流転無窮


愛は同じ方向を見つめること  






「は??」

 今なんつった?
 チームメイトに聞いた会員制のレストランでフルコース――ではなく、もう何度か足を運んだことのある川沿いのカフェでのランチ中。思いがけない返答に思わず固まる俺に、お気に入りのサンドイッチを摘む女は涼しげな表情でもう一度同じ言葉を繰り返した。

「キミとは一緒に住めないと言ったんだよ」

 改めて断言されることで衝撃は倍増し、くらりと目眩がする。今と同じ場所で彼女――ミョウジナマエに想いを告げその想いが実ったあの日から、練習の合間をみて二人の時間を重ねてきた。休みが合えば日本に居る頃からナマエが好きだと言っていた博物館にも足を運んだし、インドア派のナマエをなんとか説得してホームゲームの関係者席にも何度か招待した。半ば強引なところもあったかもしれないが、なんだかんだ本気で拒否されることはなく、恋人になったからと言ってベタベタするわけではなかったけれどそれまでよりは明らかに近くなった距離での付き合い。それでもやはり欲は出てくるもので、朝起きてまず最初に顔を見るのがナマエでありたいし、寝る前最後に顔を見たいのもナマエがいいと思うのは自然なことのはずで、それを叶えるための「同棲しよう」と言う俺の提案も早計では無いはずなのに。

「……一応聞く、理由は?金の問題なら心配要らねぇけど?」

 ナマエは研究員の両親と一緒に住んでいて、自分もその夢を叶えるために大学で学んでいる最中だ。

「まぁそれも理由の一つではあるけどね」
「なら問題ねぇじゃねーか」

 金はどうにでもなるし、住む場所だって俺の今住んでいるとこに来ればいい。それなりの広さはあるからナマエ用の部屋だって準備出来る。もし大学に近い方がいいなら引っ越せばいいだけの話で、足りないものはこれから揃えれば解決だ。ナマエの親に関しても付き合い始めた時に挨拶した感じだと別に印象が悪いとかはねぇはず。
 そう言う俺にナマエはちぎったスコーンにクロテッドクリームを乗せながら口を開く。

「あのね、御影」
「玲王、な」

 癖なのか、まだたまに昔の呼び方に戻ることがある度に指摘する俺をスルーしてくるのにももう慣れた。

「キミはプロのアスリートだろう?」
「それがなんだよ」
「分かっているとは思うけれど、アスリートは身体が資本だ」
「そーだな」

 ナマエの言葉は遠回しなことが多いけれどなんとなく言いたいことは分かっていた。けれど、今回は全くと言っていいほどその意図が読めない。アスリートだからなんだ。今更ナマエがそれを理由に関係をどうにかするとは思えない。

「私の好きな食べ物は?」
「サンドイッチ」
「理由は?」
「読書を中断せずに食べられるから」
「その通り」
「……それと同棲を断る理由がどうやったら結びつくんだよ」

 そんなことは知っている。集中しすぎると食べることすら忘れていた、なんてことも度々聞くから逆にサンドイッチでも食べてるならマシな方だった。かと言ってサンドイッチを食べることを強要してくるわけでもないし、

「私は平日は朝から夕方まで大学に居ることが殆どなのも知っているよね」
「あぁ知ってる。因みに休日は俺が試合に招待したりしない限り、家か図書館か博物館かカフェのどれかだろ」
「その通り。だからね、私の生活の中で食事の優先度は低いんだ。作ろうと思えば作れなくもないけれど、正直毎日栄養やらを考えたバランスの良い食事を作るのは無理だろうね」
「……だから俺とは住めないって?」
「そう。私が栄養学とかを専攻していれば別だけれど、残念ながらそちらの方面に関しては門外漢だ」

 だから一緒に住むのは諦めて。
 そう言ってジャムとクリームのたっぷり乗ったスコーンを口に運ぶナマエ。その理由に思わず口がニヤけそうになるのを我慢出来るはずもなく、思わず口元を手で覆うが殆ど意味を成していない。いやいや、これを喜ぶなって方が無理だろ?あのナマエが俺のアスリートとしての生活を考慮して、自分にそれが出来るかどうかを検討してくれていたと言うその事実だけで、先程断られたことなんかどうでも良くなるほど嬉しかった。

「俺の食事に関してはプロの栄養士とシェフに任せてあるから」
「それは知っているけれど……」
「それは一緒に住んでも変わんねぇよ。それにプロの世界じゃ別に特別な事じゃねーからな?食トレってのも最近じゃ普通だし。だから一緒に住むにあたってナマエがなにか特別なことをする必要はない」
「でも、」
「あのな、ナマエ。俺はナマエに俺の生活の手伝いをさせたくて言ったわけじゃねぇから。休日が試合で、平日はナマエが学校。平日の夜に出掛けるってのもお互いのことを考えたらそんなに頻繁には出来ない。ならせめて、」

