比翼連理


our graduation  




※本編に塩様のサイト「07」で連載されている凪夫妻が出てきますが、許可を頂いた上で執筆・掲載させて頂いています






「へぇ。で、そいつって50m何秒?」

 事の発端は今日の放課後。高校の卒業式を控えている私に、クラスの男子に告白をされたこと。とは言っても、既に私はブルーロックプロジェクトから帰ってきた豹馬と付き合い始めていたし、気付けばそれは学校中の知る所となっていた。だから相手の子も別にどうなりたいとか言う訳ではなく、彼なりの気持ちのけじめの付け方だったらしい。それを黙っていて他の人から豹馬の耳に入るのも、なにより豹馬に隠し事はしたくなくて報告、という形で話をしていたのだけれど。
 かつて地元の新聞が付けた赤豹と呼ばれ、気付けばそれが全世界に轟くようになっている幼馴染み兼恋人は、それでも変わらないと言うようにルーティンである右足の入ケアをしながら冒頭の言葉を言い放った。
 
「……流石に知らないよ」

 そのケアを眺めていた私はどこから出てきたのか分からないその質問に戸惑いつつも、知らないものは知らないので正直にそう返す。と言うか、クラスメイトの男子の50メートル走のタイムを把握しているのは同じ部活もしくは余程その子が好きかのどちらかだと思う。残念ながら私の場合はそのどちらでもないので知る由もないのだ。そしてその後者の理由で豹馬のタイムは知っているのもまた事実。

「まぁそうだよな。あ、ちょっと俺のスマホ取って」
「はい、どうぞ。さっき國神くんから通知来てたもんね」
「國神?そうだっけ。急ぎなら電話してくるだろーしそっちは後でいいや」

 相変わらず自由な豹馬に苦笑しながら、ケアを終えてスマホを弄る姿にさっきの話は特別何かあるでもなく終わったものだと自己完結する。
 豹馬から視線を外してぐるりと見回す部屋は見慣れているはずなのに、どこか少し物寂しい。それはきっと部屋の端に置いてある大きなキャリーケースのせい。試合で遠征に行く時やブルーロックプロジェクトに選ばれた時の荷物とは比較にならない大きさのそれは、豹馬が卒業後にこの地を離れることを嫌でも実感させてくる。彼とやり直したあの日、離れても話せなくなっても苦にならないと決意したはずなのに、やっぱりぐらぐらと揺れてしまう私は何も成長していない。
 まだスマホを弄っている豹馬を盗み見すると、整った顔と枝毛一つ無い綺麗な赤に目を奪われた。人は見た目じゃないと言うけれど、第一印象はやっぱり見た目が大きいと思う。今まではそれでもまだ高校生と言う枠に収まっていたけれど、これから先の彼は国内外問わずその名を轟かせて行くはずだ。それは彼の実力が認められると言うことで、喜ばしいことに違いはない。ない、のだけれど。

「珍しく甘えたモードじゃん」
「なんでもないよ。ちょっと充電したいなって。だめ?」
「ダメって言うと思ってんの?」

 寧ろ大歓迎なんだけど。
 そう言って手に持っていたスマホを放り投げて、腰に抱き着いていた私を膝上に引きあげる豹馬。こういうことを軽々やってのけるから、綺麗な顔をしていても男の子なんだなと思い知らされる。豹馬の首元に顔を埋めて子どものように抱きついていると、なんだかさっきまでモヤモヤしていた気持ちがすっと晴れていく気がした。トントンとリズム良く背中を叩かれるのが心地よくて、そのまま微睡んでしまいそうになる。もういっそこのまま寝ちゃおうかな。昔はどっちかの家で寝るとかよくあったし。付き合い始めてからは流石に無かったけど、きっと豹馬も気にしないよね。そう思って意識を手放そうとした時だった。
 
「っ?!」

 首筋に触れる柔らかい感触に身体が思い切り跳ねて一気に意識が引き戻される。なに、と混乱する思考の中で豹馬を見上げると、不機嫌そうにむくれた顔と目が合った。

「幼馴染みとは言え今は彼氏な?」
「それはわかってるけど」
「んじゃ、なに。無防備に寝ようとしてっけど、もしかして俺が何も思わねーとでも思ってんの?」
「えっと……」

 気にしないと思ってました。  
 そんなことを正直に言ってしまえば不機嫌さに拍車が掛かるのは目に見えていたので、どう答えようかと考えている内に「その顔は図星だな」と言われる。どうやら誤魔化すのには失敗したらしい。こうなったら仕方ない。正直に認めて謝ろう。そう思った矢先だった。トンっと肩を押されたかと思うが早いか、視界には天井を背負った豹馬の顔。

