ずっと、心臓から1センチ離れたところを小さな足に蹴られているような気持ちだった。
それを誰かに分かってもらおうだなんて思っていないし、当時、中学生から高校生の間、彼らに分かってほしかったわけではない。
 ただ、高校を卒業しても、大学を卒業しても、就職をして仕事に慣れ始めても、たまに思い出したようにその古傷が疼いて申し訳ないような寂しいような気持ちになるのだった。

「跡部が帰ってくるって言うのに、薄情者どもめ!」
『だーから、俺は30分遅れるだけだっつーの!』

 携帯電話に向かって小言を言えば、亮がすぐさま反論した。今日は大学を卒業してから初めて跡部が日本に帰ってくる日だというのに、私以外のメンバーは全員仕事や用事で跡部の到着時間よりも遅れるらしい。ジロ―に至っては連絡がつかないほどだ、まぁいつものことなんだけど。

「他のみんなは?」
『岳人は一時間後くらいっつってたけどな。他はそれ以降だとよ』
「もー何なのー」
『しょうがねぇだろ、仕事なんだからよ。じゃあ俺も今から車乗るから』
「はーい、気を付けてー」
『おー』

 ピ、と通話終了ボタンを押してポケットに携帯をしまうとパンプスの先にゴミがついていることに気付いてはらった。空港内では飛行機の出発や到着を知らせるアナウンスが響き、女性のヒールの音やスーツケースを転がす音が耳に飛び込んでくる。
 そんな絶え間のない音を聞いていると、学生時代に嫌と言うほど聞いた音がよみがえってきた。黄色いボールのあの音は、耳の奥に引っ付いてきっとこれから何年も鮮明に思い出せることだろう。
 私は、いつも絶え間ない音を聞くだけだった。
 みんなが苦しんでも分かち合うことも力になることもできなかったし、喜んでも彼らと全く同じ気持ちで喜んだわけではない。私は男ではなく女で、選手ではなくマネージャーだったからだ。
 懐かしい音と傷みだった。心臓の近くを刺激されて、みんなの私と違う腕や足、背中が思い出される。中学一年生の頃はそんなに変わらなかったはずなのになぁ、と昨日塗りなおしたばかりのネイルを見つめた。

『―――の飛行機が間もなく、』
「あ」

 気づけば、跡部が乗っている飛行機の到着時間だった。
 慌てて到着口に向かうと、丁度着いたようで様々な人がスーツケースを転がして出てきた。少し背伸びをして向こうを見れば、人ごみの中でも奴を未だに一目で判別できた。それが彼のおかげか私のおかげかは分からないけれど。
 荷物を持っていないということは、金持ちらしく別に運ばれているのだろう。手ぶらで、誰よりも堂々と、華やかに、あの時と何一つ変わらない姿勢で跡部がこっちへ歩いてくる。手を挙げてみれば、彼はやっぱり変わらない唇で変わらない弧を描いた。

「ナマエ」
「久しぶり、跡部」

 電話やメールはしていても会うのは卒業以来だからどうしても笑みがこぼれた。みんなも来れたら良かったのになぁ、もったいないなぁ。

「何ニヤニヤしてんだよ」
「跡部こそ」
「アーン?」

 跡部は私の額を小突くと、少し笑って「そうだな…」と呟いた。何か言いたげに私を見るから、私は跡部の青い海みたいな瞳を覗き込んだ。
 私を小突いた手で跡部は私の前髪を撫で、目を細める。少し、大人びた。

「綺麗になったな、ナマエ」

 ずっと、心臓から1センチ離れたところを小さな足に蹴られているような気持ちだった。
 だったのに、たった一言だった。今のたった一言で、すっと、消えた。
 私は、私で、女で、良かったのだと。
 息を吸うのを忘れるくらいだったけど跡部はそんな私の気持ちも知らずに「やっと大人って感じじゃねぇか」と憎まれ口を叩く。少し彼の前髪が揺れて、そういえば、いつだって私たちを何だかんだと救ってくれたのは彼だったなぁと思いだした。
 泣きそうだったけど、ぐっと飲み込んだ。中学生のときも高校生のときも、跡部の前でこうやって涙を飲み込んだことが何度もある。あー私たちって、変わらないんだぁ、あんまり。

「昔は可愛かったけど?」
「バーカ」
「跡部、私ね」

 ずっと付き合っていた人と結婚することを伝えれば、跡部はびっくりした顔をした後に「そうか、おめでとう」と笑った。本当はみんなの前でサプライズしようと思ってたのになぁ。

「しかし俺様に一番に言わねぇとは、あの野郎」
「私が口止めしてたんだよ、自分で言いたかったから」
「俺様よりお前かよ、あいつ」
「当たり前じゃん!旦那様なんだから!」
「見る目ねぇ旦那だな」
「はー!?」
「まぁ、安心はできるな」
「え、心配してくれてたの?」
「…手塚のな」
「もー!」
「なんたって俺のライバルだぜ?」

 もう本当に、変わらないんだから、愛しい友人め!
 しばらくするとジローを引き連れた亮がやってきて、数時間後には全員が集まった。結婚することを報告したら、国光と付き合い始めた時みたいに彼らは私をからかい始める。
 何年経っても、ねぇ、こうしていてね。美しく、堂々と、しなやかに、女らしく、私は君たちを支えていくからね。


20130701
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -