「慈郎」

 ナマエだけが俺を「慈郎」と呼ぶ。他のみんなは「ジロー」だ。それが嬉しいとか悲しいとかではないが、ナマエだけそう呼ぶから少しドキッとしてしまう。
 放課後の教室は誰もいなくて居心地も眠り心地も良かったのにナマエが来たとたんに逃げたくなった。背中にギラギラと陽が当たってる。夕日が昼間の太陽より暑い。これはナマエのせいじゃないはずだ。

「慈郎」

 もう一度ナマエが俺を呼ぶから仕方なく顔を上げた。ナマエはそんな俺を見ると嬉しそうな顔をして笑う。可愛いと思った。

「おはよー」
「…ん」
「跡部怒ってるから部活行こうよ」
「俺今日朝練行ったC…」
「はは、眠そう」

 そう言いながらナマエは携帯を開けた。メールを確認してるみたいだ。

「ジローいたか?って。跡部」
「ジロー…」
「ん?」
「ジローはいません」
「慈郎は見つかりませんでした、って送っとこうか」
「うん」

 慈郎は見つかりませんでした。
 ジローは見つかったのかな。あれ?なんか分かんね、自分が二人いるみたいだ。みんな用の俺と、ナマエ用の俺。今の俺はどっちだろうか。ナマエの前だから慈郎?じゃあジローって誰だ、俺は慈郎でジローだ。
 ナマエが慈郎と呼ぶから悪い。全部が違って見える。ジローが見てたさっきまでの教室と慈郎が見ている今の教室は違う。
 パタンとナマエが携帯を閉じた。

「寝ててもいいけど学校に閉じこめられないようにね」
「行くの?」
「うん。早く帰ってこいって。仕事あるし」
「あー、ごめん」
「? 何が?」
「時間無駄にさせて」
「慈郎、寝ぼけてる?」

 ナマエは可笑しそうにジャージの袖で口を押さえた。何となく、あのジャージはいい匂いがするんだろうなと思う。

「寝ぼけてない、多分」
「そう?まぁ部活出ないなら帰ったら?」
「ナマエは?」
「ナマエは部活だってば」

 ナマエがまた笑う。
 「ナマエ」。
 ナマエの名前が好きだと思った。俺はナマエの名前が好きだ。
 ナマエは笑いながらからかうように「慈郎は?」と聞く。
 慈郎は、と言ったら胸が熱くなった。俺はジローだけど、ジローじゃなくて慈郎。

「慈郎はナマエが好き」

 そう言ったらナマエの顔から笑顔が消えて、ナマエのポケットの携帯が震えるのが分かった。きっと跡部からのメールだろう。「ジローいなかったのか」みたいな。そうだね、今ナマエの目の前にいるのは慈郎だもんね。
 ナマエ、と呼んだから今度はナマエがビクリと震えて真っ赤になって、それでも俺を見つめてくれた。その表情に自惚れることにして、ナマエを抱き締める。いつだか「強引なのはジローらしくないな」と誰かに言われたことがあったなぁと思い出した。

100515

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