比翼連理


千切豹馬の誓約  




※本編に塩様のサイト「07」で連載されている凪夫妻が出てきますが、許可を頂いた上で執筆・掲載させて頂いています









「見て、ウミガメ!」
「すごいね、寄って来てる!あ、こっち水槽も素敵!」
「ホントだ……!」

 そう言って楽しそうにはしゃぐ二つの後ろ姿を眺めながら、今日はここにして正解だったなと思わず口角が上がる。目の前に広がる大きな水槽を前にまだ収まりそうにないテンションの会話を聞くに、暫く時間はありそうだ。そうだと思えばやることは一つ。近くにいたウェイターを呼んで追加のボトルを頼んだところで、二人の内の一人に近付く大きな影が見えた。

「なぎ、見て。この魚かわいいと思わない?」
「うん、かわいい」
「だよね!この目元とか口元が――」
「そうそう。この目元とかこの口元とかね」
「……一応聞くけど魚の話だよね?」
「俺がかわいいと思うのは俺の奥さんだけだけど?」

 相変わらずやってんな。
 190cmの白い大男はきっと微塵も水槽の中身に興味は無い。あいつの興味はここに来た時から今に至るまで自分の奥さんにしか向いていないんだろう。まぁそれは俺もそうなんだけど。相手が考えている以上に重い思いを抱えている男とその愛を一身に注がれる女の少しズレた会話を肴に酒を楽しもうかと、届いたばかりのボトルに手を伸ばす。伸ばした指先がボトルに触れる寸前、それは目の前で別の人物に攫われた。

「私がついでもよろしいですか?」

 その先を追うと、凪と入れ替わるようにして戻ってきたらしいナマエが演技がかった声色でそう言って、ボトルを片手にニコリと微笑んでいる。

「お願いしまーす」
「かしこまりました!」

 そう言って楽しそうにグラスに液体を注ぐナマエはやっぱりいつもよりテンションが高い。丁度いいくらいに注がれたグラスと同時にナマエの手からボトルも受け取り、彼女にも注いで渡す。ありがとう、と笑ったナマエは俺の横の席に腰を下ろした。

「楽しい?」
「うん、とっても!豹馬は?楽しい?」
「あぁ、俺も楽しい」

 アルコールもあるし。
 そう言ってグラスを煽りながら、この巨大な水槽付きレストランに招待してくれた某御曹司に心の中で礼を言う。

 ここは御影コーポレーションが新たに手掛けている総合型リゾート。中でも四方を水槽に囲まれたこのレストランは最大のウリらしい。オープン前の試験的な営業に参加してくれないかと玲王から連絡が来たのは、リーグがサマーバケーションに入ったからと帰国する少し前のことだった。
 

  






「「却下」」

 帰国前に一度飯でも食うかと集まった飯屋でナマエと凪の奥さんからの「プールに行きたい」と言う提案に俺と凪の声が即答で揃う。そりゃそうだろ、プールっつったら必然的に水着を着ないといけない。自分の前だけならまだしも、誰が好き好んで自分の嫁のそんな姿を不特定多数の男の前に晒すんだって話。

「あ、じゃあお祭りは?」
「花火あるよ!」
「「却下」」

 人多いし。
 そう付け加える凪に同意を示す。そりゃ浴衣姿は見たいけどな。そう言うのは自分だけ見れたらいいと思ってる俺たちなので、残念ながら了承は出来かねる。

「もうそれならさ、いっそプール付きの宿でも貸し切ったら?それなら余計な人居ないし」 
「待ってなぎ、それはさすがに、」 
「いいなそれ。玲王とか聞いてみるか」
「豹馬も凪さんも話を聞いて欲しい……!」
 
 流石に大きなところを貸し切るのは無理でも、最近はプライベートプールや温泉を兼ね備えた宿泊施設もあるって乙夜が言ってた気がする。なんだっけ、ヴィラってやつ?まぁ名称とかはどうでもいいんだけど。

