DAYS



「おつかれさまー」
「あー、疲れた!!」
「東城、今日帰りカフェ寄らね?」
「あ、ごめんね。今日はちょっと用事あるんだ」
「そーか。なら仕方ねぇな、気をつけて帰れよー」
「ありがと、また明日ね!」




◇◇◇




「ただいま」
「おかえりなさい!」

ガチャリとドアの開く音がして、ソファーの上から飛び降りる。玄関まで早足で向かうと、そこには予想通りの大好きな人の姿があって思わずぎゅっと抱きついた。

「おっと...相変わらず熱烈な歓迎だな」
「嫌ですか?」
「俺は構わんが、汗臭いぞ」

そう言って苦笑する彼に「気にしませんよ」と返して更に頬を寄せる。彼はいつも気にしているけれど、すうっと息を吸い込むと、より一層彼に包まれている感じが強くなって私はこの瞬間が大好きだった。そうしてひとしきり彼の香りを堪能したところで、そっと離れると彼の鞄を持ってリビングへと向かう。その時、少し名残惜しそうな表情になっているのがちらりと見えて、なんだかんだと言いつつも彼も満更ではないんだなと、口元が少し緩んだ。




「ごちそうさま。美味かった」
「お口にあってよかったです」

あの後、彼がお風呂に入っている間に夜ご飯を温め直して、出てきた彼と一緒に食卓を囲んだ。食べながら、今日の出来事や面白かったテレビのことなど他愛もない話をしていると気付けば並んだお皿は綺麗に空になっていて。最初の方こそ彼の好みに合うようにと必死になっていたけれど、最近は少し好みも分かってきて、彼の方からも食べたいものをリクエストしてくれるようになったので献立を考えるのも少し楽になっていた。だけど、滅多なことで不味いとは言わないのは分かっていても美味しいと言ってもらえるかどうかは心配で。箸を置いた彼の言葉にホッと安堵のため息をついた。




「洗濯物も畳んでくれたのか」

テレビの前のソファーに移動した彼が部屋の隅に積まれた洗濯物の山を目敏く見つける。そんな些細なことでも気付いてくれると嬉しくて、少し誇らしげに隣の席に腰を下ろした。

「ふふ、家事が苦手なの知ってますから」
「すまんな。部活でも洗濯とかやってくれてるのにここでも...」
「私がやりたくてやってるんですからいいんですよ、先生」

そう笑うと彼―――中澤先生は少し複雑そうな表情を浮かべたが、それ以上は何も言わずに、ただ私の頭に軽く手を置いた。その手に釣られるように、私は先生の肩に凭れると、黙ってテレビ画面を眺め始める。


一般的には教員と生徒と言う私達の関係は酷く危うい。
もちろん校内では普通の教員と生徒、監督とマネージャーの関係を保っているし、今のところ誰にもバレていないはずである。部活が終わって先生の家に来るのも一度私服に着替えて、念のため髪型も変えている。先生の家の中は唯一、先生と生徒と言う枠組から逸脱できる場所で、家の中では一緒に食事もするし、こうやってソファーでくっついてテレビを見ることだってある。そしてそれより先の行為だって、一度や二度ではなく経験済みだ。その行為にはもちろん同意があり好意がある。だけどそれが「恋人」と言うような甘い枠組に当てはまるのかと言われると、答えはそんなに簡単ではなかった。




「東城」
「どうしました?」
「こんな形でしかお前の気持ちに答えてやれないですまん」
「っ...」

黙っていた先生に呼ばれて意識を戻すと、そんな事を言われて肩が揺れる。このタイミングで言われると、少しどころかだいぶ反応に困ります。そうとは言えず、どうやって返答しようか迷っていると、そんな私の心境を知ってか知らずかそのまま先生が言葉を続ける。

「お前はまだ若いから他にも選択肢はあるんだぞ」

俺でいいのか?
視線はテレビに向いたまま、先生は独り言のように呟く。
こういう所は本当に狡いと思う。だって答えを私に委ねているようで、実際はそうではない。それはいつの間にか重ねられた手が物語っている。いつだったか、人肌って落ち着くよな、と少し照れたように笑った先生。それを聞いた私にこの手を離すことなんて出来ないし、離す気だってさらさらない。選択肢を与えているようで、先生の望む答えは一つだけ。選択肢など実際にはあってないようなものなのだ。



「私は先生がいいんです。他の誰よりも」

先生じゃないとダメなんです。
今までテレビに向けていた視線を先生へ向ける。そして繋がれた手ごと自分の頬に寄せて告げた。これでいいんですよね。満点かどうかはわからないけれど、きっとそれなりに期待に添える解答は出来たと思う。その証拠に、先生はその言葉を待っていたとばかりに「そうか」と笑った。その笑顔は安心したような、それでいて哀しそうに見えて、少し胸が痛んだ。

「先生は私のこと、好きですか?」

それなのにこんなことを聞く私は先生の言えないくらいに狡いと思う。私が先生の望む答えがわかっているように、先生だって私がどう言って欲しいかくらいわかっている。それでも、言葉にして欲しくて、気持ちを確かめたくて聞いてしまう。

「東城が生徒なのも、こんな関係が良くないことだって言うのもわかってるんだがな...」
「...」
「それでもお前に傍に居て欲しいと思うんだ。それくらい、愛してる」

そう言って抱き締められた。
やっぱり先生の方が狡いかもしれない。だってこの答えは100点どころではなく、私の予想の更に上を行ったから。先生の言葉にはきっと嘘はない。それがすごく幸せで、同時に少し怖かった。




教員と生徒。監督とマネージャー。
それが壊せない現実であるのは重々承知の上だ。デートだって表立って出来ないし、会える時間も限られる。友達にだって話せなくて、こんな関係が辛いならやめたらいいと一人になる度に考えた。それでも先生の事が好きな気持ちだけはどうしようも出来なくて。傍に居たい。過ぎていく日々の中でその思いだけが増していった。
そしてどういう形であれ、今この瞬間、先生の腕の中にいるこの時だけはそれが叶っている。不安が消えることはないけれど、幸せを感じられるなら今はそれでいい。その幸せがいつ崩れるか分からなくても、一緒に居れるこの一秒一瞬が愛おしいと思えるから。



「私も、先生を愛してます」




『サリエルの白昼夢』




◇◇◇

---あれ?
---どうしたの?水樹くん
---佳那がいつもと違う
---そう?なにも違わないと思うけど...
---わかった。匂いが違う
---あぁ、昨日ね、丁度切れてたからいつもと違うシャンプー使ったんだ





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