「一応卒業まで待とうかと思ってたんだけど」
「ひ、ひょうま」
「一日くらい誤差だよな」

 可愛らしく首を傾げてくるけど、その目は獲物を捕らえる捕食者のそれそのものだ。そんな彼に誤差じゃない、なんて反論を言ことも出来ず黙っていると、それを良いように解釈したのか豹馬が私の首筋に顔を埋めて来る。

「あ、そうだ。ナマエ、明日の卒業式さ」

 首元で喋らないで欲しい。息がかかってくすぐったいし、耳いせいで背中がゾワゾワする。首から耳元にかけて身体中の感覚が集まってるんじゃないかと錯覚し始めるほどだ。

「俺がヘアアレンジしてやるよ。いいよな?」
「それはいいけど……?」

 今までも豹馬がヘアアレンジをしてくれることは多かった。自分の髪もやってるし、手先が器用だから私がやるより上手に仕上がるから体育祭や、文化祭、二人で出掛ける時もよくやってくれていたからそれ事態は今更気にすることでは無いのだけれど。このタイミングでなぜその話に。何となく嫌な予感がして、豹馬の細身なのにしっかり筋肉がついているその身体を無理だとわかっていても押し返す。

「はいはい、無駄な抵抗しない」
「だめな予感がする……!」
「はは、まだ頭働いてんじゃん」

 まぁもう遅いんだけど。
 そう言うが早いか、首筋にチクリと先程とは違う鋭い刺激が走った。大した恋愛経験のない私でも流石に何をされたかくらいわかる。

「っ?!」
「おー、案外綺麗につくもんだな」

 首元から顔を離し、かわりに指でなぞる豹馬は満足そうに口角を上げているけれど、それどころではない。嘘でしょ、これ絶対……

「豹馬、もしかして……」
「ん?あぁ、ついたぜ」

 キスマーク。
 にんまり笑って告げられるそれに、改めて言葉にされると一気に顔が熱を持つ。待って、明日卒業式なのに……あ、でも首なら髪降ろしとけばなんとかなる……?いや、なって欲しい。なってもらわないと困る。焦りながらぐるぐると思考を廻らす私とは対照的に、豹馬は鼻歌でも歌い出しそうなほど機嫌がいい。さっきまであんなにむくれていたのが嘘みたいだ。

「髪上げてるの好きなんだよな」
「は、」
「ポニテもいいけど、サイドにまとめるのもアリか」
「ちょっと待って、」

 私の髪を触りながら豹馬が呟いた言葉に慌てて待ったをかける。この状況でアップスタイルを選ぶとはどういう了見なのか。すると豹馬はなに?とまた首を傾げる。こういう時の豹馬は自分の顔が良いのをわかってやってるからずるい。でも今回は私も引く訳には行かないのだ。だって明日は卒業式で、友達との記念撮影だってたくさんする予定なのに。

「私、明日はダウンスタイルがいい……」
「んじゃ、俺の試合の時みたいなのにする?」

 こっち流す感じで。
 そう言って首筋を一撫でする豹馬に思わず高い声が漏れて慌てて口を塞ぐ。そんな私を見て楽しそうに笑う豹馬の後ろに黒い悪魔の尻尾が見えた気がした。

「ま、どーするかはまた明日考えるとして」
「ちょっと、ん、むぅ……」

 抗議の声を上げようとした私の唇は豹馬のそれで物理的に封じ込められる。徐々に深くなるキスは、いい加減慣れろと言われてもやっぱり息をするタイミングはわからないし、自然と出る鼻に抜けるような声が聞こえて余計に恥ずかしい。理性がゆるゆると溶けていくのは怖いけど不思議と嫌ではないから困るのだ。
 
「ナマエは俺のだって、ちゃんとわからせてやんねぇと」

 それが誰に向けての言葉なのかは分からなかったけど、あの話題は豹馬の中で全然終わってなかったんだと最後に残った理性の欠片でそんなことを考える。けれどもそんな考えは服の中に入ってきた豹馬の手の感触で一瞬にして全て消え去った。今の私はもう、ただ豹馬に与えられるものを受け入れるだけで精一杯なのである。





「え?50メートル走……?」

 倦怠感の残る身体で交渉の末、なんとか痕が隠れる程度のダウンスタイルを勝ち取った卒業式当日。私は写真を撮ろうと集まった友人に聞かされた言葉の意味が理解出来なくて、オウム返しで聞き返す。

