静雄の雄叫びが聞こえる。いつもなら遠慮なしに耳に入ってくるその声も、臨也によって遮断されてるように遠くに聞こえた。

「ナマエはシズちゃんが好きになったのかい?」
「ち、」
「以前のナマエなら1ヶ月一緒に暮らしたくらいの奴なんかより俺を選んでたよね?」
「分かんな…」
「分からない?ナマエらしくないなぁ、自分の気持ちが分からないなんて」
「…」

 自分でもおかしいと思う。あんなに固執してた臨也なのに、今は静雄のことが気になって仕方ない。聞こえてくる呻き声は相変わらず静雄以外のものばかりだけれど、気になって仕方ないのだ。
 私のせいで臨也が来て、私のせいで静雄がひどい目に遭っている。そんな負い目もあるのかもしれない。けれど、本当にそれだけだろうか。こんなに近くに臨也がいるのにどうして臨也に意識が向かないのだろうか。

「シズちゃんが好きなの?」
「…嫌いじゃない」
「それはまた曖昧な答えだね」
「臨也、何が言いたいの?」
「本当はシズちゃんの前でナマエを連れて行こうと思ってたけど、知らないうちにナマエが消えてたっていうのも有りだよね」
「…」
「シズちゃん泣くかなぁ?」
「臨也」
「はい、これナマエの通帳と印鑑とカード」
「あ…」
「おいで、シズちゃん家なんかじゃ不便でしょ?」
「…」

 渡された通帳たちを握りしめる。どうしてすぐに返事ができないんだろう。臨也についていけば何も困ることはないし、今まで通りの生活に戻ることができるというのに。そう考えるとやっぱり私は静雄が好きなのだろうか。じゃあ今までの臨也への気持ちは何だったのだろう。
 分からない。
 でも私がしたいことは一つだ。

「どうしたの?」
「…臨也」
「何だい」
「一発殴らせて」
「…いいよ」

 バチン!と痛々しい音がした。音どころか、思ったよりも手のひらが痛い。臨也はどれくらい痛いのだろうか、と臨也を見上げたらニヤニヤ笑っていた。あぁ、臨也だ。臨也がいる。何だかとてもスッキリした。

「怒ってたみたいだね」
「そうみたい」

 自分でも気づかなかった、面白くて自分のことなのに気づかなかったなんて笑える。

「君は自分の感情を偽るのが上手い。そうやって苦しみから逃れようとしているだけだ」
「静雄にも似たようなこと言われた」
「それはムカつくな。あんな単細胞と似たようなこと言うなんて」
「臨也のことは本当に愛してた。苦しかったもの」
「過去形だ」
「そうね、過去形だわ」
「…君の意見を曲げるのは俺でも難しい。だから面白かったんだけどね」

 ため息を吐き出し、臨也は笑った。私も笑うと、静雄の方をちらりと見て今度は嫌そうに笑う。

「そろそろ帰ろうかな、終わりそうだ」
「帰るの?」
「だーい嫌いなシズちゃんを好きな女に興味はないよ」
「…臨也、一つだけいい?」
「手短にね」
「どうして私を追い込んだの?」
「本当に特に意味はないよ。君が泣きながら俺を頼ったら嬉しいな、ぐらいだ」
「嬉しいの?」
「答えるのは一つだけだよ」
「あ…」

 臨也はポケットに手を入れて、路地の奥へ行こうとした。ちょっと前なら追いかけようとしたんだろうなぁ、と少し可笑しくなる。静雄の方に行こうとしたら臨也が私に声をかけた。

「俺を頼ってくれたら助けてあげても良いなとは思ってた」
「…ありがとう」

 思ってたよりも愛されてたみたいだ。やっぱり私たちは恋人同士だったらしい。

「さようなら、臨也」

 路地から出れば肩で息をする静雄だけが立っていた。近づくと驚いた顔をして「事務所にいけって言っただろ」と少し怒る。嬉しい、ドキドキする、静雄が好きだ。

100612


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