あ、やられた。
仕事が終わり、アパートの自室に行くと扉が開いていた。臨也が来てるのだろうかと扉を開くと、思わず目がぱちくりと瞬いた。家具や家電、靴も一切ない引っ越し前のような我が家がそこにあったのだ。表札と部屋番号を確認すれば間違いなくミョウジと書かれたプレートと自室の番号が書いてある。整理できない頭で徐に靴箱の上を見れば臨也の字で「あとはよろしく☆」と書かれていた。
あ、やられた。
臨也にはめられたと分かった私の脳は意外にも冷静だった。まるで前から分かっていたような感覚である。とにかく今は臨也のことよりこの状況をどうするべきかと思っていると、エレベーターの方から管理人さんがやってきた。管理人さんは見た目こそ怖いが中身はなかなかいいおじさんだ、私が臨也と歩いているのを見ると私が一人でいるときにわざわざ「あんた大丈夫かい?あの男、なんかおかしくないか」と心配してくれるのだ。あの時はおじさんよく臨也の本性が分かったなぁぐらいにしか思ってなかったが、忠告通りにしているべきだったのだろうか。いや、多分私はそれをできなかっただろう。何はともあれ少し相談してみよう。
おじさんと目が合い、挨拶をしようとすると怒声が飛んできた。怖い見た目と合わさってビビってしまう。
「まだいたのか!さっさと出ていけと言っただろう!!」
あ、やられた。
おじさんは顔を真っ赤にし、あの時忠告してくれた優しさを感じさせないくらいの勢いで叫ぶ。
「あの男もいるのか!だから俺は言ったんだ!娘までたぶらかしやがって!!」
どうやら臨也はおじさんの中学二年生の娘さんをどうにかしちゃったらしい。臨也にロリコンの気はないから、多分薬だとかエンコーだとかそういう類のものだろう。とことん私を困らせたいらしい。
おじさんは私が何も反応しないのが気に食わないのか、詰め寄って胸ぐらを掴んでくる。頭が揺らされて熱くなった。あぁ、殴られるのかなと考えていたら「おい」とどこかで聞いたことのある低い声が後ろから降ってきた。
「女に暴力はいかんだろ、おっさん」
「ヒッ!」
おじさんの顔は赤から青に変わり、私をパッと離す。そしてそのまま逃げるように走って行った。誰だかは分からないが礼を言おうと振り向けば、バーテン服の男、平和島静雄がいた。あー、だからおじさんは逃げたのか。しかし何故ここに平和島静雄が?
私が臨也と歩いているとき、何度か平和島静雄に会ったことがある。二人はちょっと話した後に殺し合うかいきなり殺し合うかだったので喋ったことはない。平和島静雄は私を覚えているだろうか。覚えていたら少し厄介かもしれない、と思いつつ一応礼をする。
「ありがとうございました」
「あぁ、いや、別に。…あんた」
やばい、覚えていただろうか。
冷や汗をかいていると平和島静雄の後ろにいるドレッドヘアーの男が問う。
「どうした静雄」
「いや、何でもないっす」
セーフ。まぁ確かに会えば臨也一直線っていうような人だったし隣の私なんか覚えてないだろう。ホッとした。
「ふーん、まぁいいや。で、あんたが小早川武男?」
「…はい?」
聞いたこともない名前だった。ドレッドヘアーの男は淡々と喋る。
「ま、な訳ないよな。あんたの男か親戚かわかんねぇけど小早川武男は50万の借金を踏み倒してる。しかもテレクラ代」
「…はぁ」
「部屋にいる?」
「…いえ」
人どころか物もありません。
「じゃあどこにいるか分かる?」
「いえ」
ってか誰だ小早川って。
「あんたミョウジナマエさん?」
「はい」
「んじゃ連帯保証人ってわけだ」
あ、やられた。
住処を消すどころか、借金まで押しつけやがって。しかも臨也がテレクラなんか利用するわけがない。赤の他人の借金を私は負わされているのだろう。臨也の楽しげな笑顔が浮かんだ。それでも怒りや悲しみはない。ただ、あ、やられた。と思うだけだった。
「金あんの?」
「…貯金なら30万くらい」
「そら偉いな。何だったら差し押さえとかでもいいけど」
「差し押さえするものがありません」
「家電とかでもいいぜ?」
「ありません」
「…結構いいアパートに住んでるのに?」
「嘘ついてんじゃねぇぞ」
「だったら部屋を見てください」
私は思い切り扉を開けて二人に部屋を見せた。部屋を見た二人はポカンとして、ドレッドヘアーの男が苦笑しながら私に言う。
「やられたな?」
「やられましたね」
「ま、とにかく金」
「…30万ですか」
「俺たちも仕事なんでね」
「…」
