「しっかり食べてね」
連休最終日の夕方。赤く染まる空の下で私はモグモグと餌を食べるウサ吉を眺めていた。
成り行きで新開くんに頼まれたこの子のお世話も今日で三日目になる。朝夕と訪れていれば最初教えてもらった時はぎこちなかった掃除も少しは上達したと思うし、ウサ吉ともなんとなくだけれど仲良くなれた気がした。
「やっぱり可愛い」
食べ終わって毛繕いも終えたウサ吉のおでこをゆっくりと撫でると、特に嫌がられること無く目を細めて次第に耳がぺたりと後ろに倒れこむ。これは気持ちよく思ってくれてるってことでいいのかな。一応ちゃんと調べては来たけど、実際にこうして大人しく触れることを許されていると感じられることはとても嬉しい。最初は急な話で驚いたけど、こうやってふわふわした感触を楽しめたと思えばそこまで悪い話ではなかったのかもしれない。でもそれも今日でおしまい。明日からは本来の飼い主である新開くんがまたこの子のお世話をするのだから。せっかくウサ吉と仲良くなれたのに残念……と思う気持ちをふるふると頭を振って否定する。
「そうだ、写真」
危ない、触れ合いに夢中になって忘れるところだった。パシャリと一枚ウサ吉の写真を撮って、夕方の餌やりと掃除終わりました、とウサ吉の様子も軽く添えて新開くんへ送信する。報告しておいた方がきっと新開くんも安心するよね、と思って一日目に送った写真はどうやら新開くんのお気に召したらしく、また送ってくれと言われてからは毎回送信していた。
【世話ありがとう。今日のウサ吉も可愛いな!オレもレース頑張らねぇと】
【報告ありがとな。レースの結果は一日目は箱学がトップで、オレはスプリントリザルト取ったよ】
【今日もウサ吉よろしくな。今日は総合優勝目指すぜ】
【なんかウサ吉リラックスしてる。おめさんに懐いたかな?あ、レースは山岳リザルトを尽八が、ゴールも靖友のアシストで寿一が一位、総合優勝だ】
この連休中のやりとりを見返せば、新開くんは毎回丁寧にレースの結果を報告してくれていた。残念ながらロードレースに詳しくないので、リザルトがどうとかはあまりわからなかったけれど、どうやら新開くん含む同級生の活躍で優勝したらしい。それに対して、おつかれさま、おめでとう、頑張ってね。そんな在り来りな言葉しか返せていないのは我ながら素っ気なさすぎたかなと、今更ながら反省する。
「【最後のお世話、無事終わりました。ウサ吉は元気です。新開くんも遠征お疲れさま、今日はゆっくり休んでね】っと」
端末を操作して、心ばかりの労いと共に撮ったばかりの写真を添えて送信ボタンを押す。よし、これで私の仕事もおしまいだ。後はウサ吉を戻して、と思っていればウサ吉がそれまで伏せていた耳を起こして鼻をヒクヒクと動かし始める。どうしたんだろうと辺りを見回せば直ぐにその答えは分かった。
「あ」
「おつかれ、速水さん。三日目ありがとな」
軽く手を上げながら歩いてくる新開くんの姿を見て、朝送られてきたメッセージを思い出す。
【今日は夕方にはそっち戻れると思う】
そう言えば夕方には着くって言ってたもんね。近付いてくる彼に向かってウサ吉がぴょんと一歩跳ねた。やっぱり飼い主が一番か。いい子にしてたかー、としゃがみこむ新開くんに頭を撫でられるウサ吉はなんとなく私の時より嬉しそうに見えて、当たり前なのになんとなく悔しかった。
「まさか今日会うと思ってなかったから、さっき写真送っちゃった」
「いいよ。オレさ、速水さんの報告毎回楽しみにしてた」
「あんまり大したこと書いてなかったけどね」
「そうでもないさ。レースの応援もしてくれたしな」
新開くんから出たレースの言葉に思い出す。そうだ、総合優勝したって言ってたよね。
「優勝おめでとう。あと、スプリントリザルトってやつも。あんまり詳しくないからあれだけど良い結果みたいでよかった」
もっと気の利いたことが言えればよかったけれど、結局私の口から出たのは連休中に送ったメッセージと大して変わり映えのしないものだった。それなのに新開くんはとても嬉しそうに笑うから、思わず私の口元も緩んでしまう。
「お、速水さんがやっと笑ってくれた」
「?」
「今まで話しかけてもあんまり笑ってくれなかっただろ?」
「あー……」
新開くんの言葉に心当たりがありすぎて言葉に詰まる。あまり得意なタイプじゃなかったし、いきなりウサ吉仲間とかよく分からないことを言われるし、急にお世話頼まれるし……ってあれ。
「……新開くんのせいじゃない?」
「はは、傷つくな」
傷つくと言いながらもその表情は楽しそうで、相変わらず真意はよく分からない。でもこの三日間、可愛いウサ吉と触れ合う機会をくれたのは新開くんだからそこはお礼を言っておくべきだろう。
「ありがとう。この三日間楽しかった」
飼い主が戻ってきたなら私はお役御免だろう。そう思って軽く頭を下げてその場を後しようと身体の向きを変えた時、名前を呼ばれて振り返る。
「なぁ、ウサ吉のことどう思ってる?」
「……可愛いと思うけど」
「なら良かったらこれからもウサ吉見に来てやってくれないか?あ、別に世話しろってわけじゃなくてさ。こいつもおめさんに慣れてるみたいだし」
そう言ってウサ吉を抱いたまま新開くんが立ち上がる。腕の中にいるウサ吉と目が合ってしまえば、春休みにもう見に来ないと決めた決意は簡単にぐらついて。
「たぶん速水さんが来てくれたらウサ吉も喜ぶと思う」
だから、頼むよ。
そんな風に言われてしまえばノーとは言えなくて、私はゆっくりと頷いた。
あぁ、東堂くん。どうやら私は本当にウサ吉仲間になってしまったかもしれません。
prev /
next