千紫万紅


ユキヤナギ  







 花なんか別に好きじゃなかった。嫌いではなかったけれど、それよりも美味しいお菓子や可愛い服の方がよっぽど私を惹き付けていた。
 
 それなのに今私の手にある液晶には花の写真がずらりと並んでいて、親指を操作すると写真と共に添えられた言葉が目に飛び込んでくる。
 
「……今日はこれにしようかな」
 
その中から目に止まった一つを選び、可愛らしい付箋にその花のイラストを簡単に描いてノートへと貼った。
 
【糸師くんへ。おつかれさま。今回分のまとめです】
 


 

 サッカーにおける絶対的エース、糸師凛。
 私と彼の関係は小学校から高校までのクラスが全て同じと言うこと。だからと言って幼馴染みなどと言う特別なものではなく、進学先も示し合わせたなんてことはなくて、ただ単に私が行く先と彼の行く先が同じだっただけの話。
小学生の頃はまだ会話もしていたが、中学に入ってからはお互いの交友関係が重なることも無かったのでそのまま疎遠に──なる筈だった。
 
 当時からチームの中心だった彼は大会やら合宿やらで度々授業を休むことがある。そんな中で担任は母校が同じという理由だけで私を彼のノート係に指名したのだ。
 
『えっと、読みにくかったらごめんね』
『……そんなことねぇ』
 
 そんなやりとりをすること数ヶ月。中学生になりクールさが増した彼とのやり取りに最初は怯えていたけれど、言葉は少ないものの多少の会話は出来ていた。そんな彼とのやりとりに慣れてくれば正直面倒臭いと思っていた役目も受け入れられるようになり、次第に伝わりやすいまとめ方も考えるようになった結果、私の成績も以前より少しずつ良くなっていた。
 
 態度はクールだけどサッカーに対する思いは熱い。糸師くんとのそんな日々が一変したのは中学三年生の冬。
 何があったのかは分からないけれど、悪い方へ雰囲気が変わってしまった彼に戸惑ったのはきっと私だけではないだろう。今度は本当に気軽に話し掛けられなくなってしまった糸師くんだったけれど、ノートを渡すと言う役目をここで放棄するのも気が引けた私は、今まで手渡ししていたノートを彼の机の中へ入れることにした。毎回もう必要ないと言われればその時が役目の終了時点だと思って入れているノートは、今まで通り次の日には私の机の中へ返ってきていたので、結局その後も私の役目は続いている。
 
 そんな無言でのノート交換が始まって以来、何も無いのもなと思って付箋に一言添えて貼り付けていた時にたまたま見かけた雑誌の記事。
 
【言えない気持ちは花言葉に託してみては?】
 
 その見出しが妙に私の中にすんなりと落ちてきた結果、冒頭のようにそれらしい花言葉を探す日々が始まったのだ。
 試合に勝った時には賞賛を、負けた時には労りを、そんな感じでその時々の花を描く。サッカー以外に興味の無さそうな彼だから、きっとこの意味を知ることはないのだろう。完全なる自己満足だけどそれでいいと思っていた。
 


 

「試合、おつかれさま」
 
 人気の無くなった教室で、本人が居るわけでもないのに独り言のように呟いてノートを机の中へ入れる。今回も私の役目は無事終了。そう言えばこの時期限定のお菓子の発売は今日からだっけ。帰りにコンビニ寄ってみよう。そんなことを思いながら教室の扉へ振り返った時、目の前に広がる白に思わず声を上げた。
 
「わ、」
「……」
「って、糸師くん?」
 
 そこに居たのは先ほどノートを入れた机の持ち主。大会って明日までじゃなかったっけ。
 
「あれ、試合は?」
「あ゛?優勝に決まってんだろ」
「そ、そうだよね。ごめん。あ、ノート入れてあるから!」
 
 強い言葉に反射的に謝って、気まずくなる前に教室を出ようとした瞬間、ぱしりと私の腕が掴まれる。
 
「……」
「……」
「……糸師くん?」
 
 掴んだまま何も言わない彼の圧力に耐えきれず、おずおずと名前を呼ぶと、だいぶ高いところにある双眸がぎろりと鋭さを増した。怖い。名前を呼んだだけなのに何が悪かったのか。
 
「ごめ、」
「名前」
「え?」
 
 短く告げられた単語の意図が理解出来ず思わず聞き返すと、また彼の眉間に皺が増える。申し訳ないと思いながらも、だって本当に分からないのだ。探るように彼の顔を見上げると、チッと舌打ちをされる。そうしてとても小さな声で、本当にこの距離の私でも聞き取るのがやっとのような音量で彼はその理由を囁いた。
 
「……昔は、そんな呼び方してなかっただろーが」
 
そう自分で言いながら、気恥ずかしくなったのか顔を逸らす彼。もしかして。
 
「……凛、くん」
 
 舌に乗せた音はとても懐かしく耳に響く。
 小学生の頃は私も含め同級生のみんながそう呼んでいたけれど、中学生になり昔ほど話すことも無くなっている間に気恥ずかしくなって気付けば名字呼びになっていた。そんなことを思い出しながら呼んだ名前に、糸師くん──凛くんは満足そうな表情を見せる。
 
「ノート、助かってる」
「!そっか、それならよかった」
 
 なんだ、雰囲気が変わったと思っていたけれど、話してみると意外と変わっていないのかもしれない。
 
「で、あの花の意味ってなにかあるのか」
 
 毎回違ぇやつ。
 そう続ける凛くんに驚きを隠せない。だってまさか凛くんが気にしているなんて思わないじゃないか。
 
「えっ、と……」
 
 あるような、ないような。いや意味はあるんだけど本人に面と向かって伝えるって言うのはとても恥ずかしい。どう答えるべきか悩んで視線を泳がしていると、目の前のプレッシャーが強くなる。言え、と有無を言わさず見下ろしてくる視線が痛い。これは、どうやっても逃げれない。暫く逃げていた私だったけれど観念してそっと深呼吸を一つして言葉を紡ぐ。
 
「凛くん。いつも練習や試合お疲れさま。今回の優勝もすごいね、おめでとう」
 
 今回の付箋に書いていた花の花言葉に先ほど聞いたばかりの結果に対する感想を添えて伝えると、凛くんが少し驚いたように目を丸くする。その後すぐにやっぱり意味が分からないらしい凛くんが、だからなんだよと言わんばかりの視線を寄越したけれど、私の心は晴れやかだった。これならもうこれからは花言葉に頼らなくてもいいかもしれない。

 
 だってもうずっと面と向かって言ってなかった、言えてなかった言葉が今日やっと、言えたのだから。
 


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