試験前に跡部の家で勉強会をするのが私は好きだ。だって美味しい紅茶が出てくるし、紅茶がなくなったら黙ってても新しく淹れてくれるし、しかもおやつに美味しいケーキが出てくるから「それまで頑張ろう!」と何だかんだ捗るのである。
ただ、一つだけ障害があった。
「寝るなジロー!」
そう、奴だ。
元々勉強会は授業を寝るものだと思っているジローのためなのである。それに私たちが見張りのような形で付き合ってるだけなので、ジローが寝ると誰かが声を張り上げるせいで集中力が豪華な家具たちに隠れるようにササーっといなくなってしまうのだ。
跡部の声に、私の隣にいる岳人が「…計算ぶっ飛んだ」と文句を言った。岳人も珍しく集中してたらしい。まぁ跡部と忍足に囲まれるとそんな気にもなるだろう。
みんな集中力たちが跡部の声によって家具に隠れてしまったのか、忍足は紅茶を口に含んで、亮は椅子に座ったまま背伸びをして唸った。
「あー…テニスしてぇ」
禁句である。何があろうと今ここでその言葉を言うことは禁句である。別に約束したわけではないが、テスト期間中で好きなことを我慢しているのにそんなことを言うのは、ぶっちゃけKYだ。
亮は多分無意識である。亮がテニス馬鹿なのはここにいるみんなが知っているし、みんながそうだ。スルーすればいいものの、慣れないことをしたからか岳人も呟く。
「…それ言うの無しだろ」
「無しやな」
「…悪ぃ、無意識」
「テニスなんかして赤点取ったら跡部に殺されるよ」
「叩きのめす」
「こわっ」
意外にノッてくれた跡部にみんなが笑うと、今まで黙っててくれてたミカエルさんが跡部に「スイーツの用意ができております」というこれまた素晴らしい対応をしてくれる。
お!という私たちの視線に、跡部はしょうがねぇなという顔で「頼む」と言うので待ちに待ったスイーツタイムだ!やったね!
「ジロー起きろー」
岳人がそう言ってジローを起こすけれど起きる気配が全くない。そんなジローを見て跡部も「ジロー」と頭を叩く。返ってくるのはイビキだけ。
「亮起こしてあげなよ」
「そんな気力ねぇよ」
「ジロー、おやつだぜー」
「跡部んちのおやつやでー」
岳人と忍足の呼びかけにも答えない。ダメだな、と岳人は肩をすくめた。
「起きる呪文知ってるよ」
「アーン?呪文?」
「しかも今日ずっと起きると思う」
「まじか」
「言ってもいいなら言う」
「やってみろ」
どうせ起きねえよ、と笑いながら跡部は持っていた教科書をジローの頭に放り投げる。
では、許可も出たので。
「ジロー、跡部が試合してくれるって」
ガバッ!とお前起きてただろと言いたくなるような早さでジローが顔を上げた。だが「まじまじ!?試合!ラケットは!?っつーかここどこ樺ちゃん!」と言ってるのを見ると寝ぼけている。樺地じゃねーよ。
「ナマエ、てめぇ…」
「だから言ってもいいならって言ったじゃん」
「…」
そう、このジローに捕まると跡部にはもうどうにもならないのだ。試合をするまで治まらないし、試合をしたらさらに目は冴える。つまり勉強なんてできないということだ。
ジローが「跡部!早く行こうぜ!」と跡部の腕にしがみついたと同時に、ミカエルさんがケーキを持ってきてくれた。それに気づくとジローの声はますます大きくなる。
「わ、ケーキじゃん!うっまそー!」
「…それ食ったらな」
跡部がため息をついてそう言ったから忍足がボソッと「負けたな」と言って笑った。
「まじ!?よっしゃ!」
ジローはそう言うとフォークがあるにも関わらずケーキを手掴みし、そのまま頬張った。二口で食べるとクリームだらけの口で何かモゴモゴ言いながら走って行った。どんだけ待ち切れないんだ。あ、あいつ!と負けじと岳人もケーキを手掴みして頬張る。
「おいジロー、ラケットねぇだろ」
「もう聞こえてねえよ。っつーか持って来てるし」
「あ?」
跡部の聞き返しに反応する気はないらしく、亮もケーキを手掴みで頬張ると岳人と二人で素早く部屋を出て行った。それを見送ってミカエルさんが柔らかく笑って言う。
「皆様お出でになったときにラケットをお持ちでしたのでコートの方に運ばせていただきました」
「あいつら…」
「考えることはみんな同じやで」
呆れる跡部に忍足がそう言うから「そうそう」と相槌を打つ。で、
「二人は早く行かないの?」
あいつらに負けず劣らずテニス馬鹿のくせに、ゆっくり優雅にケーキを食べて遅れを取るのかと聞くと二人が反応する前にミカエルさんが空気を読んで「では私は失礼します」と部屋から出て行った。
ミカエルさんが部屋を出ると、跡部が呆れたように笑う。
「あいつらといるとゆっくり食事も出来やしねぇな」
「食よりテニスやからしゃあないわ」
口々に言いながら二人はケーキを手掴みし、思い切り頬張った。この二人がこんなことをするのはこういう時だけだからレアである。
忍足が紅茶を飲み干すと跡部も紅茶を飲み干した。手掴みでケーキを食べて、紅茶を飲み干したと言ってもこの二人はなぜか優雅なのだから感心する。これが庶民と金持ちの違いか。
「行くか」
「おん」
「ナマエ、タオルとドリンク持ってこいよ」
「はーい」
跡部たちが部屋を出るとミカエルさんがやってきた。相変わらず丁寧な物腰で私に言う。
「紅茶を淹れなおしましょうか」
「あ、すぐ食べるから大丈夫です。さすがに手掴みでは食べれないけど」
「タオルとドリンク、用意いたします」
「お願いします!」
そんな会話をしていると、外からボールの音と岳人の「関ヶ原の戦い!」という音が飛んできた。直ぐさまボールを打ち返す音と「1600年!」という亮の声が聞こえて、こりゃあいつらにはいい勉強になるわ、と笑った。
20120301