「あ、玲王から着信入ってた。ちょーどいいじゃん」

 そう言って電話を掛け始める凪を横目に、放り投げていた自分のスマホに目をやると俺にも玲王からの着信が入っていた。面倒臭いから凪にまとめて用件聞いてもらうか。

「れおー?あのさ、……んえ?お嬢さん?居るよ。そう、奥さんたちも一緒」

 俺たちの顔を見ながら凪がなにやら玲王と話をしている。適当に相槌を打っていた凪の声を聞きながら、次に頼む酒を選んでると、いつの間にか締めに入っていたらしい凪は「大丈夫だと思う。じゃあね」と言って通話を終えていた。俺の用件聞いてもらうの忘れてたけど、まぁいいか。後で覚えてたら連絡入れとこう。そんなことを思いながら凪に一応「玲王なんて?」と尋ねると、凪はスマホの画面を何度が操作して、俺たちに画面を向けながらこう言った。
 
「玲王の家が今度やってるアクアリウム?付きレストラン。これに俺たち四人招待されたっぽい」

 どうやら俺から折り返しの連絡は不要になったらしい。



 ▽
 

 

「まさか貸切だとは思わなかった」
 
 そう言って改めて辺りを見回すナマエにつられて視線を向けると、本当に俺たち四人以外は従業員しかいない。そんな中でどこか落ち着かない様子のナマエ。大方、座ったことで気分が落ち着き、急に我に返ったってとこだろう。そしてそれは当たりなようで、顔を寄せて小声で俺に耳打ちをしてくるナマエ。

「食事も水槽も全部素敵だけど……これ本当にタダで楽しませてもらっていいの?」
「いいんじゃね?つーか玲王の方から誘ってきたんだし」

 グラスを煽りながらそう言う俺に、ナマエはまだ少し申し訳なさが残るように眉尻を下げている。こう言う時、ナマエも凪の奥さんも気にしすぎだと思うくらい気を遣うんだよな。お食事はお好きな水槽の前でどうぞと言われた時も遠慮して端の方に座ろうとするから、折角だからと一番大きな水槽の前に連れて来た。結果として二人ともサンゴ礁とカラフルな小魚を目の前にして一気にテンションを上げていたから、俺たちの選択は間違ってなかったんだろう。食事の後は好きに水槽を見ていいと言われ、さっきまでナマエたちは二人でほかの水槽を眺めていたと言うわけだ。

「玲王の方もどうせ後から俺たちの感想聞いてオープンに向けて調整するんだろうし、今は素直にこの贅沢を享受しとけばいーんだよ」

 はい、乾杯。
 そう言ってナマエの手元で一つも口をつけられていないグラスに自分のほぼ空に近いそれをぶつける。涼しい音が響くのを聴きながら最後の一口を一気に煽ると、ナマエもようやく納得したように笑った。

「そうだね。なら折角だし、ちゃんとアンケートに答えられるようにもう少し水槽見てきていい?」
「おー、いってらっしゃい」
「豹馬は?見ない?」
「んー。まぁ魚はいつでも見れるし」

 俺は魚見てるナマエ見てる方が楽しいし。
 そんな本音は置いておいて「もう少し飲んでるからいいよ」と言えば「ほどほどにね」と苦笑を残して見ていなかったエリアの水槽へと向かっていった。確かエリアごとに水槽のも違うんだっけな。そんなことを玲王から日程調整の連絡を貰った時に言われたような気がするけど、正直覚えてない。因みに玲王自身は奥さんと行ないのかと尋ねると「アイツと行ったらデートじゃなくて研究になるから」と返ってきた。 

「奥さんだっていつでも見れるんじゃないの」

 少なくとも魚より全然見れるっしょ。
 ナマエの姿を眺めながら酒を飲んでいると、頭上からそんな声が掛かる。どうやらさっきの俺たちの会話が聞こえていたらしい。

「振られたからって僻むなよ」
「は?振られてないし。あの子がお嬢さんの奥さんと魚見たいって言うから譲ってあげただけ」
「そりゃどうも」
「お嬢さんには譲ってない」
「めんどくせぇやつだな」

 まぁ飲めって。
 そう言って凪のグラスにも注いでやると、何杯目?と言いたげな視線が返ってきたので無視しておく。何杯目と言うか何本目と言うか。アンケートには酒が美味かったって書いとけばいいよな。

