テニスをしない私にはよく分からないのだけれど、テニスプレイヤーにはスランプなるものがあるらしい。亮や岳人やジローがそれを体験してきたからそばにいた私も知っているわけだが、それがテニスプレイヤーにとってどれだけ苦しいことかは全く分からない。見る限りすごく苦しそうだけれど、実際「すごく苦しそう」ということが分かるだけで本当のところはもっともっと私が体験したことないくらい苦しいんじゃないかと思う。
 今その私が計り知れない苦しみに苦しんでいるのがジローである。あの暢気で飄々としたジローが眠りもせず練習に打ち込んでいるのは珍しい。集中力はすごいからたまにみんながびっくりするくらい集中して練習はするけれど、今回は集中して練習をするところは同じでも中身が全く違う。私が見ても分かるくらいジローは調子が悪かった。怪我でも体調不良でもなく、あれはスランプである。
 みんなは知らんぷりだ。たまにジローの方を見ることはあってもすぐ自分の練習に集中してしまう。冷たいと思われるかもしれないけれど、これが氷帝テニス部だと誰もが理解している。
 いつもは甘やかされるジローがこういうときに放っておかれることに何だか違和感があるのは確かだ。けれどこれは所謂自分との戦いだと私は解釈している。これでジローがレギュラーから落ちれば奴はその程度だった、とみんな言うだろうし理解するだろう。ここはそういうところだ。誰もが戦っている。好きなことだから真剣なのだ。

「ナマエ」

 ジローを見ていたら跡部に呼ばれて思わず過剰に反応してしまった。跡部は私に厳しい顔で「やめろ」と言う。

「…ごめん」

 そうだ、私が見たってジローのスランプが治るわけじゃないし、ジローに気をとられすぎてマネージャーの仕事ができなくなるのは本末転倒だ。なぜかため息が出そうになって飲み込み、コートから足早に離れた。私には私のすべきことがある。

 それから一時間ほど経ち、跡部がジローのコートに近づいた。ジローは跡部に気づくと、サーブのために高く上げて落ちてきたボールを掴んで跡部を見た。

「ジロー、そろそろ休憩しとけ」
「…」

 ジローは荒い息で跡部を睨みつけるように見ていた。いつもの寝ぼけた顔でもヘラヘラした顔でもなく、何を考えているのか全く分からない。

「…ん」

 そう小さく答え、ジローはユニフォームで汗を拭きながらコートを出た。慌ててタオルを用意してジローを見れば、一瞬目が合ったけれどすぐそらされてジローは私のところには来ずにどこか行ってしまった。跡部がやってきて「ほっとけ」と言い放つ。それはジローへの優しさではなく「お前じゃ何もできない」の意味だ。
 やることはあるけれどできることはない。切ない。
 一度こういうことを亮たちに相談したことがある(岳人に言ったらからかわれそうだし、その時は岳人がスランプだったから)。亮は「ほっときゃそのうちよくなる」と言った。長太郎でさえ私に同意せずに苦笑い。忍足も「大丈夫やろ」と自分の練習に戻ってしまったし、跡部は「何をするのもお前の勝手だ。だがそれがそいつのプライドを傷つけることになったりもすることを考えろよ」と言った。私はテニスをしないからテニスプレイヤーのプライドなんて分からない。結局私にできることなんかないのだ。ただいつも通りにマネージャーをしてろ、という話である。
 けれど私はそれが割り切れない。彼らはスランプの気持ちが分かるし、それが氷帝だからとそうやって切り捨てられる。私はダメだ、何もできなくてもそれが氷帝でも、あんな顔をする友達を見ていられない。
 青学だったらみんなで一丸となってその人の力になるかな。
 ふとそういう考えがよぎって、みんなが練習をするコートを見ていたらすぐに消えた。跡部も亮も岳人も忍足も、もしかしたらジローも「それが仲間ならそんなのいらねぇ」とか言いそうだ。みんなそうだ、長太郎も若も、みんなそういう負けず嫌いで不器用な奴らなのである。
 だからジローも頑張ってる、負けたくないから。みんなが頑張ってるのに私も負けちゃいられない、みんなと同じくらい辛い思いして汗かいて働こうじゃないか。
 立ち上がってジャージを脱ぎ捨て、タオルが詰められたカゴを持ち上げると思ったより重くてふらりとよろけてしまった。それを見た亮が「大丈夫かよ」と言う。「全然!」と答えれば「だろうな」と笑った。最初から駆け寄ったりしないのだから私がそう言うことが分かっていたのだろう。そう、悪いけど私も負けず嫌いなのである。


20110817

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