「あー、もうこんな時間か〜」
トシの背中に預けていた自分の背中を動かして掛け時計を見ると、トシも背中を動かした。針は夕飯の時間を指していて、女中である私は仕事に行かなければならない。
「もうそんな時間か」
「うん、行かなきゃ」
トシは筆を置き、首を鳴らした。私は大きく伸びをする。気持ちいいな〜と思っていると首に暖かいトシの手が触れて、思わず震えた。トシにしては柔らかい触り方でいつもとは違う動悸がして何だか恥ずかしい。
「な、なに?」
「…今日の飯は?」
「分かんない。でもマヨネーズのストックはあるよ」
トシの視線が熱っぽく感じて、ゆっくりキスをするとゆっくりキスが返ってきた。顔に熱が集まる。トシは何を考えてるか分かんない表情で、私ばかり焦ってる気がして悔しかった。かっこいいし、ずるい。
「…どうしたの?」
そう聞くと、トシはやっぱり無表情で今度は両手で私の顔を掴んでキスをした。熱い。私の顔も、トシの手も熱い。心臓はバクバクいってるし、このままじゃ目眩までしそうだ。
「行くのか」
「…寂しいの?」
もう一度キスだ、ずるい。さっきまで何も私に構わなかったくせに私がいなくなると寂しいなんて、ずるいよ。私だって仕事があるのに。そう目で訴えてみたけど、トシの瞳がゆらりと揺れるたびにキスをされるだけで意味を為さない。私が言いたいことなんかきっとお構い無しだ。そういうとこも、好きなんだけど。とか言ったらMかな。でもトシの強引なところが好きだ。優しいくせに、たまに自分のために強引になるのが私の心臓を突き刺す。
「行くのか」
「…もうちょっといる」
言ったとたんに優しく畳に倒されて、また何度もキスが降ってきた。ずるいったらずるい。廊下の向こうから誰かが私の名前を呼ぶ声をした。それを聞かせまいとするようにトシが私の耳を塞ぎ、口も塞ぐ。だから私もトシの耳を塞いでやった。空気が凝縮されて、世界は小さくなった。
100212