DAYS



「佳那、好きな人とかいないの?」
「うーん、今のところは...」
「勿体ない」
「部活で精一杯だよ」
「ふーん。なら、どんな人がタイプなの?」
「タイプっていうほどでは無いけど、あえて言えば...」




◇◇◇




「...まだ残ってるんスか」
「あ、君下くん」

残って日誌を書いていたら、部室の扉が開いて君下くんが入ってくる。彼は室内に1人残っている私を見つけると、不機嫌そうにそう呟いた。入部当初こそ君下くんの目付きや態度、物言いに怯えていたが、今ではもう慣れっこだ。理由なく怒鳴られることはほとんど無いしね。だから私は1年生が見たら縮こまりそうな視線も気にせずに、自主練おつかれさま、と声を掛ける。すると君下くんはフンっと鼻を鳴らしてロッカーへ着替えに向かった。
部室にはゴソゴソと着替える音と、私が日誌を書くペンの音だけが響く。この空間は嫌いじゃない。そして今までに何度か今日みたいな場面に遭遇している私には、この後起こる出来事もある程度予想がついている。暫くして聞こえるロッカーの閉まる音。それは君下くんの着替えが終了したことを示していた。

「...外、暗いぞ」
「うん。これだけ書いたら帰るよ」
「...」
「いつもありがとう。お疲れさま、気をつけてね」
「...あんたも」

ロッカーから入口まで歩いた君下くんが、ドアを開ける手前で立ち止まる。独り言のように発された言葉にノートから顔を上げたが、彼がこちらを振り向くことはない。こういう状況には何度か遭遇しているが、それはいつも変わらない。そのまま背中越しに交わしていると、言葉はぶっきらぼうであるが、彼なりの心配であったり優しさが伝わってきて口元が緩みそうになる。素直に感謝の言葉を伝えると、チッと舌打ちが聞こえ、部室を出るとほぼ同時に小さく呟かれた言葉を受け取った時には彼の姿は扉の向こうへと消えた。

(もうすぐ、かな...)

ペンを置いて時計を見ると、君下くんが帰宅してから数十分が経過していた。日誌は君下くんが部室に入ってきた時には既に書き終わっていた。それでも私が部室に残っているのは理由がちゃんとある。来たるべきその時のため、机の横にある棚のガラスに映った自分を見て変な所はないかを確かめる。部活の後だから汗臭いとかないかな...髪が跳ねてる所は...よし、ない。そこまでチェックして、ふと我に返る。普段の自分はファッション誌を見て流行を追っている同級生達ほど煌びやかではない。どちらかと言うと地味な方だと思う。そんな私が、最近は少し髪型を変えてみたり、些細なことも気にしているのはなんだか不思議な感じがした。そう言えば、臼井くんに「最近、雰囲気変わったな。好きなやつでもできたか?」とか言われたっけ。さすが鋭い。水樹くんは「東城がなんか違う気がする」って首を傾げてたけど、きっと彼は野生の勘的なやつなんだろうな。とりあえず、水樹くんは大丈夫だと思うけど臼井くんには気付かれないようにしなければ。だって私の好きな人は...


「おーい、東城。頑張るのもいいが、そろそろ帰れよー」

部活の顧問の中澤先生なのだから。

「あ、監督!すみません、日誌書いてたらこんな時間になっちゃって...もうすぐ終わります」
「相変わらず真面目だな」

部室に入って来た先生は、私の言葉に苦笑しながら近くに置いてあったパイプ椅子に腰を下ろす。私が日誌を書き終えるのを待ってくれると言うことだろう。いい加減に見えて結構生徒思いの人なんだよね、と日誌を書いているフリをしながら先生の姿を盗み見る。帰宅間近のこの時間の先生はいつもよりも緩い感じの雰囲気で。そんな姿を独り占め出来るが嬉しくて、たまにこうやって遅くまで残っている。

「今日、大柴くんいい動きしてましたね」
「そうだな。まぁ相変わらずバカだが...」
「あはは、そんなこと言ったら可哀想ですよ」
「そうは言うがなぁ..」

この、他愛もない会話を出来る時間がずっと続けばいいのに。こうやって話をしているといつもそう思う。だけど既に終わっている日誌に付け加えられる事なんてそんなに多くなくて、それに待ってくれている先生に迷惑を掛けるのも申し訳なくて、パタリと日誌を閉じた。

「監督、お待たせしました。終わりました」
「お疲れさん。お前はホントに出来たマネージャーだよ」

日誌を渡すと、パラパラと流し読みをしながら先生はそう呟く。好きな人に褒められるってこんなに嬉しいんだなと言う事を知れたのは先生のおかげだ。先生の一言で明日も頑張ろうと思える私の思考回路は相当単純に出来ているに違いない。

「男だらけのむさ苦しい所でよくやってると思う」
「みんな優しいですからね」
「頭も良くて気配りも出来るし、将来いい嫁になるぞ」

そう言ってくしゃりと撫でられた頭はじわりと熱を持つ。きっと、先生は私を褒めるつもりで何気なく言った言葉なのだろう。だけどそれは遠回しに先生との可能性はないと言われているようで、先程まで弾んでいた気持ちは消え去ってしまう。撫でられた頭と同時に目の奥も熱を持ったような気がした。
先生がそんな発言をするのは、よくよく考えれば当たり前のことなのだ。私と彼は生徒と教師という関係で。それは世間一般として、そういう対象として見るのはいけない事だと言われるような関係で。きっと先生の選択肢の中に私なんか掠ってもいないだろう。そもそも先生には別れた奥さんもいる。それらは全部理解しているつもりだ。だから私はこの気持ちを伝えるつもりは全く、ない。



「監督、」
「ん?なんだ?」


先生を好きになってしまった私を許してください。
先生の言葉で一喜一憂してしまう私を許してください。
先生と一緒に居る時間を少しでも作りたくて仕方ない私を許してください。
そして。


私をお嫁さんに、してください。


そう叫びたい私には、先生の発する一つ一つのその言葉が、重いのです。それでもこの想いを捨て去ることなんて出来なくて。
だから...


「帰りましょう?」


そっと貴方を想っていてもいいですか?





『大天使ウリエルは懺悔の夢を見るか?』




◇◇◇

---あえて言えば、大人っぽい人かな
---そーなんだ。何となく似合うかもね
---そうかな?
---早くいい人見つかるといいね
---うん...ありがと



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