臨也はとにかく人を動かすことに長けている。こうすれば誰がそうする、と予測することが得意であり好きらしい。ただ彼が言うには静雄ほど予測できない人間はいないらしい。もどかしそうにそう呟く臨也を何とも珍しいと思ったものだ。まぁとにかく臨也は先のことを考えて行動するし、誰に対して接するにしても今後の利益を考える。そんな臨也を知っているからこそ私はときどき恐ろしくなるのだ。
 静雄たちが働く事務所の社長が私の勤めていた銀行に来たことがあり、しかも私の対応に感動して(社長は「いかにも」な外見をしており、他の銀行員は怯えてろくな対応をしなかったが私は丁寧に対応したらしい。私はよく覚えてない)私のことを覚えていた上にそのこともあって事務所でなかなかよろしい待遇をしてもらえることになったなんて臨也の計らいなのではないか、と。
 考えすぎだと思いたいが、私の知っている折原臨也と言う男はそういう男なのだ。静雄に言えば言葉を濁すかもしれない。しかし静雄は臨也の名を出せば不機嫌になるだろうから黙っておくことにする。
 私の仕事は主に書類整理だ。場合によってはお茶くみだとか秘書をやることになったが、銀行員であった私からすれば全然簡単な仕事である。それなのに生活に困らないお給料を貰えることになった。もちろん臨也に負わされた借金分は引かれるが、それでも申し分ないお給料だ。半年もしないうちに一人暮らしを再開できるかもしれない。しかも仕事でよく使うことになるだろうから、と社長は携帯電話まで用意してくれた。静雄とお揃いにしといたぞ!と満足そうに笑っていたので私たちの関係を勘違いしていたかもしれないが、それの方が都合がいいかもしれないと触れないでおいた。別に嘘をついているわけではないし。
 ここまで良い待遇をしてもらうことになったのだから、その分の働きはするつもりだ。事務所の掃除をしたり、まとめられてない書類を整理したり、社員さんから仕事を教わったりしているともう夕日が傾きかけていることに気付いた。窓から見える夕日はゆっくりとビルたちを覆っている。私が住んでいた家から見るより夕日が綺麗だ。綺麗に片付いた机を拭く手を止めてぼんやりと見つめていたら「お疲れーっす」と静雄が入ってきた。

「社長は?」
「電話が来て、外に行ったきり」
「…綺麗になったな」
「ね、夕日綺麗」
「いや事務所の話だっつの」
「え?あ、そっちか」
「馬鹿」

 静雄は笑って、ポケットに手を突っ込んで私に近づいた。時計を見てから呟く。

「そろそろ行くか」
「え、勝手に帰っていいのかな」
「いいんじゃねぇの?タイムカードとかねぇし」
「せめて電話とかメールとか…」
「してやれよ、喜ぶぜ」

 静雄がからかうように言うと、静雄の携帯が鳴り響く。電話で、トムさんらしく静雄が敬語で対応しているのを聞きながらまた机を拭き始める。拭き終わった頃に静雄の電話も終わり、静雄は携帯をしまいながら私に言った。

「帰っていいってよ。トムさんが今社長といるらしい。お疲れって」
「あ、うん」

 歩き始める静雄の後ろをついていく。外は夕日が消えかかって少し暗かった。暗い、と呟くと静雄が振り向いて私の歩幅に合わせるように歩く。

「俺はまた九時くらいから仕事だから」
「けっこうハードなんだね」
「まぁ今日は朝早い方だったけど普段はまだ遅いからな。自由な時間も多いしよ」
「へぇ」
「買い物行くんだろ?」
「あ、はい、食材と下着だけでも」
「だな。っつーか、まじで飯作るのか?」
「道具はあるんだし勿体ないよ。仕事時間からも不可能なわけじゃないし」

 実もない話をしているといつの間にかスーパーについた。カゴを取ると、静雄がどこからかカートを持ってきて私からカゴを奪い、カートの上に置いた。そのまま押しながら私の隣を歩く。

「米とかも買うんなら重くなるだろ」
「あ、うん、ありがと」
「何買うんだ?」
「とりあえず調味料類と卵とお肉と…。食べれないものとかある?」
「特にねぇな」
「今日は簡単にオムライスでいいかな?」
「おう」

 買い物をするのは私でも支払いは静雄だ。必要なものを考えつつ、高くないものを選ぶ。
野菜コーナーから肉コーナーへ移動する途中、ふと音がして周りを見ると何人かが私たちに携帯を向けていた。写メを撮っているらしい。考えれば池袋で喧嘩人形と恐れられている静雄が私みたいな見るからに一般人と並んで歩き、しかも夫婦のように食材を買っているのは奇妙なことだ。ただでさえバーテン服だしなぁ。私は特にこういうことを気にしないが、静雄はどうだろうか。勝手に写真を撮られてキレたりしないだろうか。さりげなく静雄を見ると、視線がばっちり合った。