「そ、あんたのとこのお嬢様と昨日告白した隣のクラスの子がねー」
「告白というかあれはただ……」
「そんなのお嬢様にとっては関係ないってことでしょ」
「……理不尽では」
「あなたの彼氏ですけどね」

 まぁその自由さが豹馬らしくもあるんだけれど。
 そう言うと、友人たちはやれやれと言ったように溜息を吐いた。それにしても豹馬の自由さは知ってるけどまさかこんなことになるとは。楽しそうだから見に行ってみようと言う友人を止めてみても、多数決で結局グラウンドへと向かうことになる。

「わぁ……」

 なんと言うか、そこには予想していた以上のギャラリーが居た。こんな中で走るの?なんて思っていると、本番さながらのスターターの音で50メートル走が始まってしまう。始まる前までは同級生に申し訳ないと思っていたはずなのに、いざ豹馬の走る姿を見てしまえば私の視界には彼しか映らない。赤い髪を靡かせて駆け抜ける姿は正に赤豹。それに加えて青い監獄最速の韋駄天とも呼ばれている豹馬はあっという間にゴールラインを越えていた。

「ひゃー、相変わらず速いね、ナマエのお嬢様は」
「うん、豹馬のスピードは世界にも負けない」
「……この子が一番ガチ勢なの忘れてたわ」

 呆れる友人の言葉が正しくて、否定出来ずに苦笑するしか出来ない私に彼女たちは「今日のこれ、結婚式のスピーチ使うしかないよね」なんて笑っていた。
 その後合流した豹馬に走ってた理由を聞いた私は「そっちの方が諦めつくだろ」と当たり前のように返ってきた答えにまた苦笑しつつ、結局は豹馬の自由さを何も言わずに受け入れてしまうのだから、どうしようもなく豹馬に絆されている。

 
 ▽


「えー、ちぎりんヤバ。勝つ結果しか見えないのに50メートル走持ちかけるとかめちゃウケる」
「だよね……」

 発想が小学生じゃん。
 蟻も死ぬと言う甘さだと言うタピオカドリンクを飲みながら蜂楽くんがケラケラと笑う。今思うと確かにそうだし、なんならこの前の同窓会でその彼以外にも50メートル走を吹っ掛けられた被害者が居たことも聞いた。私の知らない内にそんな事が、となぜか申し訳なくなったけど意外とみんないい思い出にしてくれているらしい。心が広い。

「そのお相手さんは大丈夫だったんです?」

 見ず知らずの相手を心配してくれる優しくて綺麗なお方は凪くんの奥さんだ。前にレセプションで仲良くなってから、今日みたいに何度か女子会と称して集まらせて貰っている。因みに女子会だけど主催者は蜂楽くんで、だけどそれに私たちのどちらも違和感を覚えていない。とてもナチュラルだ。

「あぁ、それはこれを見て貰えれば……」

 たたっとスマホをタップしてある動画を呼び出すと、首を傾げながらそれを覗き込む二人。某スポーツバラエティの有名選手の過去を特集する企画で豹馬にスポットが当たった回のもので、そこでインタビューを受けている羅古捨実業の同級生が得意そうに語っている内容。

【俺、千切と卒業式の日に50メートル走やったんですよ!いやぁ、あの頃からめちゃ速くて。勝負を挑まれた時はちょっと意味わかんなかったんですけど、今となってはめちゃいい思い出ですね】

 それはもう自慢げ笑う彼は、どうやら会う人会う人にこの話をしているらしい。

「あ、もしかしてちょっと前にトレンド載ってました?」
「そいやそんなのあったね。お嬢に勝負吹っかけられたってなに!どんだけすごいやつ?みたいな。俺ちょうど選手権でバタバタしてたからあんま見れてなかったけど」
「多分それですね……」

 なので心配ないと思います。
 そう苦笑すると、寧ろ喜んでるしね、と蜂楽くんが楽しそうに笑った。

「にしてもさ、凪っちもだけど、ちぎりんも相当重たい愛してんね」

 飲み終わったストローをくるくると器用に回しながら言う蜂楽くんに、私たちは顔を見合わせる。重い愛。私にとってそれは特に問題ではなかった。だって、それだけ私のことを思ってくれていると言うことなのだから。たまにやりすぎではと思うことが無いわけではないけれど、だからと言ってそれが嫌だと思ったことは無い。それをどう伝えればいいか分からなくて、そのまま伝えると、蜂楽くんはその大きな目をぱちりと瞬かせてにんまりと笑うのだ。

「いいね、それでこそエゴイストの嫁って感じ!」


 
 


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