PDL短編


一粒ずつの星の中  







『次のチームのキャプテンを任された』

純太からそう聞かされたのは数日前。
中学時代から彼を見てきた私としては、それがどれだけ凄いことなのかを誰よりも理解している自負があった。
自転車競技に関して純太に飛び抜けた才能が無いことも、それで一度は諦めそうになったことも、それでもやっぱり自転車が大好きなことも知っている。今年のインターハイで尊敬する先輩と走るために必死で練習して、だけど現実は残酷で。ダメだった、と一言貰ったメールを打つのにはきっと随分時間がかかっただろうことも想像に難くなかった。合宿から帰って来た純太を迎えた私に「ごめんな、インハイ連れて行けなくて」と無理矢理な笑顔で言った彼の代わりに泣いたのはつい数ヶ月前のこと。

そして今日までの期間、悔しさをバネに文字通り血の滲むような努力をしてきた純太が次期キャプテンに選ばれた。私にとってこれ以上の喜びはない。決して派手ではないかもしれないが、努力が出来るという才能を持っている彼にしか伝えられないものがあるからこそ選ばれたんだろう。そこに純太自身が気付いているかは分からないけれど。

【悪い、ちょっと練習長引いた!今向かってる】

そう表示されたメール画面を見ながら、予定の時間からまだ十分も経ってないのに律儀だなぁと笑みが漏れる。そう言えば待ち合わせをすると大体純太の方が早く着いていた。私も時間より前に着くようにしていたのに、それより早かった彼はいつもどれだけ前から居たんだろう。大丈夫だよと返信しようと指を掛けて、やめる。聞こえた足音にそれが必要ないのがわかったから。

「悪い、待たせた!」
「おつかれ。そんなに待ってないし気にしないで」
「ん、サンキュ。いやー、引き継ぎとか思ってたより大変だわ」

並んで歩き出しながら純太がグッと伸びをするとそれに合わせて髪が揺れる。髪、だいぶ伸びたな。中学時代に比べたら前髪だってもうすぐ口まで届いちゃうんじゃないかってほどだ。

「どした?オレになんかついてる?」
「や、髪伸びたなって」
「あー……確かにな」

そんな私の視線を感じて不思議そうに聞いてきた純太に思っていたことを素直に返せば、前髪も伸びたよなって弄りながら言うものだから、同じこと思ってると口元が緩む。

「志帆は切るべきだと思う?」
「いいんじゃない?今のも似合ってるよ」
「ならこのままにすっかなー」

そう言って満更でもなさそうな顔で笑う純太の表情が好きだなと思う。それだけじゃなくて、歩いていてさりげなく車道側を歩いてくれる優しいところも付き合う前からずっと変わっていない。

「あ、そういや駅前に新しいカフェが出来たらしくてさー。クラスのやつが行ってプリンが美味かったって騒いでたんだよな。志帆プリン好きだし、オレも紅茶飲みたいから今度行かね?」

今度のオフいつだったっけな。
インハイに出るような部活で人一倍練習している筈なのに、時間を見つけてはこうやって私をデートに誘ってくれるのも彼の優しさの一つだ。もちろん練習に支障がない範囲でだけれど。

「おーい、志帆?オレの話聞いてたかー?」

いけない、純太の優しさについて考えていたら反応が遅れてしまっていた。ひらひらと私の前で手を振る彼に、ごめんちょっとぼーっとしてた、と返すと大丈夫か?と心配される。ほら、また一つ優しいところが見えた。

「大丈夫。カフェいいね、プリン好きだから行ってみたい」
「ん、じゃあ次の日曜どう?」
「ごめん、日曜は無理だ」
「マジか。まぁ仕方ねーな、なら別の日で、」
「純太」

すぐに次の空いてる日にちを考えてくれる彼の言葉を遮るように名前を呼ぶ。立ち止まった私の一歩先で振り返った純太は、どうした?と不思議そうに首を傾げた。

「カフェはまたにしよう」
「え?」
「純太に言わなきゃいけないことがあるの」

私の言葉にサッと顔色が変わる。そうだね、純太は察しがいいから私がこれから言うことがわかっちゃうんだ。でもこれは言わなきゃいけない。数日前に純太のキャプテン就任の話を聞いた時から考えていたこと。その五文字を伝えるために、彼の部活が終わるのを待っていたのだから。

