初めてナマエに会ったのはオヤジの船に乗るようになって、勝負を挑んで負けた1回目の夜だった。一人で包帯を巻いていると甲板の向こうから小さな影がパタパタと走ってきて、睨みつけると一瞬ビクッとしたが「あ、あの」と救急箱を差し出すのだった。

「…いらねぇよ」
「でも、せめて消毒を」
「いらねぇっつってんだろ!」
「きゃっ」

おれが怒鳴るとナマエは肩をすくめて今にも泣きそうな悲鳴を上げた。少し向こうでマルコが「女の子には優しくしねぇとモテねーよい」とからかう声がして、今度はマルコを睨む。

「……置いとくね」

だからいらねぇって、と言う間もなくナマエはまたパタパタと小さな影を引き連れて去っていった。その時は救急箱を使わなかったが、2回目3回目と同じようなことを繰り返し、そのうちナマエに手当てしてもらうようになった。
初めておれの皮膚に触れたナマエの手は柔らかく、少し甘さを感じる温度だった。近くに寄ってくると髪の毛から花のような香りがして酷く気恥ずかしい思いをした。
おれは母親に触れた記憶がないが、母親とは「こういうもの」なのかもしれないと漠然とした何かを思い、どんな会話をしたかとかはあまり覚えていない。

どんな会話をしていてそういう話になった覚えていないが、ある日ナマエはポツリと言った。

「私ね、オヤジに拾われたの」
「……」
「親に売られて逃げようとしてボコボコにされてね、何とか逃げてこの船に助けを求めたらそのうちオヤジの娘になってた」
「……」
「エースも……ううん。また怪我したら、手当てするからね」

ナマエはそう言うといつものようにパタパタと自分の部屋へ戻っていった。どうやら自分の足より一回り大きなスリッパを履いているからだった。その足を見ながら、おれはこのままオヤジに拾われるのだろうと何となく感じていた。

正式にオヤジのマークを背中に背負うことになって少し経ったある日、戦闘から帰るといつのもようにナマエが救急箱を持って待機していた。もう立派な看護師だった。
重傷者から手当てをしていき、最後の方になっておれの元へ救急箱を運んでくる。自室に戻ろうとするとパタパタと音がして振り返ればやっぱりナマエだった。

「おれはいいよ」
「良くないよ」

すっかり反論するようになったナマエに逆らうこともできず、擦り傷を負った腕を差し出す。

「みんなほとんど部屋に戻ったよ。みんな五体満足、明日もたくさんご飯を食べるでしょう」
「そうか、良かった」
「おかえりなさい、エース」
「……ただいま」

おれが白ひげ海賊団に入ってからナマエはそうやっておれの帰りを迎え入れた。それがとてもくすぐったいというか、すんなりと受け入れるにはまだ時間がかかりそうで、ナマエにつられるように微かに笑うしかなかった。

「じゃあナマエ、エースよろしくな!」
「うん、みんなおやすみー」
「おやすみ!」
「あ、おい」

おれをナマエに押し付けるようにして隊員たちは船の中へと入っていった。甲板にはさっきまでギャーギャー騒いでいた奴らがいつのまにか消えて、おれたちだけになっている。
モビーディック号に打ち付ける波が急にうるさく感じた。そんな中で、ナマエの静かな声がポツリと呟く。

「今日は満月だよ」

見上げると立派な満月がそこにあった。帰ってくるまで気付きもしなかった。しばらく月を眺めていると「はい、終わり」とナマエはにっこり笑う。

「いい夜だね」
「…そうだな」

ナマエにならうように月明かりに照らされた海に目をやった。キラキラ反射する月はアイツらと見るより美しく思えた。

「もう寝るの?一杯やらない?オヤジが余り物くれたの」

そう言ってナマエは救急箱から酒瓶を取り出したから「どこに入れてんだよ」と笑う。変なヤツ。

「コップはないけどいっか。はいどうぞ、お疲れ様」
「あぁ」

ナマエに酒瓶を渡されて一口飲んだ。オヤジの余り物だけあって上等な酒だった。すぐにナマエに渡すとナマエは躊躇なくおれと同じように一口飲む。

「はー月見酒」
「いい酒だ」
「でしょー?」

美味い酒を煽ったからか、ナマエは上機嫌だった。おれにもう一度酒瓶を渡した後、遠くを見てから呟く。

「オヤジにね」
「ん」
「恋しろって言われて」
「ブッ!」

思わず口に入れた酒を全て海に吐き出してしまい、ナマエはびっくりした顔で笑った。おれの口元についた酒をナマエは細い指で拭って、自分の口元に持っていく。そして柔らかく笑うのだった。

「エースの顔が浮かんだの」
「な…!」
「エースは?誰の顔が浮かぶ?」

急に、ナマエが触れた唇が熱く感じた。
ナマエは柔らかく笑ったままおれを覗き込み、おれは熱いこの感情をどうしたらいいのかと戸惑うだけだった。緩く弧を描いた唇が、スローモーションのように動く。

「……キスしてくれる?」

そう言われると、固まった体がどうしてだか勝手に動いた。吸い寄せられるようにナマエの唇に自分の唇を重ねると体の中心がとても熱くなって、どうにかなってしまいそうだった。
海の音は絶え間なくおれたちを囲み、この夜はいつまでも続くんじゃないかと錯覚した。
唇を離した後にナマエの顔を見れば、少し頬を赤くしていた。けれど満足そうに微笑んでこう言うのだった。

「私、エースが好きみたい」

おれはとてもじゃないがどうしたらいいか分からなくて、誤魔化すようにもう一度ナマエに口付けた。ふと指先が触れて、そのままナマエの手を掴んで、舌が絡んで、そのあとはよく覚えていないが、朝起きるとベッドの脇にナマエの一回りでかいスリッパがあって燃え上がった夜を嫌でも思い出して、花のような香りがするベッドの上でのたうち回るのだった。



20180207
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