もう口座ごと引き渡そうかと通帳とキャッシュカードを財布から出そうとバックを探る。しかしなかなか見当たらない。
「…あれ、嘘」
「どうした」
「…財布ないです」
「その言葉信じたいけどな」
ドレッドヘアーの男は少し乱暴に私のバッグを掴み、容赦なく探った。
「あーあ」
「トムさん?」
「本当にねぇよ」
「まじっすか」
「職場どこ?」
「…そこの、銀行です」
「まともなとこに勤めてるじゃねぇか。好都合だな、給料前借りさせてもらえ」
「…」
「俺だって好きで女にこんなこと言ってるんじゃねぇよ?」
「分かりました」
平和島静雄がいる時点でどうにもならないだろう、どうせダメだろうが私は職場に電話をかける。平和島静雄がタバコに火をつけると丁度繋がった。
「あ、ミョウジですけど」
『あ…ナマエさん?今から電話しようとしてたんだけどね…』
「はい、何でしょう」
『どうして辞めちゃったの?』
「…はい?」
『急に辞表なんかだして、みんな悲しんでて…で、いま丁度新しい子が見つかったからあなたの代わりに仕事してもらえるように今教えてるところなの。あ、ごめんなさい、また後でかけるわね』
ツーツーツー
「あれ?どうしたの」
「…仕事やめさせられました」
「あんたよっぽど仕事できねぇんだな。ってかやばくね?」
臨也はとことんだ。とことん私を路頭に迷わせたいらしい。トムさんという男はため息をつき、平和島静雄はタバコを吹かしながら景色を眺めている。本当にどうすれば。
プルルルル
「…出ていいですか?」
「おう。小早川か」
「非通知…」
「小早川だったりしてな」
「…」
ピッ
「もしもし」
『やあナマエ』
「…どうも小早川さん」
「まじかよ」
『はは、怒ってる?』
「どうだろ。ついにやったか、みたいな」
『君のそういうところが好きなんだ』
「じゃあ行動で示してほしいわね」
『示してるじゃないか。可愛い子には旅をさせろ』
「逃亡の間違いじゃないの?」
『ナマエ、君は本当にいい女だ』
「でも飽きたんでしょう?」
『いいや?急にしたくなったんだ』
「…戻ってくるの?」
『期待してる?』
正直、期待しているのかも分からなかった。
臨也と私は所謂セックスフレンドのようなもので半同棲をしていた。私は臨也が愛しかった。それは恋愛感情に近いものだったが、今となってはあやふやだ。それでもいつか臨也にはめられるとどこで気づいていた。それなのに一緒にいたのはやっぱりそういうことかもしれない。
「臨也…」
「…臨也?」
「!」
やばい、思わず名前を呼んでしまった。振り向くと平和島静雄がすごい顔で私を睨んでいる。怯んでいたら平和島静雄はバッと私の手から携帯を奪い取った。
「臨也手前!!」
「あーあ…」
ドレッドヘアーの男が呟き、私の隣に立つ。見上げると思ったより優しそうな顔をしていて少し意外だ。ドレッドヘアーの男は私を見下ろして呟くように問う。
「さっきから思ってたけど冷静だな」
「はぁ」
「俺には関係ねぇけど、これからどうすんだ?」
「友達に連絡して、どうにかしようかと」
「臨也ァ!!」
バキッ!
「あ」
「あ…」
聞いたこともない破壊音だったけれど、平和島静雄の手からこぼれ落ちる何かの破片らしきものを見て理解した。明らかにあれは私の携帯だったものだ。
「お前が友達全員のメモリーを覚えていたらいいけどな」
「残念ながら一般人です」
「わ、悪い…弁償する」
「携帯は戻ってもメモリーは戻んねえんだぞ、静雄」
「う…っ」
「どうすんだ、この子友達の家に世話になるつもりだったんだぞ」
「ははは…」
さすがに困ったかもしれない。ふと思い出したようにドレッドヘアーの男が言う。
「…折原臨也の女だったのか。ちょっと合点がいった、騙され具合がすげぇな」
「女じゃないです」
「は?」
「恋人ではないです」
念を押すように言えば、ドレッドヘアーの男は「そういうお友達ね」と私たちがセフレのようなものだと判断したみたいだった。たしかに言葉で表せばセフレが一番正しい。
沈黙が降りて、さすがにどうしようと考えていたら平和島静雄が呟く。
「俺の家に来るか?」
「え?」
「静雄?」
「俺のせいでもうあてがねぇんだろ?」
「まぁ…そうですけど…」
「そうさせてもらったらどうだ?」
「…いいんですか?」
「いや、本当に悪い」
「あ、いえ…」
こうして私は平和島静雄の家に居候することになった。何となく胸の中がモヤモヤしている。
もしかしたらこれも想定して臨也は連絡をしてきたんじゃないか、と。
100410