「何だ?」
「あー…いや、鶏肉好きかなって思って」
「あ?別に嫌いじゃねぇよ」
「そっか、うん」

 大丈夫らしい。慣れているのかもしれない。そう考えると静雄も大変だなぁ、と思った。私だってもし今みたいに静雄に関わることがなく過ごしているときに、平和島静雄が普通の女と夫婦のごとく買い物をしていると聞いたら少しは気になる。気になると言っても臨也に言って、それで終わり、な程度だろうけど。
 でも今静雄と過ごして静雄の性格を少しずつ理解している私からしてみれば静雄は悪い人じゃないし、普通の女と買い物をしていても何らおかしくない青年だと思う。買い物を終え、なかなか重い買い物袋を当然のように全て持ってくれた静雄を見ながら、やっぱり普通の青年だ、と思った。

 下着は全国チェーンのファッションセンターで買うことにした。安いことにこしたことはない。

「静雄どうする?」
「入れるわけねぇだろ」
「そうだね。お金くれる?」
「ポケット」
「ん」

 両手がふさがっている静雄の尻ポケットからお財布を取り、静雄を出入り口に残して店に入る。一番安い下着を二セット選んでなるべく早く外に出れば、静雄が見るからにガラの悪い男たちに囲まれていた。男たちは鉄パイプや木材を手に持っていて、今にもリンチが始まりそうな典型的な光景である。静雄は明らかにキレていた。
さて、どうするべきか。
 思考を巡らせていると男たちの一人が怒鳴り、それが合図のように男たちが静雄に飛びかかる。鈍くて痛々しい音が響き、立っている人間が減っていく。静雄は両手がふさがっていた。つまり足で倒していっているのだろう。すごい。立っている人間が片手で数えられるくらいになったころ、逃げ出す人間が出てきた。すぐに立っている人間が静雄のみになる。肩で息をする静雄の両手にはスーパーの袋で、少し滑稽だ。静雄は私に気付くとちょっとだけ気まずそうな顔をした。
 どうしてそんな顔をするのだろうか。
 まるでしてはいけないことをしてしまって反省しているような、謝りたくても謝れないような、そんな顔だった。確かに暴力はいけない。けれど静雄は絡まれたわけで、自分から喧嘩をしかけたわけじゃないのだ。静雄がそんな顔をするわけが分からなかった。

「ナマエ…」
「大丈夫?怪我してない?」
「あ…あぁ」
「良かった。両手がふさがっても無傷ってすごいね」
「…」
「どうしたの?」

 何か言いたそうだった。相変わらず申し訳なさそうな顔で私を見ている。

「いや…」
「…正直、そんな顔をする理由が分からない」
「え?」
「さっきの静雄に悪いところがあったとは思えなかったよ、私は。なのに申し訳なさそうな顔してる。怒られたくないって顔してる」
「…怖くねぇのか?」
「静雄が?何で?少なくともこの二日間、静雄を怖いと思ったことはないよ。優しいしお人よしだと思ってる。静雄はそんな顔をする必要ない」

 気に食わなかったのだ。本当に、端から見て静雄が悪いとこなんか一つもなかった。けれど静雄はそんな顔をする。臨也ならあんなところを私に見られても「ははっ、いいねぇ、楽しいねぇ!ナマエ!」と本当に楽しそうに笑うだろう。
 静雄は少し驚いたような表情をした。あの綺麗だった夕日が完璧に沈み、暗くなった空気が冷たい風を運ぶ。少し強い風は目の前の静雄の前髪を掬った。赤いものが見える。

「静雄、血が出てる」
「あ、あぁ」

 私が静雄の額を指さすと、静雄は戸惑いながらもそこを拭った。額だったから自分では見えなかったらしい。血は完全に拭いきれず、静雄の綺麗な髪の毛にいやらしくこびりついた。なぜか臨也を思いだす。血を見て臨也を思いだすなんてどうなんだろうか。何だか少し笑えた。静雄の額の血を拭ってやろうと思って近づいたけど静雄の背が高くて出来ないことに気付いた。近づいた私に静雄は更に戸惑っているみたいだった。少し怯えているようにも見える。そんな強い力を持って何を怯えることがあるのだろうか。私には皆目見当もつかなかったが、きっと静雄は何度も人に傷つけられたのだろう。体も含めて、もちろん心も。
 やはり彼は優しいのだ。少なくとも、本当にこれだけは心から言えると思った。静雄がキレやすいとか近づきがたいとかは否定できなくてもこれだけは肯定できるだろう。平和島静雄は優しい。
 近づいた私にするべきことはなかった。もし私にすることがあれば帰ってから静雄が座ったら額の血を改めて拭ってやって治療することぐらいだ。だから右手を差し出した。きょとんとする静雄に「袋、持つよ」と言えば「いや、いい」と返ってきて、そのまま静雄は私に背を向けて歩き始めた。私が微妙に追いつかない速度で歩くから無理して隣を歩くことはやめておく。静雄が何を考えているかは分からない。臨也の考えていることも分からなかったし、もちろん誰の考えてることだって私は分からない。ただ何となく静雄は怒ってない、ということだけは理解できる。だから、まぁいいかと思った。

010504


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