脳に酸素が回らない、だから考えが追いつかなくて、追いつくために酸素を脳に回そうとしたら首にかかる彼の吐息だとか、私の体にもっと近づこうとする彼の手や体に心臓が過剰反応して、また脳に酸素が回らなくなるのだった。つまり、今、死にそう。
 部室で「おい、ナマエ」と跡部さんに呼ばれたから振り向けばいきなり抱きつかれて、理解すると同時に脳に酸素が回らなくなった。何度抱きしめられても慣れない、匂いとか大きな手とか、思ったより逞しい胸とか、同じように鼓動する彼の心臓とか、毎回慣れては新しい発見があってその度に心臓が大変なことになって頭の中はぐちゃぐちゃで、どうしたらいいか分からなくて、なんだったら息さえ止まりそうになるのだ。つまり、今、死にそう。

「いや、あの、あの、跡部さん…!」
「まだ慣れねぇのかよ」

 とりあえず名前を呼ぶことしかでしかない私に、跡部さんは可笑しそうに笑って私の腰あたりで両手を結ぶと、私の肩に顎を乗せた。彼の顎が「慣れろよ」と少し強く言うようにするからビリビリと心臓まで鳥肌が立って、胸のあたりで握った両手に力を込める。

「な、慣れないです、無理です、死にそうです!」
「で、王子様のキスで目覚めたいってか?」
「そんなこと言ってなっ、いや、キス、は嬉しいですけど、いや、そうじゃない、そうじゃないです!」
「落ち着けよ」

 低く、喉の奥で笑う跡部さんは本当に楽しそうで、笑われた恥ずかしさと、吐息まで感じる低い声と、腰を抱いた手に更に込められた力に余計頭が熱くなった。
 この人は私をからかうのが本当に好きだ、笑ってくれるのは嬉しいけどこっちは体力が削られて辛い。

「こんな状態で落ち着けないです、それに、誰か来たらどうするんですかっ」
「ちょっとだけだ」
「ちょっとってどれくらい…」
「俺の気が済むまで」
「…どうかしたんですか?」
「お前みたいなガキが気にすることじゃねぇよ」

 跡部さんはぶっきらぼうにそう言うと、またギュッと力を込めた。跡部さんの胸に更に近づく形になって、熱くて逞しい胸を小さく揺らす鼓動を感じた。私みたいに早くはないけれど、しっかり、力強く揺れる心臓は彼自身を表しているようで、ここに確かにいることを幸せに感じた。私、今、死にそう、彼の胸の中にいる。

「一つしか違わないじゃないですか。それに、ガキでも彼女です」
「…こういうときだけしっかりしてんじゃねぇよ」
「…じゃないと、跡部さんについていけないです」

 彼を好きだと自覚したときから彼に見合うように、彼のために、彼の支えになるように、少しでもしっかりした女になりたいと思っていた。大人ぶっているだけかもしれないけど、それでも、少しでも、彼の小さな不安を払うくらいでも、力になりたい。実際できているか分からないけど。跡部さんから見たらそういうところもガキなのかもれないけれど。

「……そうか」
「…えっと、なので、私でよければ、お話聞きますし」
「ナマエのくせに」

 私の言葉に小さく笑うと、跡部さんは顔を上げて私の前髪を払い、おでこに軽くキスをした。慣れたようにリップ音を奏でるから恥ずかしくて目をギュッと瞑ると、それを見た跡部さんはさっきの少し弱気な声を払うように笑う。

「もう大丈夫だ、気が済んだ」

 そう言って私を離した跡部さんは私に背中を向けて、テーブルに放ってあった書類を取って読み始める。急に離されてぎゅうぎゅう苦しかった心臓は楽になったけれど、なぜか、ダメだった、もやもやして仕方がない、何でか分からないけど、跡部さんを抱きしめたい、私の気が済まない。
 腕が震えて行き場がなくて、足も動かなかったから、女は度胸だ!と訳の分からない言い訳を自分にして、ふわふわふらふらした腕を後ろから跡部さんの腰に巻きつけた。
 跡部さんは一瞬固まって、私は恥ずかしくて跡部さんを見ないように跡部さんの背中に顔を押し付けた。跡部さんの香りが首筋を撫でるように私を刺激してやっぱり落ち着かないけれど、どこか落ち着くのも事実だった。矛盾してるけど、この矛盾が気持ちいい、幸せで死にたくなるような、そんな感じ。

「…」
「……」
「…おい」
「は、はい、すいません、あの」
「違ぇよ。…心臓止まるかと思ったじゃねぇか」

 チッ、ナマエのくせに、と舌打ち付きで言った台詞はさっきとは違って少し恥ずかしそうで、私の手を軽くぎゅっと掴んだ彼の手がとてもかっこいいような可愛いようなたまらない気持ちで、私も死にそうだけど彼も死にそうみたいで、死ぬのは嫌だしどうしたらいいかなぁなんて見当違いなことを考えて、とにかく、やっぱり脳に酸素が回らない、とりあえずもうしばらく部室に誰も来ませんように、と子供のように願って子供のように強く目を瞑るのだった。


20120409
二十万打フリリク@小林ちゃん
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