テストが近いから、という理由で永四郎の家で勉強会をすることになった。全部永四郎に聞くと永四郎が大変だからそれぞれ苦手なところを自分よりできる人に教えてもらう、という方式で最初は笑い声も出たりしたけど、途中の永四郎の「ゴーヤ食わすよ」という言葉とシャーペンの音が私たちを段々黙らせた。分からないところがあるとシャーペンが止まって少し息を吐くからか、永四郎が「どうしました?」といち早く聞いてくれる。結局私たちは永四郎に頼るのだ、さすがキャプテンです。
ふと耳に飛行機の音が入ってきた。窓をちらりと見れば描いたような青い空に細くて細い雲が浮かんでいて、なぜか「おいしそう」と思った。お腹が空いてるのか、私。
窓から視線を戻すと、同じように裕次郎も窓をぼんやり見ていた。集中できなくていつも視線がふらふらしてる裕次郎だから、昔からこんな感じになると永四郎に怒られることになる。永四郎が凛に教えてるのを確認して小さく裕次郎をつついた。
「?」
「怒られるよ」
「あ」
さんきゅ、と小さく裕次郎がお礼を言う。私もすぐ数学の教科書に向きあった。公式を書いていると、さっき見た空がパッと浮かんだ。青々とした空は見慣れたものなのに、この部屋から勉強中に見るととても特別なものに感じたのだ。
「…」
シャーペンが止まって、少し息も止まった。それって、今、この瞬間だってそうだ。みんな見慣れてるし、いることが当たり前だけど、いつかはみんな違う所から、どこかにいるみんなを見るんじゃないんだろうか。
大人になって、仕事なんかしちゃって、息苦しいなぁって思って窓から外を見たらいつだって私たちの上にあった空がそこにあって、あれは特別だった、って気付いて悲しくなるのかな。なぜかテニスボールの音がした。みんなの声もした。静かなのに、息遣いとシャーペンの音や教科書をめくる音しかしないのに。
「どうしました、ナマエ」
「え…」
シャーペンが止まったままだったからか、永四郎がそう言った。ちらりとみんなが私を見る。みんなと目が合って、異常なくらい胸が跳ね上がった。何でか分からないけど、この瞬間をいつか夢に見そうな気がするくらい私を刺激する。
「分からないところでも?」
「え、っと…」
バカだ、「うん、ここが分かんない」と今解いている問題を見せれば良かったのに、言葉に詰まったからかみんなが私を見たままだった。もしかしたら永四郎以外はこの状況から逃れる何かを私に求めているのかもしれない。そう考えたらみんなの目がそう言っているようにしか見えなくなってますます焦った。何か、何か学校のこととか部活のこととか、何か。
焦れば焦るほど何も考えれない、どうしようどうしようと考えていると隣の慧くんからグウウウとこもった音がした。永四郎の部屋が更に静かになり、喋り声ではない音にピーちゃんが反応してなぜか「ゴーヤ食わすよ」と言う。笑うしかない。
「ちょ、慧くん…!」
「腹減った…」
「まだ鳴ってるやっさー」
「慧くん昼から何も食ってないもんなぁ」
凛や裕次郎が言うと、寛がどこからか黒糖の飴を出した。慧くんが喜んでそれを受け取る。
「良かったねぇ、慧くん」
「でもそんなんじゃ足りんだろ」
「全く、君は」
「ねー永四郎、コンビニでも行こうよ。私も小腹空いちゃった」
「集中力が切れるでしょう」
「もう今ので切れてるよ。慧くんのお腹の音も鳴り続けたら気になるし」
「だな」
「永四郎」
寛も言うと、さすがに永四郎も考えたらしくため息をついた。「少しだけですよ」と言うから「よっしゃ!」と凛が財布を掴んで立ちあがる。
「私の財布どこー?」
「ほい」
「お、ありがと寛」
「ん」
財布を右手で受け取り左手を差し出したら寛はその手を掴んで立たせてくれた。凛がみんなの上着を渡して、私のコートだけは私の顔面に投げつける。
「いった!凛!」
「ブスは顔も隠した方がいいんじゃね?」
「ひど!ピーちゃん、ナマエ可愛いよね?」
「ナマエ」
「そうナマエ」
「おバカさん」
「違うよ!可愛い!可愛い!言って!可愛い!」
「ははっ」
「何笑ってんの裕次郎!」
「永四郎の真似ばっかりすんなぁ」
「君たちと違って利口ですよ」
「ひっで」
凛が感心したように言うと、永四郎が満足そうに言って裕次郎が笑った。上着を着てみんなの後ろについて行った。永四郎のお母さんに「ちょっと行ってきまーす」と挨拶をして外に出ると、冷たい空気にみんなが寒い寒いと言いだす。
身震いをして空を見上げれば、さっきより薄くなった飛行機雲を見つけた。いつもテニスコートから見る空とはやっぱり違って、やってることはほぼ一緒なのになぁ、と思いながら話しているみんなを見上げると凛と目が合ってまた意地悪く「ブス」と言った。数学と共に滅びろ。
寒い寒いと言いながら永四郎の部屋に戻ってピーちゃんに「ナマエが帰ったよ!」と言うとピーちゃんは「ナマエ、ゆーじろー」と言った。幼なじみだからか昔から私たちはセットらしい。
「違うよ、ナマエ」
「いや俺も帰ってるし」
「ナマエ」
「そうナマエ」
「ナマエ、かわいい」
「え、ちょ!聞いた!?今聞いた!?」
「ピーちゃんに変なこと覚えさせるのやめてくれませんかね」
「ピーちゃん。ブス、ナマエ、ブス」
「凛!」
「こーれーぐーす」
「それ関係ないでしょ寛!」
「飯!」
みんながそれぞれさっきと同じ位置に座る。ピーちゃんの所からそれを見ていると、何だかまた変な気持ちになった。いつか、この教科書もノートもシャーペンも消しゴムも使わないときが来て、周りにみんながいないのが普通になる時が来るのだろう。いつか来るその時までに、後悔のないようにしないといけないと思った。上手くいくことなんて少ないかもしれないけど、特別だってことを私は覚えておかなきゃいけない。
「これを食べたらまた勉強ですよ」
とりあえず、あと三日で来るテスト期間までにテスト勉強をしなければいけないことは確実だ。
ピーちゃん、赤点とったらごめんね、とピーちゃんを見たら近くで凛が裕次郎に「それ食う」と言ったからか「ゴーヤ食わすよ」と言った。ゴーヤは勘弁です。
「テスト終わったらどっか遊びに行こうよ、みんなで」
「おーいいな」
「どこ行く?」
「お化け屋敷」
「えー」
「永四郎は?」
「騒ぐには変わりないでしょう、どこ行ったって同じですよ」
「はは、確かにな」
それがすごく特別ですごいことだってみんな気付いてるのかな、気付いてるのかもな、私知ってるよ、おバカさんで因数分解もよく分からないけど、知ってるよ。
20120201
十万打フリリク@みずうみさん