DAYS



「東城」
「ん、どこか分からないとこあった?」
「......」
「??」
「東城」
「なにかな??」



◇◇◇



「助けて、臼井くん。水樹くんが変なの」

試験前の準備期間。
うちの学校は私学ということもあってか勉学にも厳しく、試験で赤点を取ると勉強合宿に参加させられるという制度がある。伝統ある我がサッカー部も勿論例外ではなく、その後の部活を円滑に進めるために試験前には何人かの部員が集まって勉強会を開いていた。
今回もいつも通り集まって、灰原たちとお互いの得意分野を教え合っていると、水樹を教えていた東城が俺達の元へやって来る。いつも水樹に関しては割と理解している東城が、情けない声で俺達に助けを求めるのは珍しい。

「水樹が変なのはいつものことだろー」
「なんて言うか、いつもと違うんだよ」
「?」
「名前を呼ばれたかと思ったら黙り込んじゃって...」

灰原の言葉に対して否定はしないんだなと、どこか違うことを考えながら東城の話を聞いてやる。おかしいとは言ったが、何がおかしいのかは言った本人も分かっていないらしく、眉を下げて首を傾げている。困った顔で俺達に助けを求める東城の姿は、マネージャーになった最初の頃はよく見る光景だった。それが最近では殆ど無くなって、立派に役割をこなしていると思うと同時に少し寂しい気もするなと寮生の間で話題になっていたのは記憶に新しい。ふと灰原や猪原の方を見ると、考えは同じようだったようで小さく頷いていた。

「東城、水樹の方は俺が見てみるよ」
「いいの?」
「いいよ。そろそろお前も自分の勉強した方がいいだろうしな」
「東城の苦手なとこをさっきやったから俺らで教えてやる」
「それすごく助かる!ならちょっと先に2年の子達のとこ覗いてくるね」

ありがとう、と言って2年のテーブルの方に様子を見に行く東城を見送ってから、問題の水樹の方に目を向ける。辛うじてシャーペンは握っているが、視線は東城の姿を追っている。うん、あれは何も頭に入ってないな。

「がんばれ、おかーさん」
「誰がお母さんだって?」

ニヤニヤと笑いながら言う灰原に笑顔で返すと、こえーよ!と返ってくる。俺はあんな怪物を産んだ覚えはないし、そもそもサッカー部の母と言えば今では東城の方が合ってるんじゃないか。まだまだ危なっかしいところはあるが、部員を思う気持ちと包容力は十分だと思う。そう伝えると、水樹にとっては嫁だよなー、と灰原から間延びした声が返ってきた。

「なら、うちの部の父親が水樹で母親が東城ということになるな」
「それはまた頼りになるようなならないような2人だな」

猪原の言葉に2人の並ぶ姿を思い浮かべたが、あまりにいつも通りの光景すぎて笑ってしまった。じゃあ東城の方は頼んだ、と灰原たちに伝えて水樹の方へ向かうと、水樹は相変わらず東城の方をぼーっと眺めていた。

「水樹」
「ん。あぁ、臼井か」
「東城がなにか気になるのか?」

声をかけると生返事とともに視線を俺の方へ向けたので、ストレートに尋ねる。こいつに遠回しの質問は通じないと言う事はこれまでの経験で学習済みだ。

「昨日、犬の散歩中に東城と犬童に会った」
「2人が一緒に?」
「東城も散歩してたら犬童に会って話してたらしい」

水樹の口から出てきた意外な組み合わせに少し驚く。地区大会や合宿で何度か会ったことがある程度の2人が一緒にいた理由を思い浮かべたが、すぐに思い当たる事はない。水樹の説明で納得は出来たが、犬猿の仲の水樹と犬童を前にしていつも苦労している東城を思い出すと、昨日もきっと大変だったであろう彼女の姿が目に浮かんだ。

「それで、昨日なにかあったのか?」
「わからん。が、なにか引っかかった」

だから東城を見てる、と言う水樹。それは東城と犬童が一緒に居たことに対して腑に落ちないなにかがあるという事で。もうそれはいい加減、キャプテンとマネージャーの関係では説明出来なくなっているんじゃないかと、ともすればニヤついてしまいそうな口元を引き締めながら考える。それを周りが伝える事は簡単であるが、一方で本人が気付かないと意味が無いとも思うから難しい。どうしたものか、と水樹と同じように東城に視線を向けると、どうやら大柴と話している途中のようだ。

「大柴くん、大丈夫?」
「あー...佳那さん...じゃねーや、東城先輩...もう無理ッス」
「あ!」

机に突っ伏している大柴に声をかけた東城。それに対して力なく顔を上げた大柴がだるそうに返すと同時に水樹が声を上げた。どうした水樹、と言う間もなく水樹は東城達の元へ向かう。いきなり動き出した水樹に、灰原たちも大柴に勉強を教えていた君下も驚いている。

「佳那」
「っ...!?」
「うん、わかった」
「え?え?なに??」

なにがだ。
たぶん、その場に居た全員の脳内に浮かんだであろう言葉。いきなり名前を呼ばれた東城なんか理解が追いついていなくてひたすらに困惑している。その中で1人すっきりした表情で頷く水樹はとても満足そうだ。

「佳那」
「なに?さっきからどうしたの?水樹くん」

あぁ、なるほど。そう言う事か。
理解した俺に続いて、水樹の近くに居た君下が口元を抑えて目を逸らしているから、きっとあいつも気付いたのだろう。少しして猪原と灰原も理解したようであからさまにニヤニヤしている。大柴は...あの様子だと気付いてないな。

「臼井、東城たぶんテンパり過ぎて気付いてねーぞ」
「だろうな」

灰原が近寄ってきて笑いながら言う。確かにあの様子だと気付いていないのであろう、変わった自分の呼ばれ方に。そう言えば犬童は東城の事を名前で呼んでいた気がする。それが昨日の水樹の中で引っかかっていたものの正体か。あの様子だとこれからは水樹もあの呼び方をするだろうから、それに気付いた時の東城の反応は少し楽しみだ。2人の距離に変化は起こるだろうか。そんなことを考えた所で、そろそろいい加減忘れ去られている勉強に戻さないと、と手を叩いた。




『距離感モジュレーション』




◇◇◇

---シバって東城のこと名前で呼んでたっけ?
---あぁ、先輩がうちの姉さんと仲良くて
---そーいえば1年の時クラス一緒だっけ
---俺がここに入る前から遊びに来てたんでその時は名前呼びしてたんスよ
---へー
---俺のことも名前で呼んでたのに
---のに?てか水樹が聞いたら羨ましがるぞ
---部活入ってからは一応先輩呼びしろって姉さんが言ったら先輩も名字で呼ぶようになったんス
---姉ちゃん強ぇな



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