、これってもしかして。私の都合のいい勘違いでないのなら──
 
「私、もしかして凛くんの仲良しカテゴリーに入れて貰えてる?」
 
 ちげぇよ、自惚れんなバカ。
 そんな反応が返ってきたら即謝ろう。そう覚悟して聞いたのに。
 
「……今更だろ、それくらい分かっとけ」
 
 少し拗ねたような、それでいて想像していたよりもずっと優しい声色に今度は私が顔を赤くする番だった。待って、これは……反則だ。なんと言うか、絶対懐かないだろうと思っていた野良猫が気を許してくれたみたいなそんな特別感。嬉しすぎて口元が緩むのが抑えきれない。
 
「凛くん、ありがとう。私でよければこれからも仲良くしてください」
 
 口元を隠すようにそう言って頭を下げると、返事のかわりに頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。これはたぶん了承されたと捉えていいんだろう。私の髪を掻き回して満足したのか、行くぞと一言言い残して凛くんは足を進める。今の私にそれを拒む理由はなかった。
 
「あ、そうだ。今度友達に凛くんと仲良いのって聞かれたら、仲良いよって言っていい?」
「……勝手にしろ」
 
 言葉は冷たいけど、隣を歩く凛くんの口角が少し上がっていたのが見えて、どうやら先程までの不機嫌さを解消することには成功したらしいと分かる。
 それに加えて私の心もポカポカしていたので、私の方こそ凛くんに飲み物を奢ってあげないとなぁと心に決めたのだった。


 


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