ナマエがトイレに入って30分が経った。ナマエが入った時点で俺の膀胱は結構ギリギリで、それから30分も経ったわけだからギリギリのギリギリなわけだ。崖っぷちで縄跳びしてるようなもんだ。ナマエがトイレに向かって「まぁいいか」と思ったのが悪かった、まさかの大かアイツ。

「銀さん、顔が酷いです」
「新八、トイレ」
「行けばいいでしょう」
「だめ、ナマエ、入ってる」
「何でカタコト?ノックするなり何なりすればいいじゃないですか」

 おい勘弁しろよ新八、こっちはもう膀胱が悲鳴上げてんだよ「おいいいい!破れる!破れる!まじ振動とかやめてまじ!」って俺の体全体に訴えてんだよ、敗訴寸前なんだよ。
 しかし確かにここで待ってるのも馬鹿らしい、ここは一刻も早くナマエに出てもらうしかねぇな。
 立ち上がって早足でトイレの前に行き、ドンドンとドアをノックするとナマエの低い声が聞こえてきた。

「あ〜い…」
「ナマエちゃん、早く出て銀さんの膀胱が敗訴寸前」
「敗訴…?」

 心なしかナマエの声は覇気がなかった。ただそれを気にしているほどの余裕は最早俺にはない。そんな余裕があったら膀胱に差し上げたいくらいだ。とにかくドンドンとノックを繰り返す。

「いや、まじ勘弁、ナマエ急いでくれ、漏らす、いい歳なのに漏らしちゃう」
「…」
「え?あれ?おーい、ナマエちゃーん?引いた?引いちゃった?」
「……」
「漏らすくらいで引くか今更お前!同じとこから別なモン漏らすのを毎晩見てるくせによぉ!ってゆーか漏らさせてるくせによぉ!」
「毎晩じゃないし勝手に銀ちゃんが漏らすだけで別に私は漏らさせてないし…」

 ドアの向こうでジャーッと水が流れる音がし、ドアが開いた。真っ青な顔をしたナマエが出てきて、前のめりになっていた体のまま後ずさる。すぐ入るつもりだったのにナマエが歩く道を作ってしまった。ナマエの真っ青な顔に何か声をかけようとしたが、口元を手でおさえてナマエが心底嫌そうな顔で俺を見たので思わず口を噤んでしまう。

「こんな奴の子供育てなきゃならないのか…今から子供の将来が心配だわ…」

 そうナマエは言うと、ふらふらと居間に向かう。体調が悪そうなナマエを見た新八が驚いた声を出すのを聞きながら、俺はアホみたいな声を出した。

「…へ?」

 つまりアレか?ナマエは大でトイレに入っていたわけじゃなくて、吐くために、要するにつわりのためにトイレに入ってたってわけか?つわりってことは、妊娠してるわけで…え?

「ちょっ、ナマエちゃ、待っ…!」

 ナマエにいろいろ聞きたかったが「裁判官、トイレに行かせてください!」と膀胱がひときわ大きな声で叫ぶ。
そして俺はトイレで開放感に包まれながら言いようのない何かを実感する。これが幸せか(いろんな意味で)、と小さなため息が出た。トイレで。
 トントン、とドアが控えめにノックされる。ナマエが小さな声で俺に言った。

「昨日分かったの」

 吐き気はもう治ったのか、少し申し訳無さそうな声でナマエはそう言った。怒る理由がないし、だいたい今この瞬間怒るなんて選択肢は俺にはないだろう。

「愛してるぜナマエちゃ〜ん」
「トイレ越しって。バカ」
「バカお前、俺がトイレから出たら覚えてろ、ぎゅって抱き締めて腹撫で回してやるからな」

 ナマエの笑い声がしたから俺も笑ってトイレの水を流し、丁寧に手を洗ってタオルで拭いた。
 トイレから出るのにこんなに緊張したのは初めてだよ、俺ァ。

100905

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