俺の家の隣にある家には昔からよく知る女がいた。要は幼なじみだ。年も同じなせいか、家の人間からも向こうの家の人間からもやたら一緒に行動させられた。幼稚園に行くのも一緒に、小学校へ行くのも一緒に、もちろん中学校へ行くのも、つまり、今現在も俺と幼なじみは一緒に登校していた。毎朝家に来るか、俺が待つかだ。今日は俺が待った。少し待たされた後、幼なじみは相変わらず満面の笑みで「おはーっす!」と言った。俺はそれに特には応えず歩き始める。幼なじみがついてきた。そこで俺は初めて違和感を感じた。いつもの慌てた犬のような足音が聞こえないのである。振り向くと、いつもより幼なじみの頭が少し上にあるように思えた。背が伸びたか?と自分でも不自然だと思う考えと共に視線を下ろすと、幼なじみの足は地面から離れていた。浮いているのだ。宙に。

「…何で浮いてるんだ」
「え?気になる?」
「…」

 へらへら答えた幼なじみに苛立ちを感じる。睨み付けるが、やはりいつもと目線の位置が違うと違和感で眉間にシワが寄った。

「考えてみたらさ、若。この大地は昔からあるんだよ」
「は?」
「昔って本当に昔だよ。私たち人類が打製石器作り始めたころとかね」
「それが?」
「だから、例えば今さ、若が踏んでる、そこね」

 幼なじみは俺の足元を指差した。俺もそれに合わせる。靴はまだ新しい。入学してから背が急に伸びて、靴も買い換えたばかりだった。幼なじみは続ける。

「そこでも人が死んだんだよ」

 不愉快だ。そう言わんばかりの目をして幼なじみをまた睨み付けてやったら、幼なじみは笑った。「こわ」といつものように茶化す。

「だから浮いてるのか」
「うん。踏みたくない」
「…」

 俺だってそんな話を聞いてしまってはどこだろうが歩きにくい。そうだ、もしかしたら、戦争中にここで敵の空爆で死んだ人がいるかもしれない。ここも、そこも、あそこも。
 新しい靴の中がじっとりする感覚に寒気がした。幼なじみの足元は相変わらず宙ぶらりんだ。俺も浮いてしまいたい。しかし俺にはそんなことができなかった。このままの状態で学校に行くのも嫌だ。第一、目線がいつも通りじゃなくて気持ち悪い。お前は誰だと言いたいが、誰でもない俺の幼なじみなのは明白だった。

「俺と一緒に歩け」

 手を差し出すと、幼なじみは驚いた顔をした。俺の手と、俺の顔を見比べて笑う。

「若の頼みならしょうがない」

 俺の手を取った幼なじみは、すとん、と地面に降り立った。そのまま学校まで手を繋いで歩く。



 という夢は朝食を取っても嫌になるくらい鮮明に覚えていた。おかげで体が重く、いつもより少し遅く家を出ることになった。
 実に不愉快だった。第一、俺とあいつは今は仲良く登校などしていない。小学校高学年の時に友人たちの目が気になり、お互いに自然と疎遠になってしまったのだ。夢の中だと多少無理があることでも納得してしまうから不思議だ。今では学校でも時々しか話さない。
 学校へ行くために玄関を出ると携帯をいじっていた幼なじみが顔を上げて笑った。夢の中とリンクして足元を見たが、きちんと地に足はついていた。

「おっはよー若!」

 幼なじみを一瞥し、挨拶を無視して俺は歩き始める。後ろから慌てた犬のような足音がした。何となくホッとする。

「無視!?」
「朝からうるさい」
「だからって無視しないでもいいじゃん!」
「課題なら貸さない」
「えっ!」

 幼なじみは相変わらず慌てた犬のような不細工な足音で俺の隣にやってきた。ちらりと見る小さな頭はいつもの位置だ。
 幼なじみが朝、俺を待っているのはたいてい自分の課題が終わっていないときだ。それか貸していた教科書を返してくるときだ。都合のいいときだけ幼なじみという権を乱用する。まったくもって傲慢というものだ。

「お願い!」
「この間一生のお願いをきいたばかりだ」
「一生のお願いが一回とは限んないじゃん?」
「屁理屈」
「うん、屁理屈だよ!」

 何でそんなに誇らしげなんだ。イライラすることこの上ない。
 うるさい幼なじみを横に添えて歩いていると、肌に湿気を感じた。そういえば薄暗い。幼なじみのバカに明るい声で気づかなかったが、雨にふりそうだ。おまけにあの夢の鬱陶しい余韻のせいで傘はない。

「あー降ってきた」

 厄日だ。
 ぽつぽつと俺の肩や頭に雨が当たる。走るか、と考えたがこのまま走ってもずぶ濡れるだけだろう、家まで走った方が早いかもしれない。しかしそれでは遅刻決定だ。
 そうだ、折り畳み傘。…先週こいつに奪われた。そういえば返してもらっていない。横ではその幼なじみがいそいそとカバンを漁っていた。でかいキーホルダーがやたらついたそのカバンには筆箱と下敷きとでかいポーチと何冊かのノートと教科書しか入っていない。

「あったあった」

 なかなか素早い動作で幼なじみは折り畳み傘を取りだし、開いた。濃いピンクの生地に白の水玉という派手な柄だ。

「あれ?若、傘は?」
「先週強盗に奪われた」
「強盗呼ばわりって。借りただけじゃん」
「分かってるなら聞くな、返せ」
「風強すぎたじゃん?壊れた」
「は?」
「私のせいじゃないよ」
「お前は…」

 苛立ちがさらに募る。その間にも雨が俺を濡らし、気持ちは惨めになるし散々だ。
 厄日だ。こいつといるとろくなことがない、昔からだった。川に付き合わされて風邪をひいたし、山に付き合わされて怪我をしてしばらく道場に出れなくなったし、その後に俺は年下に負けた。ブランクがあったとはいえ、俺には信じられないことだった。悔しくて泣きそうになったが泣けなくてひたすらこいつを心の中で責めた覚えがある。なぜこんなにも覚えているのかというと、それほど悔しかったのだ。その上、こいつが「若負かせてごめんね」と泣いた。俺はやはり責めたかったが、そうもいかなくて許した。あのときのモヤモヤした感情とやたら澄んだ感情が混ざった感じが未だに忘れられない。

「入る?」
「課題を貸してくれるならとか言うんだろうな」
「うっわ疑い深いな〜そんな気なかったのに」
「…いいのか?お前も濡れるぞ」
「若の頼みならしょうがない」

 そう言って幼なじみは笑いながら俺に傘を手渡した。何かと被ったが、よく思い出せない。ただ、昔に感じたあのモヤモヤと澄んだものが交わる感じだけが俺を纏った。雨がそれを洗い流すような気がして、幼なじみも俺も濡れないように傘を持つ。

「わ、なんか匂いが畳で懐かしい」

 少し下にある頭からは少し懐かしい幼なじみの家の匂いがした。朝からどこかおかしな1日だ、と思いながら幼なじみと歩く。なかなか幼なじみの名前が思い出せない。

「ね、若」

 幼なじみの顔が妙に大人っぽく見える。やはりおかしな1日だ。


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