Don't catch me if you can


考えることがたくさんありました  




「今日も全国的に猛暑日が──」

 朝食を食べながら眺めていたテレビに映る日本地図は気温を示す真っ赤な数字で埋め尽くされていて、そんな中でも夏期講習のために学校へ行かなくてはならない事実にげんなりする。夏休みで実家に戻っている分、通学時間も寮からのそれとは比較にならない程かかると言う事実も余計に私のテンションを下げていた。

 そしてもう一つ。
 夏休みに入って今日が初めての夏期講習日なこともまた、学校に行く気が乗らない理由になっている。この夏期講習は殆どの三年生が参加することになっていて、それはつい先日インターハイを終えた彼らも例外ではない。だから会ってしまう可能性があるのだ、新開くんと。

 


 
 先日、この地元で開催されたインターハイは無事に終わりを告げた。その記録に箱根学園の準優勝と言う三文字を刻んで。

 その結果に関して、決して誰が悪かったとか言うことはないんだろう。
 全国から集まった数多くの学校の中、三日間に渡る過酷なレースで誰一人怪我で途中棄権をすることなく準優勝。それは字面だけ見れば十分に称えられるべきものだと思う。それでもそうならないのは、うちが箱根学園だったからと言う一言に尽きるんだろう。しかも地元開催だったから余計に。

 きっと昨年までの私なら、その結果に対して特になにか思うわけでもなく準優勝なら十分にすごいことじゃないの、と思っていただろう。優勝常連校だからといって毎年必ず勝てる保証は無いのだから。でもこの数ヶ月の間に真波くんや東堂くん、新開くんと接して彼らの尋常じゃない努力や思いの強さを垣間見てしまっていた。そしてなによりも現地で実際に彼らの必死な姿を目の当たりにしてしまえば、準優勝でもいい、なんてことは思えなくなっていた。

 結局、最終日の表彰式を見届けたあとはそのまま誰に会うこともなく自宅へ帰り、なんとなく何をするにも上の空の日々を過ごして今日を迎えている。選手でも関係者でもない一観客の私がこんなことでどうするんだと笑われそうだけれど、初めて見たレースは私にそれだけの衝撃を与えるには十分だった。

 普段あんなに騒がしい東堂くんも、ふわふわして可愛いと思っていた真波くんも、目の前を通り過ぎる一瞬の表情は見たことの無い真剣なものだった。それに加えて真波くんは最後ゴール前での姿を見てしまったから、余計にその表情が脳裏に焼き付いている。大丈夫かな。あの背中にいろいろなものを背負い込んでしまうんじゃないかと心配になるけれど、そこに私が踏み込むのは違うと言うこともわかっている。私に出来ることは休みが明けたらまたあのベンチで、変わらずいつものようにお菓子を持って待つだけだ。

 そんな風に真波くんの心配をしつつも、ずっと頭の中から離れない言葉。

 ──インハイが終わったら伝えたいことがあるんだ

 調理室で新開くんにそう言われたのはもう半月くらい前のことなのに、今でもその時の表情や声は鮮明に思い出せてしまう。あの後すぐに天気が荒れるからと下校を促す校内放送が流れたことをきっかけに、新開くんが「オレたちも帰ろうか」と言ってくれて寮に戻ったけれど、あの日はいろいろなことが一気に起こりすぎてあまり眠れなかった。
それからは自転車部が練習の追い込みに入ったり私が夏休みで実家に帰ってきたりしたことで、結局インターハイ当日まで新開くんと話をすることは無かった。当日も一日目と二日目の後にお疲れさま、と少しだけ会話をした程度で、三日目はそんな雰囲気では無かったし。
 
 その結果、今日まで沈黙を続けている携帯電話を横目で見て小さく息を吐く。まぁでもこればっかりは仕方ない。

「志帆?のんびり食べてたら遅刻するわよー」
「あ、うん。もう食べたから大丈夫」

 カウンターの向こうで洗い物をしていた母親の声に慌てて時計を確認すると、思ったより時間が経っていたわけではなくて安心した。かといってあのままだと本当にギリギリになっていたかもしれなくて、ありがとうと伝えてパンの残りを放り込むと席を立つ。立ち上がったその拍子にテーブルの端に置いてあった携帯電話に手が当たった。宙に放り出されたそれを床に落ちる寸前のところでキャッチして安堵の溜息を吐いた瞬間。

「っ……」

 手の中の端末が震えたことに驚いた私は折角受け止めたそれを危うくまた落としそうになる。チカチカ光る色はメールが来たことを知らせていて、携帯電話が落ちたのを見た時の焦りとは違う理由で鼓動が速くなる。違う、きっと友人だ。それかどうでもいい宣伝メール。そう自分に言い訳をしながら恐る恐るメールの画面まで進む。

「……本当にずるい」

【今日の放課後、ウサ吉の小屋まで来て欲しい】

 私の言い訳も虚しく、差出人は新開くんだった。今朝の私の考えを見抜いていたんじゃないかと言うようなタイミングで送ってきた彼に、思わず乾いた笑いが漏れる。このメールがなにを意味するかが分からないほど無垢ではない。思わず震えそうになる指先に力を込めて、携帯を操作する。こんなに必死に文字を打ったのは初めてかもしれない。大した文字数でもないのにね。送信済みの画面が表示されたのを見届けて、携帯電話に表示されている時刻をもう一度確認した。大丈夫、まだ少しの余裕はある。そう思うが早いか、私は携帯電話をポケットに放り込んで足早に洗面台へと向かった。


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