 帰る家は一緒がいい。毎日ナマエの顔を見て話がしたいし、ナマエを抱きしめて眠りたい。
 そうはっきりと伝える俺に、珍しくナマエが口篭る。
 
「愛はお互いに見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめることである」
 
 ナマエが興味があるのは俺がどう変化していくかと言うことで、正直俺がサッカー選手であるかどうかはあまり関係ないと思っていた。そしてそれはきっと間違っていなくて、例えば俺がサッカーを辞めて他のことをするとしても俺が何かしらの変化をし続けるのであればナマエは俺に興味を持ち続けるんだと思う。それは俺自身を見てくれていることに他ならなくて、何よりも喜ばしいことであるのは間違いないけれど、だからこそナマエが俺がいま一番大事にしているもの――かつて「いつ投げ出すかもしれない」ものだとすら言っていたサッカー選手としての生活を気にかけてくれていたことが嬉しかった。
 
「……人生にあるのは前に進む力だけ、だったね」
「だな。それに俺の変化の観察をするなら一番適した環境だと思うけど、観察者としてそれをみすみす逃す手はないんじゃねぇの?」

 とどめのようにそう言えば、はぁと諦めたようにナマエが一つ溜息を吐く。

「……キミに合わせた食生活は出来ないよ」
「だからそう言う考えは要らねぇって言ってんじゃん。寧ろシェフに栄養バランス完璧なサンドイッチでも頼んでやろうか?」
「キミのシェフに余計なことはさせないように」

 呆れたような視線を送ってくるナマエ。その言葉はつまり了承したってことと同義だよな。

「大きな窓辺で読書をするのが好きなんだけれど」
「おー、奇遇だな。それなら丁度よさげな部屋が空いてる家を知ってんだわ」

 そう言って予め用意しておいた合鍵をテーブルに差し出すと、ナマエはぱちりと目を瞬かせた後「悔しいけれど今日はキミの方が上手だったね」と苦笑した。そしてその白く細い指先が鍵に伸ばされるのを見て、どうしようもなく満たされる気持ち。
 いっそ家ももっと広いとこにするか。サンルーム付きのとこにすればナマエも気に入るだろうし。場所としては俺の練習場とナマエの大学に行きやすいところがいいよな。ベッドは王室御用達ブランドのキングサイズにしよう。早速手配して……いやでもナマエの好みもあるだろうからこれから一緒に見に行くべきか?あー、やべ。インスピレーションが止まんねぇ。
 まるで凪と組んで出た試合の時のような高揚感の中、俺は一つのアイディアに辿り着く。そう思うが速いか、残りのスコーンを堪能しているナマエの名を呼ぶ。

「今からナマエの家に行ってもいい?」
「どうしたんだい、急に」
「どうせ一緒に住むならさ、もうこの際ナマエのご両親に改めて挨拶に行っとくべきかなって。娘さんと結婚させてください、ってな」

 愚か者が先延ばしにすることを賢者はただちに取りかかる、思い付いたら即行動はマストだろ?
 そう笑う俺に、ナマエは「玲王と居ると退屈しないね」と笑ってスマホに指を滑らすのだった。
 

 
 ▽



「は?その情報どっから、」

 その日の夜。あの後連絡のついたナマエの両親と夕食を共にして、今後のことも認めて貰った俺が気分よく自宅のソファで寛いでいると珍しく入った千切からの連絡に思わず声が上がる。
 
『SNS見てねぇの?つーかその反応……え、なに?同棲拒否られたってマジ?』

 めちゃ面白ぇんだけど、詳しく。
 情報収集用のサブ端末へと指を滑らす俺の耳元に届くのは明らかに弾んでいる声。いやお前も普段そう言うの見ねぇクセになんでだよ、と思ったものの、すぐにあの赤髪の隣に並ぶ一人の子が浮かんだことで納得した。

【今日たまたま入ったカフェから出る直前、同棲の提案をスパッと断られてかわいそーな人いると思ったら御影玲王でびっくり!!】

 どうやらあのカフェに居合わせた日本人が呟いていたのが拡散されているらしい。

「いやこれ完全にプライバシーの侵害だろ」
『確かに?で?どーなんだよ、実際』
「……確かに最初は間違ってねぇけど、ちゃんと上手くいったっつーの」

 つーか聞くなら最後まで聞いとけよな、と見当違いな怒りが沸いてくる中、千切はその結果に「面白くねー」と勝手なことを言い残して電話を切った。マジで自由人にも程があんだろ、あのお嬢。いや、まずはそれよりこのガセ情報をどうにかすることが先決か。マジで今日、ナマエの両親に会っといてよかった。

「玲王?どうしたんだい、大きな声がこっちの部屋まで――」
「ナマエ、暫く騒がしくなるかもだから先謝っとくな」

 各所への連絡を取るためパソコンに向かいながら伝える俺の言葉をナマエが理解するのは数日後。公式のSNSに載せた報告文を見てからのことだった。

【本来ならば籍を入れてから報告をすべきことだと思うのですが――】
 

 


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