「つか、凪こそ魚一切見てないだろ」
「魚とか興味無いし」

 さっきの言葉にそう言えば予想通りの答えが返ってきて思わず吹き出してしまう。俺のこと言えた義理かよって話だろ。俺もこいつも水槽を泳ぐ魚に大して興味はない。でも自分の愛してやまない子が喜ぶ姿は何回でも見たいと思う。だから今日ここに来れて俺自身も満足しているし、それはきっと目の前で気怠げにつまみを口に運んでいる男もそうなんだろう。
 正直な話、この前提案された夏祭りだってプールだってナマエが本当に望めば渋々ながらも付き合うし、行けばなんだかんだで楽しいことは分かっている。かと言って大事な子を他の男の目に晒したくないのは紛うことなき本音だし、嫌だと言えばナマエが我儘を聞き入れてくれるのも分かっている。全て分かってる上でナマエの優しさに甘えているんだから、我ながら随分とずるい男だと思った。
 せめてもの罪滅ぼしで夏祭りはなるべく人の少ないところで、プールは話にも挙がった一棟貸切で叶えるつもりではいるんだけど。

「見て見て!これあれじゃない?」
「たぶんそうだよ、セバスチャン!」

 そんなことを考えていれば、楽しそうな声が耳に届く。どうやらあの映画に出てくる名前の長い赤いカニに似たのがいたらしい。そこから二人はこの前見たと言う映画の話で盛り上がりはじめていた。

「人魚姫ねぇ」
「あれでしょ、最後泡になるやつ」 
「ナマエはさ、たぶん泡になるのを選ぶと思う」

 俺の言葉に凪が「なにいってんの」と言ったような視線を向ける。それは昔、原作を読んでいた時から漠然と思っていたことだった。

 王子が他の女性と結婚することを知った人魚姫は、彼を殺すのと引き換えに鰭を取り戻せると言われたが、結局眠る王子を目の前に殺すことが出来ずに海へと飛び込み泡となった――

 俺が王子でナマエが人魚姫の立場なら、ナマエに俺を殺すなんて選択肢はハナから無い。俺が選んだのなら、と言うそれだけの簡単な理由で、舌を切られた上に刃物の上を歩くような痛みを我慢してまで得た全てを一瞬で放棄する。俺が言うのは自惚れに聞こえるかもしれないけれど、ナマエがそう言うやつなのは他でもない俺が一番理解していた。

「だから俺はナマエしか見ない」

 そもそもの話、王子が他の女に目移りしなければあの悲劇は起こっていない。そりゃ王子だって人魚が助けてくれて、その人魚が人間の姿で現れるなんて夢にも思わねぇかもだけど。それでも王子がずっと人魚姫を見ていれば良かったんじゃないかと思ってしまう。
 だから彼女の大事なものと引き換えに、辛くてしんどい思いもした上で俺の元へ来てくれたナマエに、泡になると言う選択肢は与えないし他から与えさせもしない。

「俺はさ、たぶんナマエが思ってるよりずっとナマエのことが好きで大切で仕方ねぇんだけど、これがなかなか伝わんねーんだよな」
「……そうだね」
「他の女とかここの魚より興味ねぇもん」
「それ、昔お嬢さんの匂わせしてたって女に聞かせてやりたいよね」
「は、お前それどこ情報」
「プリンス」
「うわめんどくせ」

 恩師であることには間違いないが、思わず本音が漏れる。イベントとかで猫撫で声で擦り寄ってくる知らねぇ女も、活躍すると掌を返したように絶賛してくる同級生も、ナマエを不安にさせる可能性があるってだけで害しかない。俺はナマエしか見ないし、見る気もない。これだけ言うんだから少しはその立場に胡座をかけばいいのに、きっとナマエがそうすることは一生ないんだろう。まぁそれならそれで今まで通りかそれ以上に彼女への思いを伝え続ければいいだけの話。家族にも、友人にも、魔女にも、海や空気にでさえも彼女を渡す気なんてさらさらないのだから。

「お嬢さん、悪い顔してる」
「あいつが傍に居てくれるんなら悪い男でいーんだよ」
「それはそう」

 奥さんの前でぶりっこしまくっている悪い男の代表格とも言える凪に同意を貰った所で再び聞こえる楽しそうな声。 
 
「ねぇねぇ、この魚イケメンじゃない?」
「えー!確かにこのシュッとしたフォルムかっこいい!」

 そんな内容に思わず俺と凪の目が合った。そして次の瞬間に無言で席を立つ俺たちが向かう先は一つだけ。魚に夢中で背後から近寄る男に気付かない可哀想な小さな背中。後ろから抱きすくめるようにして、その小さな手に自分のそれを重ねて指を絡め取る。そして驚いてこちらを振り返るナマエの唇にキスをひとつ落とす前、その耳元で揶揄うように囁いた。

「どの魚がイケメンだって?なぁ、それって俺よりも?」
 




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