「あのね、」
「志帆」

意を決して伝えようと口を開いたら、私がさっきやったみたいに名前を呼ばれて遮られた。

「待って、オレが先に言うわ」

あぁ、なんだ。純太も同じこと考えてたんだ。たぶん優しい純太だから私に言わせるより自分でって思ってくれたんだろう。最後までかっこいいんだから。わかった、と頷けば真剣な目付きになるから目が離せなくなる。

「オレ、キャプテンに選ばれてさ。今までの頑張りを認めて貰えたみたいですっげー嬉しいんだけど、同時にヤバいくらいの責任?プレッシャー?そんなのも感じてさ。正直今までの練習量じゃまだまだ全然足りねえと思ってるし、練習以外にやらなきゃいけねーこともたくさんあって」

うん、そうだと思ってたよ。最高学年ってだけでも大変なのに、キャプテンだもんね。自分に足りないものを素直に認められるところも純太のいいところだと思う。

「オレ凡人だからさ。人一倍やんなきゃなんないし、そうするとたぶん志帆に掛けれる時間取れなくなると思う」

その言葉に静かに頷く。
純太は優しい。優しいからこそ、このままだとダメだと思った。本人が自覚してるようにセンスやずば抜けた才能がない純太は努力でそれらをカバーしなきゃいけない。そしてそれには近道なんてなくて、ただ愚直に一歩ずつ積み重ねて行くしかない。インターハイに出て、連覇を目指す部のキャプテンとして限られた時間の中でそれを純太がこなすには『彼女』に掛ける余裕なんて無いのだ。だけどきっと、付き合っていれば無理をしてでも気にかけてくれるんだろう。その優しさが今回ばかりは欠点になる。それなら、その関係を終わらせてしまえばいい。そうすれば彼は部活に集中出来るから。

「だからごめん、これはオレの我儘なんだけど」

続く言葉は私が言うはずだったのに、いざ直面すると鼻の奥がツンとしてきて視界の端が歪んでくる。だめだ、泣くな。ここで泣いたら純太の覚悟が揺らいでしまうかもしれない。せめて、家に帰るまでは。そう自分を叱咤して手を強く握り込んで純太の言葉を待つ。

「志帆との時間は減ると思うし辛い思いもさせると思うけどオレを支えて欲しい」

……え?
予想と違う言葉に思わず込めていた力が緩んで、その拍子に必死で我慢していた涙が零れた。そんな私を見て、やっぱりなと呆れたように溜め息を吐いた純太が私の零れた涙を拭う。

「はー、オレから言って正解だったわ。お前絶対別れようとしてただろ」
「え、だって……」
「あのな、悪いけど今お前が居なくなる方が耐えられねーの。たぶん志帆はオレのためにって別れる選択しようとしてたんだろうけど、もしそれが自惚れじゃなくて本当にオレのためを思ってくれるってんなら現状維持してくれねーかな?……つっても我慢させちまうから無理強いは出来ないけど」

……あぁもう。そこまで言っといて最後にまだ私に選ばせてくれるなんて優しいにも程がある。そこは強く出てもいいと思うのに。会える時間が減る?我慢させることになる?そんなの純太と別れる辛さに比べたら全然大したことない。

「……私なんかで支えになれるなら」
「っ、あーよかった……!オレこれで断られたらどうしようかと思った……青八木に泣きつくとこだったわ……」
「大袈裟じゃない……?」
「お前が気付いてないだけでオレの中で相当でかい存在なんだぜ?中一の時から好きで、卒業前にダメ元で告白してオッケー貰えた時どんだけ嬉しかった、か……」

どうやら最後の話は勢いで言ったものらしい。途中で気付いたらしい彼の声量は尻すぼみになって、口元に手を当てたまま視線が泳いでいる。なんだ、私と同じだったんだ。中一の時に同じクラスになって、それなりに仲良くなったけどあと一歩が踏み出せなかったあの頃。同じ高校に合格して喜んでいれば告白されて、誕生日とクリスマスが一緒に来たんじゃないかと言うほど浮かれたあの日を忘れることは無いだろう。

「あー、もう暗くなってんじゃん。帰るぞー」
「うん」

話題を変えるような純太の言う通り、辺りはすっかり暗くなっていた。ふと空を見上げれば星がいくつか光っている。星の数ほどいる人の中でこうして大好きな人と想いが通じるのはいったいどれほどの確率なんだろう。

「そういうわけで明日からもよろしくな、彼女さん?」
「こちらこそ。明日からもよろしくね、彼氏さん」

どちらからともなく手を繋いで、顔を見合わせて笑い合う。明日からもこうやって過ごせる幸せを噛み締めながら、隣に並んで一緒に一歩を踏み出した。







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