「おーはよ」
ベッドで天使の寝顔を炸裂していた息子の柔らかくて優しく熱い頬を触りながら声をかけると、彼は眠そうな瞼をこじ開けた。小さく高い声で唸ると、眉間に皺を寄せてまた目を瞑ろうとする。その様が私の夫であり彼の父である景吾そっくりで、笑わずにはいられなかった。
「こらこら」
「…パパは……?」
おはよう、とかママ、より先にパパである。しばらくの間遠征で海外に行っている彼の父は、今日帰る予定なのだ。昨日はそれで寝付けなかったらしい、寝る前から興奮してたもんなぁ、と思い出しながら、もう一度眠ろうとする彼の前髪を払う。
「さて、帰ってくるかな」
「ナマエ」
ふざけた口調で言った私に、後ろのドアから笑い混じりに叱るような声が飛んできた。確かめるまでもなく今朝早くに帰ってきた景吾で、大好きなパパの声に気付いた息子は大きな目をぱっちりと開けた。景吾は息子が起きたのを見ると、目を細めて笑って言った。
「意地悪なママだな」
「パパ!」
私の肩を押しのけて、彼はベッドから飛び降りると景吾に突撃していった。景吾は笑いながら息子を抱きあげて「ただいま」と頬にキスをする。
「おかえり!」
よだれまみれの唇でキスを返した彼は頬を真っ赤にして笑った。数日前に「パパは?」と寂しそうに聞いた顔はどこへやら。何はともあれママへのおはようのキスよりパパへのおかえりのキスなのは許すしかない、親子そろって嬉しそうな顔だ。
「パパ、テニスしよう!ぼくうまくなったよ!」
「あぁ、ママから聞いてる。まずは顔を洗って朝食だ、行ってこい」
「うん!」
「寝ぐせもな」
景吾が彼を床に下ろす。そして自分そっくりのくせ毛の頭を景吾が撫でると、彼は寝起きとは思えない早さで洗面所に向かった。いつもは「走ると危ねぇぞ」と注意する景吾も、息子の小さな背中を小さく笑って見送るだけだった。
息子が洗面所に入ったのを見届けると、景吾は私を見た。目が合ってお互い笑い、リビングに向かう。
「ホットミルクいれるけど、景吾にも何かいれようか」
「あぁ、コーヒーでいい」
「うん」
私はキッチンへ入り、景吾はその前にあるカウンターの椅子に座った。ホットミルクとコーヒーの用意をする私を見ながら小さく呟く。
「重くなったな」
「あの子?」
「少し会わなかっただけなのにな。おちおち遠征もできやしねぇ」
口調は乱暴だったけれど、それでも景吾の口元は息子の成長をどうしようもなく喜んでいた。毎日何かしらの写真は送っていたし、電話もしたけれどそれだけでは把握できない息子の成長を久しぶりに感じて嬉しいのだろう。
「まぁ、今日は存分に遊んであげてよ。パパに会いたいってずっと言ってたんだから」
「そのつもりだ。今朝コートも確認したしな」
張り切ってるなぁ、そういえば帰ってすぐ庭に行ってたっけ、と笑ったら洗面所からばたばたと軽くも激しい足音が聞こえて二人で笑った。顔を洗って寝ぐせを少し直した息子は、私に向かって「ママ、ごはん!」と待ちきれないように言う。
「はいはい」
とりあえず用意したホットミルクとコーヒーを差し出して、作っておいた朝食も続けて出すと彼は「いただきます!」と早口に言って、猛スピードで口に入れていく。
「こら、ゆっくり食べなさい」
「だって」
「パパは逃げも隠れもしないよ」
「しないけど、はやくテニスしたいもん」
「もう」
「今日くらいいいだろ」
隣でご飯をかき込むのに夢中な息子を頬杖をついて見ていた景吾は、そう言って息子の口元についたご飯粒を取って食べた。いっぱしの父親の姿に、昔から彼を知っている人たちがこの姿を見たら驚くだろうなぁと改めて思う。実際、越前くんとかも驚いてたっけ、あの顔は笑うしかなかった。
「ごちそうさまでした!」
「もう食べたの?」
「うん!パパいこう!」
「歯磨きと着替えの後な」
「はい!」
ばたばたという足音がまた家中を駆け巡る。景吾は笑いながらコーヒーを口にし、「お前も休めよ」と早朝から起きていた私を労ってくれたから甘えて景吾の隣に座った。
「嬉しそうだね」
「そりゃあ。愛しい嫁と可愛い息子との生活は久しぶりだからな」
「しばらくお休みなんでしょ?」
「用事くらいはあるが、そうだな。旅行でも行くか。デートも、宍戸んとこにでも預けて」
「うん、行きたい」
「決まりだな」
景吾は満足そうに笑うと、戻ってきた足音に気付いて椅子から降りた。ソファーのところに置いてあったラケットを持って、窓の外に置いてあったテニスシューズを履き始める。
それを見つけた息子は私なんかを見向きもせずに、景吾の隣に座ってテニスシューズを履いた。「ストレッチからだぞ」「うん!」なんて会話をしている大きな背中と小さな背中はそっくりな形をしていて、ほぼ同時に立ちあがって手を繋いで庭にあるテニスコートへ向かう二人に胸が熱くなった。
家の中で家事をして、たまにテニスコートを見るとそっくりな二人がそっくりな顔で笑って、時には彼が「ママ!」と手を振り、時には彼の父が学生時代と変わらぬ笑みで私を見る。そのたびに胸から何かがわき出て、たくさんのものを貰ってるなぁ、と泉のが溢れるように笑みがこぼれた。
20120429
二十万打フリリク@朝夷さん